神社おそうじ隊、見参!公式ブログ

カタチ以前にある「いのち」への感謝。 天の恵み 地の恵みへの感謝を、一緒にお届けしませんか?

神社おそうじ隊、見参!

人のカラダは宇宙そのもの。 そして人のカラダは神聖な魂が宿る神社そのもの。
新世紀の「神社」認識とは、その土地に存在する神社だけを指すのではなく、人そのものが神社、すなわち 「 動くパワースポット 」。 その大切な社(やしろ)である肉体、そして人の思考や行動が調和で満たされることにより、関わる全てが明らかなる変容を遂げます。 自らの心身を健やかに保ち自己実現することこそ、関わるすべての人・場所・物の保持する磁場が健やかに保たれることとなり、それすなわち地域が、日本が、そして地球が、太陽系が、そして宇宙にまで、その調和波動が遍く届いてゆくこととなります。
「共生・協調・調和」 をメインコンセプトに、 神職介添えのもと『 社(やしろ)』そのものである“ 人・場所・物 ”に神道的アプローチにより働きかけ、それに連なる地域→日本→世界→地球→宇宙の調和が図られる、というのが Planetary Work の種子。 一人一人小宇宙である実体を、神社などの縁ある土地に運ばせていただき、相互交流させていただくことにより、つつみ気枯れが祓われ、人も土地も物もすべてが本来の輝きを放つ、というのが神社おそうじ隊の種子。 すべての意と土地と人とを、神職が那珂執り持ちさせていただいています。
現在日本全国各所に鋭意見参中。 清祓ワーク、及び清祓ノ儀での御玉串料、およびワーク代は、プラネタリーワーク活動支援費として運用させていただいており、その一部は神社おそうじ隊が活動する中で、全国の地域・神社に納めさせていただいております。


 

☆2015.3.18~20 『神社おそうじ隊 吉備見参!』その5

2015年04月11日 | 2015.3.18~20 岡山 吉備



『サムハラ神社』(津山市)
大阪府大阪市西区「サムハラ神社」奥宮とされる。
2015年正月明けに参拝させていただいた(「ひとりでおそうじ隊」と云ってます)。
その神威の独特さに感応したその時には、奥宮参拝、つまり今回の『吉備見参!』を決めていました


大阪「サムハラ神社」



「…田中富三郎が岡山県の荒廃した祠宇を昭和十年に再興したことに始まる。自らが戦地で九死に一生を得た体験から「サムハラ」の文字の護符としての力に気づき、小判型のお守りを作成し、無料配布する。しかしこうした布教活動によって、取り締まり当局によって無許可神社を賄賂拡張に利用したとの嫌疑をかけられ、建立しゃ社殿も十一年に撤去焼却処分となった。しかし戦争中も出征兵士にお守りを贈る活動を続け、戦後二十六年に宗教法人法による法人となり、社殿も再建。三十七年社殿を現在地に移す。富三郎の死後、養子の田中好一が後継…」(「神道事典」より引用)
※文中「サムハラ」は漢字の「サムハラ」のこと。
※また「社殿を現在地…」というのは、岡山から大阪へ、ということ。

「サムハラ」という名称の由来には諸説あり、、元はサンスクリット語の「シャンバラ」である、言霊、数霊…などなど。
また、合気道開祖・植芝盛平翁も、「天叢雲九鬼(あめのむらくもくき)サムハラ竜王大神」に感応して神人合一の啓示を受けた…などとも伝わっており、植芝家、合気道の守護神であるそうです。



さまざま云われ、伝えられておりますが…
『神社おそうじ隊 見参!』的な見解としては、『神聖四文字(テトラグラマトン)』に着目。

真実は隠される…とよくいいますが、果たして本当にそうなのか?
確かにそういう面もあるのは否めないものの、そうとばかりもいえない。

あまりにもあからさまになっているからこそ、見えなくなってしまうことというのも、あるだろう。
あまりにも当たり前だからこそ、真っ直ぐに「それ」が見れなくなってしまうことも、あるだろう。

