神社おそうじ隊、見参!公式ブログ

カタチ以前にある「いのち」への感謝。 天の恵み 地の恵みへの感謝を、一緒にお届けしませんか?

神社おそうじ隊、見参!

人のカラダは宇宙そのもの。 そして人のカラダは神聖な魂が宿る神社そのもの。
新世紀の「神社」認識とは、その土地に存在する神社だけを指すのではなく、人そのものが神社、すなわち 「 動くパワースポット 」。 その大切な社(やしろ)である肉体、そして人の思考や行動が調和で満たされることにより、関わる全てが明らかなる変容を遂げます。 自らの心身を健やかに保ち自己実現することこそ、関わるすべての人・場所・物の保持する磁場が健やかに保たれることとなり、それすなわち地域が、日本が、そして地球が、太陽系が、そして宇宙にまで、その調和波動が遍く届いてゆくこととなります。
「共生・協調・調和」 をメインコンセプトに、 神職介添えのもと『 社(やしろ)』そのものである“ 人・場所・物 ”に神道的アプローチにより働きかけ、それに連なる地域→日本→世界→地球→宇宙の調和が図られる、というのが Planetary Work の種子。 一人一人小宇宙である実体を、神社などの縁ある土地に運ばせていただき、相互交流させていただくことにより、つつみ気枯れが祓われ、人も土地も物もすべてが本来の輝きを放つ、というのが神社おそうじ隊の種子。 すべての意と土地と人とを、神職が那珂執り持ちさせていただいています。
現在日本全国各所に鋭意見参中。 清祓ワーク、及び清祓ノ儀での御玉串料、およびワーク代は、プラネタリーワーク活動支援費として運用させていただいており、その一部は神社おそうじ隊が活動する中で、全国の地域・神社に納めさせていただいております。


 

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2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その9

2016年12月29日 | 2016.11.19〜22 出雲

2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その9

2017-01-10 | 出雲 2016



あまりにも明らかだからこそ、わからないこと。
いつもそこにあるからこそ、気づけないこと。
そういうモノやコトは、実は日常にもたくさんあります。


たとえば、正月などには神社や仏閣に参拝…このような習慣になっている現代の日本人は、一般的に神社参拝時には「二礼二拍一拝(礼)」します。
賽銭箱の前などに作法が書いてあることも多くあるし、みんながそうしている。
なんとなく、そういうものだと思って、していますよね?

誰もが一度は「なぜ、それが決まりなのか?」と思うことはあるでしょう。
でも、そう思うと同時に「その決まりには何かの意味がある」などの思考が出てきてます。
そして、それ以前の一瞬の疑問を打ち消し、ないことになってしまう。

この「なんとなく」の疑問はずっと頭の片隅に残りつつも、特に自分にとって意味があるワケでもなく、特に自分にとって利益不利益をもたらすワケでもないように思える性質の疑問であるので、多くは放りっぱなしにしてしまいます。

たとえば、出雲大社(いづもおおやしろ)では「二礼四拍一拝(礼)」が作法です。
出雲大社だけでなく、同じく「四拍」を作法とする有名な神社としては、宇佐神宮、熊野神社、弥彦神社などがあります。

この違いの意味を、たとえば出雲大社では

「・・・4拍手をする理由ですが、当社で最も大きな祭典は5月14日の例祭(勅祭)で、この時には8拍手をいたします。数字の「8」は古くより無限の数を意味する数字で、8拍手は神様に対し限りない拍手をもってお讃えする作法です。ただし、8拍手は年に1度の例祭(勅祭)の時のみの作法としています。平素、日常的には半分の4拍手で神様をお讃えする4拍手の作法としていますが、お祈りお讃えするお心に差はありません。」(出雲大社ホームページ/よくある質問より)

と、説明していますが・・さて。

もちろん、ネット上では無数の「推測」はなされていますが、「数字」だけに、奥は深い。
「礼」と「拝(礼)」との間に「拍」を置く…そういえば、この理由も、はっきりと明確にはされていませんね。
…というよりは、そもそも日本においては、「神社に参拝する」、ということの真の意味すら明らかでないのだから、仕方ないのかもしれません。

ちなみに、二拍に制定されたのは、戦後です。




出雲には「美保神社」という神社があります。
今回は参拝しておりませんが、出雲を知るうえで重要な神社の一つです。

御祭神は、三穂津姫命(ミホツヒメノミコト) 事代主神(コトシロヌシノカミ)。
ミホツヒメノミコトは、高天原の高皇産霊命の御姫神で、大国主神の御后神。
コトシロヌシノカミは、大国主神の第一の御子神にして「エビスさま」として、現代でも親しまれています。
このコトシロヌシノカミは、御皇室における宮中八神のうちの一神として、国津神としては唯一祀られています。

