神社おそうじ隊、見参!公式ブログ

カタチ以前にある「いのち」への感謝。 天の恵み 地の恵みへの感謝を、一緒にお届けしませんか?

神社おそうじ隊、見参!

人のカラダは宇宙そのもの。 そして人のカラダは神聖な魂が宿る神社そのもの。
新世紀の「神社」認識とは、その土地に存在する神社だけを指すのではなく、人そのものが神社、すなわち 「 動くパワースポット 」。 その大切な社(やしろ)である肉体、そして人の思考や行動が調和で満たされることにより、関わる全てが明らかなる変容を遂げます。 自らの心身を健やかに保ち自己実現することこそ、関わるすべての人・場所・物の保持する磁場が健やかに保たれることとなり、それすなわち地域が、日本が、そして地球が、太陽系が、そして宇宙にまで、その調和波動が遍く届いてゆくこととなります。
「共生・協調・調和」 をメインコンセプトに、 神職介添えのもと『 社(やしろ)』そのものである“ 人・場所・物 ”に神道的アプローチにより働きかけ、それに連なる地域→日本→世界→地球→宇宙の調和が図られる、というのが Planetary Work の種子。 一人一人小宇宙である実体を、神社などの縁ある土地に運ばせていただき、相互交流させていただくことにより、つつみ気枯れが祓われ、人も土地も物もすべてが本来の輝きを放つ、というのが神社おそうじ隊の種子。 すべての意と土地と人とを、神職が那珂執り持ちさせていただいています。
現在日本全国各所に鋭意見参中。 清祓ワーク、及び清祓ノ儀での御玉串料、およびワーク代は、プラネタリーワーク活動支援費として運用させていただいており、その一部は神社おそうじ隊が活動する中で、全国の地域・神社に納めさせていただいております。


 

和ノ道プロジェクト 新ブログ移行

2017年01月01日 | 今後の予定

2017年以降の 和ノ道プロジェクト 活動の詳細は

 

新ブログ 和ノ道プロジェクト公式ブログ

に記事アップしてゆきます。

 

 

どうぞ宜しくお願い致します。

 

 


神社おそうじ隊、見参!2016年スケジュール

2016年12月31日 | 今後の予定

和道プロジェクト 神社おそうじ隊、見参!

社おそうじ隊は、箒や布巾を持参して神社をお掃除する集まりではありません

全国の神社へと、自分という「神社」を運び、その場での意識の奥深くで起きる相互交流によって、
そこに更なる「輝き」が生まれてきます。
モノ、コト、ヒト、自然、日本、地球、宇宙・・・
わたし達が生きているということは、取り巻くすべての関わりの中で
生かされているということでもあるのでしょう。

すべてへの感謝と敬意をこめ、「いのり」をご一緒に。

どなたでも参加できます 詳細はコチラ     お問合せ・お申込みはコチラ


神社おそうじ隊、見参! LOG

2016年12月30日 | 今後の予定

これまでの活動

2011  2012 2013
2/22 相模国@津久井市:白山神社
4/14・15・16 伊勢
6/14 相模国@横須賀
6/22 夏越清祓ワーク
8/19 相模国@鶴見
8月 仙台  
9/13・14 出雲
10/2 清祓ノ儀@サロンOPEN
10/4 相模国@秦野
8/19 相模国@鶴見
12/12 清祓 『 大祓の儀 』






1/25 皇居
2/21 相模国@一之宮
         寒川神社・大山神社
4/14・15・16 出雲
4/28 清祓ノ儀@事務所移転
5/30 相模国@横須賀ご当地隊
6/14 相模国@鎌倉
6/27 夏越清祓
8/28・29・30 近江@ご当地隊
10/14・15・16 熊野
12/20 清祓






1/7 皇居見
1/13・14 近江特別編@賀茂神社
    『馬・競馬・乗馬』安全祈願大祭
2/9・10 常盤@旧暦元旦新月
3/20・21 京都@鞍馬・貴船・伏見
4/2 日立@桜
4/21・22・23 奈良@番外編
5/11・12 (仙酔島) 
6/5・6 福島@ご当地隊
6/20 夏越清祓
8/7・8 諏訪
9/22・23・24 出羽@番外編 月山登拝
10/17・18 愛知@神嘗祭
11/4・5・6 宮島@ご当地隊
12/11・12 香川・高松
12/17 大清祓2013
 
2014 2015 2016

1/7 皇居
2/1・2・3 出羽王祇祭
2/21・22 東京ディズニーシー+房総  
3/20・21 春分の日
    淡路島@伊弉諾神宮ほか  
4/23・24 大阪春の陣
    石切劔箭神社・磐船神社ほか  
5/17 (群馬榛名山)
6/8・9・10 隠岐の島11広島   
6/20(金) 夏越清祓ワーク 
8/26・27・28(火水木)
    長野見参! 戸隠・皆神・諏訪 ほか
9/22~25(月~木) おそうじリトリート@久高島
10/28・29・30日(火水木) 宇佐神宮ほか
11/27・28(木金) 伊勢
12/22(月) 清祓ノ儀:清
    旧暦11月1日朔旦冬至 新月