『神社おそうじ隊 見参!』として、2011年4月から多くの神社を巡拝させていただいてきました。
その、大きなテーマであったことの答えのひとつに、ここでようやくにしてたどり着けたように、思います。




この「サムハラ神社」は、現在では日詰山の「金刀比羅神社」の境内社になっています。

   
ひたすら階段を上がったその先に鎮座。

 

  






この日は、まず湯郷温泉の鎮守である…

1、湯神社を参拝。

  


主祭神は、大己貴神 少彦名神

そのあと、上記金刀比羅神社(サムハラ神社)へ。

次いで、
3、美作国二宮・高野神社へ。
津山市で最も祭祀の歴史が古いと伝わっているとのこと。



主神  彦波限武鵜葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと) (神武天皇の御父君)
相殿  鏡作命  (中山神社)
    大己貴命 (総 社)

現在は「タカノ」と読まれるが、かつては「コウヤ」「カウヤ」と読んでいた。
現在の御祭神の総本宮とされる九州のウド神宮が一時は【西の高野(コウヤ)】とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていたこともありそのまま現在の名前が付いたとも言われている。
「高野神社」ウェブサイトより)

  
本殿は、入母屋造・妻入を特徴とする中山造




そして、名称同様に、とっても不思議な…
4、魔法神社


(参考「魔法様」

  


民間信仰の奥深さを、こうした神社とご縁いただくと垣間見ることができます。
「タヌキ」…よく云ったものです。


5、木野山神社
別名「オオカミ神社」、数少ない狼信仰の神社。


御祭神 大山祇尊 豊玉彦命 大巳貴尊

山頂は奥宮らしく、両側に末社が鎮座。
山峰、渓谷、雨を掌る高寵神(たかおかみ)、闇寵神(くらおかみ)を祀る。

  


次なる機会には、ぜひ奥宮へ。


『神社おそうじ隊 吉備見参!』は、ここまで。

かつて、「吉備」は強大な国であり、ヤマト政権に対抗した部族同盟の盟主だった、とされます。
その気風、地の気、流れている雰囲気には、その痕跡が色濃く感じられました。

いづれ再訪したいと、思っております。

今回ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました


☆2015.3.18~20 『神社おそうじ隊 吉備見参!』 その4

2015年04月06日 | 2015.3.18~20 岡山 吉備

4、宗形神社(赤磐市)



延喜式内社であり、宗形三女神を祀る。






5、血洗瀧神社



この瀧の水は枯れた事のない清い水といわれ、名称は八岐大蛇を倒した素戔嗚尊が、この瀧で剣を洗ったという伝説に由来する。




6、二上神社


 



岡山県久米郡の二上山に位置する。
御祭神は、伊奘諾命 伊奘冉命
この神社のすぐ下、両山寺にて《日本最後のシャーマン祭り》といわれる「護法祭」が毎年8月に行われている。


7、美作国一宮・中山神社




主祭神 鏡作神(かがみつくりのかみ)
鏡作部の祖神 石凝姥神の御神業を称えた御名だとされる。
天の岩戸隠れの際に、天照大神を招き出すための鏡を作った神。

中山神社の鳥居は、1791年(寛政3年)の作。
高さは約11メートル。花岡岩製。
両柱を支える貫はあるのですが、その柱より出た部分=木鼻がまったくないため全国的に珍しく評価されています。
(「おかやま旅ネット」より転載)


『梁塵秘抄』において、安芸の厳島、備中の吉備津と並び称される神社。


樹齢八百年、祝木の欅。


本殿は、国指定文化財、単層入母屋造妻入・桧皮葺。
美作の多くの神社の模範となっているという。



猿神を祀る「猿神社」。
毎年一度生贄として若い娘を欲する猿神は、ある時旅の若者に倒された…その若者と娘は結ばれる…さて、どこかで聞いた話によく似ているな…。
現在は猿田彦神として祀られているそうだが、そうなのだろうか…?