コトシロヌシノカミの御神紋は、三つ巴です。

出雲大社と同じ四拍、宇佐神宮・二之御殿、比売大神の御神紋も、三つ巴。
ちなみに、二之御殿とはいいつつ、社殿は一之御殿と三之御殿の中央に位置します。
神社において、この中央に位置するということの意味は、けっこう深かったりします。
比売(ヒメ)というと一般に女性を指す、という認識がありますが…この認識自体、一体いつからなんでしょう?

また、琉球王朝の神紋も「三つ巴」。
ちなみに、「契丹古伝」に記された、ユーラシアに降臨した東大神族(しうから)の天祖、琉球の始祖の名は「スサノオ」
「おそうじリトリート」「沖縄見参」、久高島でも、いろいろお話伺いました。




今回も参拝させていただいた、「佐太神社」の御神紋。

「扇地紙」「輪違」「亀甲」。
どこをどう見て龍蛇神の尻尾の斑紋なのかはわかりませんが、神社の公式ガイドでは「扇」はそうなっています。
そして、「輪違」「亀甲」は鱗と・・・。
少し前までは、正中殿の扇は、佐太神社神宝の「御檜扇」を 象ったもの、という見解だったそうです。
では、なぜそれが「神宝」なのか?というと、なかなかわかりにくい。

けれど、

「扇」は、女性器そのもののシンボル。
「輪違」は、Vesica piscis(ヴェシカ・パイシス)=偉大なる母。
「亀甲」は、亀=玄武(尻尾は大蛇)=六芒星。
(ちなみに、出雲大社の御神紋も「亀甲」、出雲の主な神社には「亀甲」が使われています)

としてみると、如何でしょう?
佐太神社のイメージも、だいぶ違ったものになるでしょうか?

佐太神社の神迎神事は、秘音。
この神事こそ、古より変わることなく伝承されている神事です。
ここにおいては、〝なぜ「秘音」でなければならないのか?〟
それは内容なのか、それともそのコトバなのか・・・

古代、祭祀は国において最も重要なる行事であったといわれます。
現代においては「迷信」「形式の継承」というイメージで片付けられてしまうようになっていますが・・・さて、その本質に些かの変容はないと思っているのは、私だけでしょうか?




この『神社おそうじ隊 見参!』の、5年間のここまでの活動において、実にさまざまな気づきがありました。
日本という国がどういう国で、なぜこれほどに多様で、バラバラなのにすぐに統制がとれ、普段いくら自分勝手でも何かの際には他者を慮ることができるのか・・・などなど。
そのすべてをここに明らかにするには、あまりにも「・・・」なのでできませんが、上記の記述から、ある程度察していただければ幸いです。

そして、「出雲」はやはり、いろいろな意味で鍵となることも今回改めて感じ得ました。
特に、奥出雲はオモシロイ。

ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました
関東からだけでなく、広島や大分からも参加者のありましたし、また地元のお二人には2011年、2012年に引き続き、今回もご当地隊として下見や宿泊先の決定などに尽力いただきました。
本当にありがとうございました




さて、今回でこのブログへの神社関係の記事の投稿は最後になります。
これからは「神社おそうじ隊 見参! 公式ブログ」へのアップとなりますので、もしよろしければそちらを御覧ください。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました

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2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その8

2016年12月29日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-30 | 出雲 2016

『金屋子神社』

御祭神 金山毘古命 金山毘賣命

2012年以来、2度目の参拝となりました。
こちらのサイトにあるように、ここ安来市広瀬町の『金屋子神社』は、たたら製鉄の総本社。

鉄を制するものが、国を制す。
弥生時代の初期に始まったとされる鉄器の加工。
出雲が王国となりその権勢を誇った、その原動力に「鉄器」があったことは想像に難くありません。
弥生中期には砂鉄(朱砂)が主流となったということですが、「朱砂=スサ」ですので、その王(支配者)の名が神話になることもあるでしょう。

現代においても、この「奥出雲」ではたたら操業が行われており、金屋子神は篤く崇敬されています。

 




『仰支斬里(かみきり)神社』

風土記記載社。
“「カミキリ」という名は、八百万の神がスサノヲ命を高天原から地上に追放する際の天罰、「髪切り・爪切り」に由来する”(仰支斬里神社 由緒板より)