1/8 皇居
2/18・19・20(水木金) 沖縄
2/22 神社おそうじ隊、見参!4周年
3/8 清祓ノ儀:和 個人様宅
3/18・19・20(水木金) 岡山サムハラ
4 宮島・広島下見
5/26・27・28・29(火水木金) 宗像・山口
5/8 春日大社・御蓋山本宮神社特別登拝
6/22 夏至 清祓ノ儀
9/28 東京十社前編
10/10 清祓ノ儀:和 個人様宅
10/15~18 京都ゾクチェン
12/20 東京十社後篇
12/22 大祓ノ儀:清


 

・ 1月 
・ 2月 7・8 旧暦元旦新月 熱海・箱根見参!
・ 2月 18・19 企業様大阪事務所清祓ノ儀:和
・ 2月 22日 おそうじ隊5周年6年目突入♪
・ 3月 11日 3.11 慈悲と祷りの冥想会
・ 4月 伊豆山神社、見参!
・ 5月 富士山見参!
・ 6月 夏越清祓ノ儀
・ 7月 京都裏出雲見参!
・ 8月 
・ 9月 
・10月 出雲
・11月 
・12月 大祓ノ儀:清

 

 

 

 


2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その9

2016年12月29日 | 2016.11.19〜22 出雲

2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その9

2017-01-10 | 出雲 2016



あまりにも明らかだからこそ、わからないこと。
いつもそこにあるからこそ、気づけないこと。
そういうモノやコトは、実は日常にもたくさんあります。


たとえば、正月などには神社や仏閣に参拝…このような習慣になっている現代の日本人は、一般的に神社参拝時には「二礼二拍一拝(礼)」します。
賽銭箱の前などに作法が書いてあることも多くあるし、みんながそうしている。
なんとなく、そういうものだと思って、していますよね?

誰もが一度は「なぜ、それが決まりなのか?」と思うことはあるでしょう。
でも、そう思うと同時に「その決まりには何かの意味がある」などの思考が出てきてます。
そして、それ以前の一瞬の疑問を打ち消し、ないことになってしまう。

この「なんとなく」の疑問はずっと頭の片隅に残りつつも、特に自分にとって意味があるワケでもなく、特に自分にとって利益不利益をもたらすワケでもないように思える性質の疑問であるので、多くは放りっぱなしにしてしまいます。

たとえば、出雲大社(いづもおおやしろ)では「二礼四拍一拝(礼)」が作法です。
出雲大社だけでなく、同じく「四拍」を作法とする有名な神社としては、宇佐神宮、熊野神社、弥彦神社などがあります。

この違いの意味を、たとえば出雲大社では

「・・・4拍手をする理由ですが、当社で最も大きな祭典は5月14日の例祭(勅祭)で、この時には8拍手をいたします。数字の「8」は古くより無限の数を意味する数字で、8拍手は神様に対し限りない拍手をもってお讃えする作法です。ただし、8拍手は年に1度の例祭(勅祭)の時のみの作法としています。平素、日常的には半分の4拍手で神様をお讃えする4拍手の作法としていますが、お祈りお讃えするお心に差はありません。」(出雲大社ホームページ/よくある質問より)

と、説明していますが・・さて。

もちろん、ネット上では無数の「推測」はなされていますが、「数字」だけに、奥は深い。
「礼」と「拝(礼)」との間に「拍」を置く…そういえば、この理由も、はっきりと明確にはされていませんね。
…というよりは、そもそも日本においては、「神社に参拝する」、ということの真の意味すら明らかでないのだから、仕方ないのかもしれません。

ちなみに、二拍に制定されたのは、戦後です。




出雲には「美保神社」という神社があります。
今回は参拝しておりませんが、出雲を知るうえで重要な神社の一つです。

御祭神は、三穂津姫命(ミホツヒメノミコト) 事代主神(コトシロヌシノカミ)。
ミホツヒメノミコトは、高天原の高皇産霊命の御姫神で、大国主神の御后神。
コトシロヌシノカミは、大国主神の第一の御子神にして「エビスさま」として、現代でも親しまれています。
このコトシロヌシノカミは、御皇室における宮中八神のうちの一神として、国津神としては唯一祀られています。

コトシロヌシノカミの御神紋は、三つ巴です。

出雲大社と同じ四拍、宇佐神宮・二之御殿、比売大神の御神紋も、三つ巴。
ちなみに、二之御殿とはいいつつ、社殿は一之御殿と三之御殿の中央に位置します。
神社において、この中央に位置するということの意味は、けっこう深かったりします。
比売(ヒメ)というと一般に女性を指す、という認識がありますが…この認識自体、一体いつからなんでしょう?