この日の巡拝はここまで。
最後なので、ちょっと脱線して…


中山神社参道にある酒蔵に。
蛇足ながら、「美作(みまさか)」という名称は地名から、美真坂から、備朔からなどの説があるという。
そのなかに「甘酒(うまさか)」というのもあるそうで…。




☆2015.3.18~20 『神社おそうじ隊 吉備見参!』 その3

2015年04月04日 | 2015.3.18~20 岡山 吉備

二日目。
前日より止むことなく降りしきる雨。
うねるがごとき龍神の気配…。

1、和気神社



「古くは和気氏一族の氏神として遠祖 鐸石別命(ぬでしわけのみこと)が祀られ、和気神と称せられていた。天正19年(1591)に数町川下にあった社殿が大雨で流されたため、現在地に遷座した。
後に弟彦王(おとひこおう)、和気清麻呂公、和気広虫姫を祭神に加え、清麻呂公の高祖父佐波良(さわら)命、曽祖父伎波豆(きはず)命、祖父宿奈(すくな)命、父乎麻呂(おまろ)命を奉祀していた国造神社を合祀した。」

御祭神

鐸石別命
第11代垂仁天皇の皇子で和気氏の始祖。

弟彦王
鐸石別命の曾孫で神功皇后の三韓征伐の際、反乱をおこした忍熊王を和気関で平定し藤野県(現岡山県和気郡)を与えられ土着した。

佐波良命・伎波豆命・宿奈命・乎麻呂命
和気氏の先祖で備前美作両国の国造。国造神社として別に祀られていたが、のちに合祀された。
「和気神社」ウェブサイトより


2014年10月に、「宇佐見参!」にて拝した宇佐神宮。
和気清麻呂公は、いわゆる「道鏡事件」として語り継がれる出来事の際、宇佐八幡宮(現宇佐神宮)に勅使として詣で、その時の神託により国難を救った、とされる人物。
また清麻呂公は、備前美作両国の国造でもある。


  






2、由加神社(和気町)
倉敷に本宮のある「由加神社」。
厄除けで知られています。

和気氏をはじめ、藤原氏、宇喜多氏、池田氏等、有力者の崇敬を受け、殊に播磨・備前・摂津守護であった赤松氏の崇敬が篤かった…と伝えられる。
創建年代は不詳、しかし790年(延歴9年)、和気清麻呂が社殿を再建し、氏祖・弟彦王を配祀、由加八幡宮と称したという伝承がある。
この神社には、創建時より伝えられた祈祷が数多く残っているという。


 




ここで、私と参加者Fさんは、思いもしない方との懐かしい再会を果たした。




3、備前国一宮・石上布都魂神社


御祭神 素戔嗚命

明治期までは、御祭神は「十握剣(とつかのつるぎ)」であったという。

出雲国において、素戔嗚命が八岐大蛇を退治したとされる、その剣。
酔わせた大蛇の尾から出てきた剣が『草薙剣』であり、大蛇を切ったのが『十握剣』。
「一握」が小指から人差し指までの長さといわれることから、「十握」は大体八十センチメートル程ではないかと、推測される。
この剣は別名「蛇の麁正(おろちのあらまさ)」「蛇の韓鋤(からさい)」「天蠅斫(あまのははきり)」といわれている。

「日本書紀」の「一書(あるふみ)」において、「其の素戔嗚尊の蛇を切りたまへる剣は、今吉備の神部(かむとものお)の許に在り」とあり、それがこの「石上布都魂神社」だと、いわれている。
「吉備温古秘録」によれば、素戔嗚尊が剣を収めたのはここに間違いないことで、崇神天皇の御代に、大和国・石上神宮に移されたことになっている。


わかりにくい山道を抜け、入り口・拝殿・奥宮への入山口



神職の方は不在、というか、ほとんどここには来ないような様子で、御朱印が拝殿の隅に置いてある状態。
これが、一国の〝一ノ宮〟の現実…さて、〝一ノ宮〟とは、果たして何だろう。。