そして、最後に参拝させていただいたのは・・・

『金屋子神社』

こちらは雲南市吉田村。
今回ご当地隊をしていただいたTさんのご実家の神社になります。



「奥出雲」「たたら」・・・今回の『神社おそうじ隊 見参!』の最終参拝地に、これほどピッタリの神社もありません。
全員で、心を込めて参拝させていただきました。



すぐ近くに雲南吉田IC。
「道の駅 たたらば壱番地」にて、“ままたまご”のプリンを堪能
かなり美味しいです





次回、総括


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2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その7

2016年12月29日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-29 | 出雲 2016

『湯野神社』

大己貴命 少彦名命 他三柱を御祭神とする。
『出雲国風土記』にも記載があるという、歴史の古い神社。
亀嵩温泉における医薬の守護神して崇敬される。


「砂の器」のロケ地としても有名。



『玉峰山森林公園』

玉峰山は、一般に『出雲国風土記」の玉造の神が宿る信仰の山として知られています。
この写真では、不動明王像の背後に見える二つコブの山。


「雄滝」




『鬼神神社』

御祭神 五十猛尊(いそたけるのみこと) 素戔嗚尊(すさのおのみこと)

「五十猛」という神は、古事記には登場せず、日本書紀や先代旧事本紀に記載のある神。
素戔嗚の御子神として知られます。
その「五十猛尊」の御陵地(お墓)が、「鬼神神社」から少し登った場所にあります。


この案内板の奥に、碑が立っていました。



けっこうな急勾配。



鬼神神社・岩船
奥出雲では「岩船大明神」で呼ばれています。


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2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その6

2016年12月28日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-28 | 出雲 2016

『飯石神社』
式内社。

御祭神 伊毘志都幣命(いいしつへのみこと)

御祭神の天降られた磐座を御神体としています。
天穂日命の御子であり、出雲国造の御祖神に当たる。
そのため、例祭は千家出雲国造ご参向のうえ執り行われるといいます。


境内社 託和神社(出雲国風土記記載)
御祭神 吉備津彦命
 



 
『狭井神社』



『大森神社』
御祭神 大穴牟遅命



『粟谷神社』(出雲国風土記記載)
主祭神 吉備津彦命



『木次神社』
式内社。
風土記に「支須支(きすき)社」として記載。
御祭神 大巳貴命 武御雷命


 
宿泊先、玉峰山荘にて。

奥出雲。
夜は、ゆっくりと深くなっていきました。。。

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2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その5

2016年12月26日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-26 | 出雲 2016


『佐太神社』は、出雲国二ノ宮、最も古式を遺すとされる「神在祭」で知られます。

「神在祭(じんざいさい)

旧暦十月、一般には神無月といいますが出雲國では八百万の神々がお集まりになることから神在月(かみありづき)と呼んでいます。正中殿の御祭神伊奘冉(いざなみ)尊が神去りました旧暦十月、八百万の神々が母神を偲び当社に参集すると伝え、祭の期間中は神楽も上げぬ、厳粛な禁忌の祭であることから「お忌祭」ともいいます。殊に当社の祭は出雲國数社に伝わる神在祭の中でも最も古くから行われてきた祭でその次第も約五百年前の当社社記とほぼ同じ内容で今日に到るまで執り行われていることから宗教学、民俗学等の面からも注目されています」(「佐太神社」御由緒より抜粋)

文献的には、かつては陰暦十月十一日から二十五日まで行われたとされます。
現在は新暦十一月二十日に神迎、二十五日に神送となっており、今回の『神社おそうじ隊 見参!』では、神迎神事に参列させていただきました。

その神事は一切秘音。
本殿付近は注連縄が張り巡らされ、執り行う神職以外は誰も近づけないようにされます。

漆黒の静寂の中、ただ粛々と執り行われる神事。
日本における「神」、その在り方が連綿と継承されてきたその様を、この眼、この耳、全身で体感させていただきました。


神事が終わり、宮司による質疑応答。
相当な緊張の続く神事であることが、その様子から伺われました。


翌日、
佐太大神生誕地とされる加賀の潜戸(かかのくけど)へ向かう前に、早朝参拝。

本殿が三殿に分かれており、正殿、北殿、南殿で、佐陀三社ともされます。
それぞれに御祭神が鎮座され、

正殿:佐太大神 伊弉諾尊 伊弉冉尊 速玉男命 事解男命
北殿:天照大神 瓊々杵尊
南殿:素盞嗚尊 秘説四座

とご由緒にはありますが、時代によって一定ではありません。


神社前にて「けんぽうなし」を、皆で購入。


ご祈祷を受け、


「龍蛇神」についてひとしきり神職の方にお話をいただきました。


正中殿の神紋の「扇(おうぎ)」は、龍蛇神の尻尾の斑紋を、左右両殿の神紋の「亀甲(きっこう)」と「輪違(わちがい)」は、龍蛇神の全身を覆う鱗形を表している、とのこと。
『神社おそうじ隊 見参!』的には、こうした説明はいつからなのだろうと思ってしまいますが・・・。


