『尾張一宮・真清田神社』当社の鎮座は、社伝によれば神武天皇33年。古代悠遠の当国の開拓と日を同じくするものと伝わっています。文化は古来、大河の流域に発達するといいますが、尾張国一宮の文化も、木曽川の流域とその開拓によって開けたものです。
当社は、平安時代、国家から国幣の名神大社と認められ、神階は正四位上に叙せられ、尾張国の一宮として、国司を始め人々の崇敬を集めました。鎌倉時代には、順徳天皇は当社を崇敬され、多数の舞楽面をご奉納になりました。その舞楽面は、現在も、重要文化財として当社に保存されています。
江戸時代には、徳川幕府は神領として、朱印領333石を奉りました。また、尾張藩主徳川義直は、寛永8年(1631)当社の大修理を行う等、崇敬を篤くしました。明治18年には国幣小社、大正3年に国幣中社に列し、皇室国家から厚待遇を受けました。戦後は、一宮市の氏神として、一宮市民はもちろん、尾張全体及び近隣からも厚い信仰心を寄せられ今日に至っています。
尚「一宮市」の名称も当社が尾張国一宮であることに由来しており、全国で「一宮」の名称を冠する自治体は1市6町に及びますが市制のひかれている自治体は当社の鎮まります一宮市だけです。(真清田神社ウエブサイトより抜粋)
前日は、熱田神宮およびその摂社・末社を中心に。
この日は、尾張ノ國一宮・真清田神社を中心に。
…このような巡拝スタイルとなった今回の「尾張見参!」。
そうなると、朝食はやっぱり一宮市で。
なぜならば、愛知を中心として岐阜や三重は、全国的にも知られる喫茶店文化があります。
特に名古屋市は、1世帯当たりの年間喫茶代は1万2757円(2005年・総務省家計調査)と、全国平均を2倍以上も上回り堂々トップということです。
コーヒー代だけであれこれと出てくるモーニング…その発祥は、実はこの一宮市。
…ということで、やってきました。
「茶音 姫」。
この但し書きがまた秀逸。
コーヒー代で、これだけ出てきます。
朝から、老いも若きもそれぞれがコーヒーを飲みリラックスしながら井戸端会議…。
こういう文化が根付いているならば、老人の孤独が少なくとも社会問題にまでなることもそうそうないような気もいたします…。
さて、朝食後は「真清田神社」へ向かい、その境内。
服織神社
八龍神社・厳島神社
三八稲荷神社
続いて…
「中嶋宮・酒見神社(清酒醸造元祖の社)」式内社で、旧社格は郷社。
倭姫命が滞在した「中嶋宮」の跡とされ、元伊勢の一つとなっています。
「元伊勢」とは、現在地へ遷る以前に一時的にせよ伊勢神宮が祀られた…という伝承を持つ神社や場所をいいます。
この「元伊勢」伝承にロマンをかきたてられ、全国の「元伊勢」を巡拝する人々は後を絶たないようです。
ちなみに、酒見神社は「今伊勢市」にあります。
「石槽(いわふね)」実際に酒を醸造するのに使った、という。
境内には、熊野権現社、秋葉社、水神社、天王社、などが祀られていました。
そして、
「賀茂神社」。
こちらは、当初全く予定になかった神社。
ではなぜ、参拝させていただいたかというと…
今回の「ほぼご当地隊」Kさんの一族の源流にあたる(であろう)地域の氏神様であるからです。
「玉乃井稲荷神社」そして、もうひとつの「尾張一宮」である
『大神(おおみわ)神社』。
奈良県桜井市、日本史上でも稀にみる古社・大神神社と同神(大物主神)を祀るとされる。
大和(現在の奈良県)から移り住んだ人々による創始とも、尾張氏祖神・天火明命(アメノホアカリノミコト)を祀っていた、ともいわれる。
いわゆる「一宮」にも、いろいろあることを再確認。
この「大神神社」と同じ宮司様の管轄。
「大神社」
今回、思い出深い神社のひとつ。
お昼は、名古屋といえばやっぱり…のひとつ。
「山本屋本店・一宮インター北店」にて。
やはり、美味しい…。