また、琉球王朝の神紋も「三つ巴」。
ちなみに、「契丹古伝」に記された、ユーラシアに降臨した東大神族(しうから)の天祖、琉球の始祖の名は「スサノオ」
「おそうじリトリート」「沖縄見参」、久高島でも、いろいろお話伺いました。




今回も参拝させていただいた、「佐太神社」の御神紋。

「扇地紙」「輪違」「亀甲」。
どこをどう見て龍蛇神の尻尾の斑紋なのかはわかりませんが、神社の公式ガイドでは「扇」はそうなっています。
そして、「輪違」「亀甲」は鱗と・・・。
少し前までは、正中殿の扇は、佐太神社神宝の「御檜扇」を 象ったもの、という見解だったそうです。
では、なぜそれが「神宝」なのか?というと、なかなかわかりにくい。

けれど、

「扇」は、女性器そのもののシンボル。
「輪違」は、Vesica piscis(ヴェシカ・パイシス)=偉大なる母。
「亀甲」は、亀=玄武(尻尾は大蛇)=六芒星。
(ちなみに、出雲大社の御神紋も「亀甲」、出雲の主な神社には「亀甲」が使われています)

としてみると、如何でしょう?
佐太神社のイメージも、だいぶ違ったものになるでしょうか?

佐太神社の神迎神事は、秘音。
この神事こそ、古より変わることなく伝承されている神事です。
ここにおいては、〝なぜ「秘音」でなければならないのか?〟
それは内容なのか、それともそのコトバなのか・・・

古代、祭祀は国において最も重要なる行事であったといわれます。
現代においては「迷信」「形式の継承」というイメージで片付けられてしまうようになっていますが・・・さて、その本質に些かの変容はないと思っているのは、私だけでしょうか?




この『神社おそうじ隊 見参!』の、5年間のここまでの活動において、実にさまざまな気づきがありました。
日本という国がどういう国で、なぜこれほどに多様で、バラバラなのにすぐに統制がとれ、普段いくら自分勝手でも何かの際には他者を慮ることができるのか・・・などなど。
そのすべてをここに明らかにするには、あまりにも「・・・」なのでできませんが、上記の記述から、ある程度察していただければ幸いです。

そして、「出雲」はやはり、いろいろな意味で鍵となることも今回改めて感じ得ました。
特に、奥出雲はオモシロイ。

ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました
関東からだけでなく、広島や大分からも参加者のありましたし、また地元のお二人には2011年、2012年に引き続き、今回もご当地隊として下見や宿泊先の決定などに尽力いただきました。
本当にありがとうございました




さて、今回でこのブログへの神社関係の記事の投稿は最後になります。
これからは「神社おそうじ隊 見参! 公式ブログ」へのアップとなりますので、もしよろしければそちらを御覧ください。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました


2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その8

2016年12月29日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-30 | 出雲 2016

『金屋子神社』

御祭神 金山毘古命 金山毘賣命

2012年以来、2度目の参拝となりました。
こちらのサイトにあるように、ここ安来市広瀬町の『金屋子神社』は、たたら製鉄の総本社。

鉄を制するものが、国を制す。
弥生時代の初期に始まったとされる鉄器の加工。
出雲が王国となりその権勢を誇った、その原動力に「鉄器」があったことは想像に難くありません。
弥生中期には砂鉄(朱砂)が主流となったということですが、「朱砂=スサ」ですので、その王(支配者)の名が神話になることもあるでしょう。

現代においても、この「奥出雲」ではたたら操業が行われており、金屋子神は篤く崇敬されています。

 




『仰支斬里(かみきり)神社』

風土記記載社。
“「カミキリ」という名は、八百万の神がスサノヲ命を高天原から地上に追放する際の天罰、「髪切り・爪切り」に由来する”(仰支斬里神社 由緒板より)



そして、最後に参拝させていただいたのは・・・

『金屋子神社』

こちらは雲南市吉田村。
今回ご当地隊をしていただいたTさんのご実家の神社になります。



「奥出雲」「たたら」・・・今回の『神社おそうじ隊 見参!』の最終参拝地に、これほどピッタリの神社もありません。
全員で、心を込めて参拝させていただきました。



すぐ近くに雲南吉田IC。
「道の駅 たたらば壱番地」にて、“ままたまご”のプリンを堪能
かなり美味しいです





次回、総括



2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その7

2016年12月29日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-29 | 出雲 2016

『湯野神社』

大己貴命 少彦名命 他三柱を御祭神とする。
『出雲国風土記』にも記載があるという、歴史の古い神社。
亀嵩温泉における医薬の守護神して崇敬される。


「砂の器」のロケ地としても有名。



『玉峰山森林公園』

玉峰山は、一般に『出雲国風土記」の玉造の神が宿る信仰の山として知られています。
この写真では、不動明王像の背後に見える二つコブの山。


「雄滝」




『鬼神神社』

御祭神 五十猛尊(いそたけるのみこと) 素戔嗚尊(すさのおのみこと)