そして、「加賀の潜戸(くけど)」へ。



結局、洞窟の中には海の状態が思わしくなく入れず、でした。
とはいえ、やはり大いに揺れる船の上というのは臨場感があります。


佐太大神に関しては、様々な説があります。
その一つ、猿田彦命の「猿田」を「サタ、サダ」と解して佐太大神とする説は知られており、今回乗せていただいた船でも佐太大神を猿田彦命と説明されていました。
ただこれは明治維新後のことで、神祇官からの命でこのようにせよと命じられた当時の神社側は、頑として拒んだといいます。
そのため、明治5年の新社格制度において「郷社」扱いという事態に陥ったのだそうです。
大正14年に国幣小社に列するまで、神社としては相当な辛酸を嘗めてきたことは、想像に難くありません。

〝出雲國三大社の一つとして杵築(きずき=出雲大社)、熊野、鎌倉時代においても杵築、日御崎とともに「佐陀大社」と称えられた御社です。〟

とウェブサイトにあります。
『出雲國風土記』によれば、佐太大神は、熊野大神、野城大神、大穴持命とともに出雲の四大大神
加賀の潜戸で生まれ、古くから導き、道開き、航海、そして地鎮の神として崇敬されてきたといいます。
この辺り、猿田彦命と近いことから、同神説が根強いのかもしれませんね。

「サダ」は、そもそもは島根半島を意味すると考えられ、「狭田」と「岬」の二つの説があります。
こうしたことから、「佐太大神」というのは本来は土着の神、ということになるのかもしれません。。。







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2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参! 2016』その4

2016年12月20日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-20 | 出雲 2016

『出雲大社』

写真は、大国主命御神像。
幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)の「おかげ」を戴き、神性を養われて「ムスビの大神」となられた時の像、とされています。
松の参道を抜け、銅鳥居の手前にあります。


こちらは、「御慈愛の御神像」。
兎、そして大国主命の像となります。

有名な因幡の白兎の神話はじめ、兎(うさぎ)は何かと出雲に関わります。
先だっての「裏出雲」もそうでした。
「御慈愛」…この言葉も、この像と関連すれば色々な解釈ができますね。。。


さて、今回の「出雲大社」参拝。
実は・・・



の写真のように、厚い雲に覆われ、いつ雨が降ってもおかしくはない状況でした。
とはいえ、参拝者は多く、

 

御朱印いただくのも大変

前の2回(こちらこちら)と今回で違うのは、遷宮の前か後かということ。
60年ぶりの平成の大遷宮によって生まれ変わった社を初めて拝見できました





御本殿裏、素鵞社にもキチンと参拝。
その周囲には、
 
後ろに千家家などのネーム入りの兎像多数
カップルであるものもあれば、単体のものもあり…
とりあえず、実際の人間のカップルや女性参拝者には大人気のようで、人だかりになっていました。
『神社おそうじ隊 見参』的には、これだけのモニュメントをこの位置に配するということは…と思いますが、まあ、それはそれです

そのほか、神楽殿やその裏にも参拝。

 




途中、稲佐の浜に立ち寄り…





『日御碕神社』
日の暮れる少し前に到着。


「ここのところ、海からのエネルギーが強い」
…今回ご当地隊としてさまざまにお世話いただいたお二人は、このように言われていました。


海底神殿などなど、出雲についても、まだまだわからないことだらけです。
そもそも、「神話の実証性は乏しい」とつい最近まで、出雲に王朝があったという説は軽視され続けてきました。
1984年荒神谷遺跡、1996年には加茂岩倉遺跡など相次ぐ遺跡の発見などで、ようやくその本来の姿がクローズアップされてきた、というのが現状。

いま知る歴史は、100年後には全く違うものになっているかもしれません。
「歴史」とは、そういうものですよね。
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2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参! 2016』その3