参道を登山すること15分~20分程度で、奥宮に到着。



龍雨降りそそぐなか、大祓詞を全員で奏上。








☆2015.3.18~20 『神社おそうじ隊 吉備見参!』 その2

2015年04月01日 | 2015.3.18~20 岡山 吉備


『吉備津神社・国宝本殿拝殿』
室町時代造営、桧皮葺の入母屋を二つ重ねた『比翼入母屋造り』という、他に類例を見ない様式。

雨足強まる最中、『鳴釜神事』で知られる吉備津神社へ。






本殿横から伸びる廻廊は、約400メートル。



吉備津神社と吉備津彦神社で、吉備の中山を両側から挟むように鎮座。
この山の重要性が、このことからも窺い知れる。


日本の「五大御伽話」というと、

「猿蟹合戦」、「舌切雀」、「花咲爺」、「かちかち山」、そして「桃太郎」、といわれます。
これがほぼ現在の形に結集されたのは、江戸時代半ばの「雛乃宇計木」である、ということになっています。
このうち、岡山といえばやはり「桃太郎」

この「雛乃宇計木」では、

「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に、川上から大きな桃がどんぶらこと流れてきて、おばあさんはそれを家に持ち帰り…」

というところまでは同じであるけれど、このあとは桃を食べた二人が若返って子供を作った、という話になっているといいます
また別説では、桃から男の子は生まれた、けれど、そこで物語は終了、とも。
現在のような形で、英雄譚として世間に広く認知されるようになったのは、さまざまな改訂があったのちの物語が国定教科書に採用されたことがどうやら大きいようです。

「桃」とは、何か?

古来より、邪気を祓う霊力を宿す植物として重宝されてきた「桃」は、「古事記」においてイザナミノミコトに追いかけられるイザナギノミコトが黄泉比良坂で投げつけた有名な場面で使われています。
「桃」の「兆」には肇(はじめ)いう意味があり、妊娠の兆しが現れる時に食べる木の意から生まれたともいわれています。
「桃」は、いわば「生」の象徴であり、それゆえに「桃太郎伝説」を形成するうえで、イメージに叶ったのでしょう。

「温羅(うら)=鬼」は、「死」を象徴します。
「鬼」を「桃」によって征伐する…まさに、格好のアイテムですね。。


  




いづれの機会に再拝を期し、全員で参拝。
この日はここまで、でした。



☆2015.3.18~20 『神社おそうじ隊 吉備見参!』 その1

2015年03月25日 | 2015.3.18~20 岡山 吉備



昔話として「桃太郎」を知らない人は(たぶん)いないでしょう。
その「桃太郎」伝説の本拠地、岡山県は、その昔は「吉備ノ国」と云っていました。
「吉備(きび)」は、現在の岡山県全域、および広島県の東部までを含む国であり、備前・備中・備後・美作と4つの国に分割されるまでは一つの国だった…。


今回、『神社おそうじ隊 見参!』として、ここ「吉備」を見参することにしたのは、「ある神社」とのご縁が大きい。
…といっても、その神社は有名でもなければ、とある別の神社の「境内社」に過ぎないので、わざわざ調べなければまず行き着くこともない、小さな神社。

しかし、この神社を契機として「吉備」を調べ出すと…いや、はっきりいって、こんなにも奥深いとは、よもや思ってもいませんでした
参拝する神社の、その先々で触れる神威の勢いとともに、行けば行くほど先が見えなくなっていくような…そういう妙な感覚がありました。

3日間の行程のうち、半分は雨、それもけっこう強く降られましたし、大陸からやってくる黄砂の影響も尋常ではありませんでした
しかし、不思議と「また訪れたい」と思わずにはいられないという…オモシロき国・吉備

ご神縁、感謝いたします。


1、宗忠神社


黒住教の教祖 黒住宗忠を祀る神社。

《…「心に悪いと思うことを決して行わず、善きことのみを実行する」との厳しい目標を自らに課して"神になる"道を歩んだ宗忠でしたが、数えて33歳の時、かけがえのない両親が流行病でわずか1週間の内に相次いで亡くなり、その悲しみがもとで当時不治の病といわれた肺結核に侵され、2年後には明日をも知れない状態に陥りました。