2016年12月18日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-18 | 出雲 2016

『物部神社』

石見国一宮。
古式を今に残す「鎮魂祭(みたましづめのまつり)」で知られる。

御祭神 宇摩志麻遅命(ウマシマヂノミコト)
白い鶴に乗り降臨されたとされる物部氏の祖神。



その威容、まさに「物部」。





三瓶埋没原生林→ 那売佐神社を経て・・・




『長浜神社』

国引きの神「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」を主祭神とする神社。
そもそもは妙見社・妙見大社と呼称され、 長浜神社とは明治以降からの名称だといいます。
通称は、いまでも「妙見さん」。

肥後の八代妙見、山城の家苗妙見と並び日本三大妙見とされる、という説もあります(異説あり)。



ここから、出雲大社に。
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2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参! 2016』その2

2016年12月03日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-03 | 出雲 2016

『大祭天石門彦神社』
「おおまつりあめのいわとひこ」と読みます。

御祭神 手力男神 建御名方神
石見三宮。

古伝の特殊神事が継承されている神社。
贄狩祭であり、鹿を供える。
御祭神 建御名方神の諏訪よりの勧請は承和2年(835)とされているが、この祭りとの関連性はどのようなものなのだろう。




『大麻山(おほまやま)神社』

御祭神 天日鷲命 猿田彦命 大麻比古命

標高599メートルの大麻山(たいまさん)の、頂上近くの山腹に鎮座。
式内社。
社伝では、その創建を阿波国・忌部神社、大麻比古神社の祭神を勧請(889)したことに求める。
しかし、本来の創建はさらに古いのではないだろうか。



『三階山神社』

御祭神 天照大神 月読命 須佐之男命

三貴子全てを祀る神社。
御神紋は、太陽、月、星。





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2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参! 2016』その1

2016年11月29日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-11-29 | 出雲 2016


敬意感謝
『神社おそうじ隊 見参!』の活動開始当初から、大切にしてきたこの2つの言葉。

ちょうど3年前に、このような記事を書いていました
上記記事から3年が経過した今も、根幹のところではいささかも変わってはいません。



上の写真は「加賀の潜戸(くけど)」
島根県松江市北部、日本海に面する潜戸鼻にある海岸景勝地であり、『出雲国風土記』に佐太大神がここでお生まれになったと記される地です。
海が穏やかであるならば、この洞窟内を通り抜けることができたのですが、今回は残念ながら洞窟の外からの参拝
実際に海に出てみると、いやいや、揺れる揺れる

初日には、



石見神楽を、温泉津温泉にて拝観。
なかなかの迫力でした



そして、「加賀の潜戸」の前日夜には、出雲国二ノ宮・佐太神社『神在祭・神迎え神事』に。
漆黒の闇の中、一切秘音にて執り行われる神事に参列いたしました。

・・・これらをはじめ、出雲・石見をギュッと濃密に巡拝。
本来寒いはずの時期にもかかわらず、歩いていると汗すら滲むほどの暖かかさにも恵まれました

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参加概要

初年度は神奈川県を中心に隔月ペースで各所に見参、4年目を迎えた今年も磐座・巨石参拝をメインに見参中。周る神社やルートなどの行程詳細はお問い合わせください。見参地は決まり次第、ブログやホームページで随時発信してゆきますので、どうぞご確認下さい。

※ 基本事前振込
■ 参加費 日帰り参加:5,000円 2日間:15,000円 3日間:25,000円
■ 中途参加・離脱の場合 : 2日間:10,000円 3日間:20,000円
※ 車出しをお願いした場合など金額に変動があります。詳細はお問合せ下さい。
▼ 前日キャンセルの場合参加費の10%を頂きます。
▼ 就学児以上の年齢による参加費の変動はありません
▼ 現地までの交通費+宿泊費+食事代諸費用は個人負担となります
▼ レンタカーを借りた場合は中途参加・離脱に関わらず人数割(ガソリン代含む)

■ 宿泊手配など詳細はお申込み後ご連絡させて頂きます
◎ 歩きやすい靴、服装、荷物軽量でご参加ください
◎ 御朱印帳をお持ちの方はご持参ください

Planetary Work

神聖なものとは、神社など特定の場所だけに宿っているわけではなく、すべてのものにそれは純然と在りて在るもの。人もまた然り。人が集う場所、物も然り。 それらが生かされるうちに自然に重なる“つみ=包み” “けがれ=気枯れ”を清祓いさせていただくことにより、すべて=宇宙からの慈愛のエネルギーが降り注がれ循環∞し、必要な人・場所・物との縁を結び、縁あるすべてが活性化することの援けをさせて頂きます。

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