死を覚悟した宗忠は、文化11年(1814年)1月の厳寒の朝、幼いころから両親とともに毎朝手を合わせてきた日の出を拝みました。
この"最期の日拝"の祈りの中に、宗忠は知らず知らずのうちに大変な親不孝をしていたことに気づき、せめて心だけでも両親が安心する人間に立ち戻らねばならないと大きく心を入れかえました。
この世との別れの日拝は、新たな"生"への祈りに転回したのです。この心の大転換により、宗忠の暗く閉ざされた心の中に陽気な感謝の気持ちがよみがえり、その結果わずか2カ月で不治の病を完全に克服しました。
その年の11月11日、この日は昔から「一陽来復」と称され、物事が新たに始まる時とされてきた冬至の日でした。安永9年の冬至の朝に誕生した宗忠が、死の淵を乗り越えて34回目の誕生日をこの日迎えたのです。…》(宗忠神社ウェブサイトより引用)


  



ご祈祷も受けさせていただきましたが、大変清々しい祓いでした。


2、備前一宮・吉備津彦神社


昼食時に降り出した雨は、「吉備津彦神社」に到着した辺りで本格化。
雨の境内は、かつての「吉備ノ国」へとタイムスリップしたかのような錯覚を起こす要素に、満ち溢れていました。

御祭神・大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)→比古伊佐勢理毘古命のこと。

元々は「気比(きび)太神宮」と呼ばれていたそうです。
備前国が吉備国から分割された折に、この吉備の中山の東の麓に奉斎されたようですね。

「吉備の中山」には荘厳な磐座が数多く祀られており、神の山として人々からの崇敬を集めている山であり、別面からみれば豊富な鉄の産地として知られています。
歌の枕詞に「真金吹く~」とあれば「~吉備の中山」へ続く、とされるほどだった、そうです

「鉄」資源が産出するか否か、は、その国の行く末に深く関係します。
それはいまでも、そう大きくは変わっていない…ですけれど。。

  






『温羅神社』
鬼神とも、百済の皇太子だっとも、さまざまな説のある「温羅」を祀る神社。
「吉備津神社」のところで、詳しく。

 
『卜方神社』


『子安神社』


『天満宮』




『亀島神社』
神池に浮かぶ亀島に鎮座する水の女神。


ここから、吉備中山を登山。
備前側から、といいつつも、入ったのは宗忠神社の本部脇。

  



「穴観音」「ダイボーの足跡」
 
  

『元宮磐座』

『鏡岩』

雨の中、人は誰もおらず、ただ深々とした静寂の中での参拝となりました。


参加概要

初年度は神奈川県を中心に隔月ペースで各所に見参、4年目を迎えた今年も磐座・巨石参拝をメインに見参中。周る神社やルートなどの行程詳細はお問い合わせください。見参地は決まり次第、ブログやホームページで随時発信してゆきますので、どうぞご確認下さい。

※ 基本事前振込
■ 参加費 日帰り参加:5,000円 2日間:15,000円 3日間:25,000円
■ 中途参加・離脱の場合 : 2日間:10,000円 3日間:20,000円
※ 車出しをお願いした場合など金額に変動があります。詳細はお問合せ下さい。
▼ 前日キャンセルの場合参加費の10%を頂きます。
▼ 就学児以上の年齢による参加費の変動はありません
▼ 現地までの交通費+宿泊費+食事代諸費用は個人負担となります
▼ レンタカーを借りた場合は中途参加・離脱に関わらず人数割(ガソリン代含む)

■ 宿泊手配など詳細はお申込み後ご連絡させて頂きます
◎ 歩きやすい靴、服装、荷物軽量でご参加ください
◎ 御朱印帳をお持ちの方はご持参ください

Planetary Work

神聖なものとは、神社など特定の場所だけに宿っているわけではなく、すべてのものにそれは純然と在りて在るもの。人もまた然り。人が集う場所、物も然り。 それらが生かされるうちに自然に重なる“つみ=包み” “けがれ=気枯れ”を清祓いさせていただくことにより、すべて=宇宙からの慈愛のエネルギーが降り注がれ循環∞し、必要な人・場所・物との縁を結び、縁あるすべてが活性化することの援けをさせて頂きます。

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