「五十猛」という神は、古事記には登場せず、日本書紀や先代旧事本紀に記載のある神。
素戔嗚の御子神として知られます。
その「五十猛尊」の御陵地(お墓)が、「鬼神神社」から少し登った場所にあります。


この案内板の奥に、碑が立っていました。



けっこうな急勾配。



鬼神神社・岩船
奥出雲では「岩船大明神」で呼ばれています。



2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その6

2016年12月28日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-28 | 出雲 2016

『飯石神社』
式内社。

御祭神 伊毘志都幣命(いいしつへのみこと)

御祭神の天降られた磐座を御神体としています。
天穂日命の御子であり、出雲国造の御祖神に当たる。
そのため、例祭は千家出雲国造ご参向のうえ執り行われるといいます。


境内社 託和神社(出雲国風土記記載)
御祭神 吉備津彦命
 



 
『狭井神社』



『大森神社』
御祭神 大穴牟遅命



『粟谷神社』(出雲国風土記記載)
主祭神 吉備津彦命



『木次神社』
式内社。
風土記に「支須支(きすき)社」として記載。
御祭神 大巳貴命 武御雷命


 
宿泊先、玉峰山荘にて。

奥出雲。
夜は、ゆっくりと深くなっていきました。。。


2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その5

2016年12月26日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-26 | 出雲 2016


『佐太神社』は、出雲国二ノ宮、最も古式を遺すとされる「神在祭」で知られます。

「神在祭(じんざいさい)

旧暦十月、一般には神無月といいますが出雲國では八百万の神々がお集まりになることから神在月(かみありづき)と呼んでいます。正中殿の御祭神伊奘冉(いざなみ)尊が神去りました旧暦十月、八百万の神々が母神を偲び当社に参集すると伝え、祭の期間中は神楽も上げぬ、厳粛な禁忌の祭であることから「お忌祭」ともいいます。殊に当社の祭は出雲國数社に伝わる神在祭の中でも最も古くから行われてきた祭でその次第も約五百年前の当社社記とほぼ同じ内容で今日に到るまで執り行われていることから宗教学、民俗学等の面からも注目されています」(「佐太神社」御由緒より抜粋)

文献的には、かつては陰暦十月十一日から二十五日まで行われたとされます。
現在は新暦十一月二十日に神迎、二十五日に神送となっており、今回の『神社おそうじ隊 見参!』では、神迎神事に参列させていただきました。

その神事は一切秘音。
本殿付近は注連縄が張り巡らされ、執り行う神職以外は誰も近づけないようにされます。

漆黒の静寂の中、ただ粛々と執り行われる神事。
日本における「神」、その在り方が連綿と継承されてきたその様を、この眼、この耳、全身で体感させていただきました。


神事が終わり、宮司による質疑応答。
相当な緊張の続く神事であることが、その様子から伺われました。


翌日、
佐太大神生誕地とされる加賀の潜戸(かかのくけど)へ向かう前に、早朝参拝。

本殿が三殿に分かれており、正殿、北殿、南殿で、佐陀三社ともされます。
それぞれに御祭神が鎮座され、

正殿:佐太大神 伊弉諾尊 伊弉冉尊 速玉男命 事解男命
北殿:天照大神 瓊々杵尊
南殿:素盞嗚尊 秘説四座

とご由緒にはありますが、時代によって一定ではありません。


神社前にて「けんぽうなし」を、皆で購入。


ご祈祷を受け、


「龍蛇神」についてひとしきり神職の方にお話をいただきました。


正中殿の神紋の「扇(おうぎ)」は、龍蛇神の尻尾の斑紋を、左右両殿の神紋の「亀甲(きっこう)」と「輪違(わちがい)」は、龍蛇神の全身を覆う鱗形を表している、とのこと。
『神社おそうじ隊 見参!』的には、こうした説明はいつからなのだろうと思ってしまいますが・・・。


そして、「加賀の潜戸(くけど)」へ。



結局、洞窟の中には海の状態が思わしくなく入れず、でした。
とはいえ、やはり大いに揺れる船の上というのは臨場感があります。


佐太大神に関しては、様々な説があります。
その一つ、猿田彦命の「猿田」を「サタ、サダ」と解して佐太大神とする説は知られており、今回乗せていただいた船でも佐太大神を猿田彦命と説明されていました。
ただこれは明治維新後のことで、神祇官からの命でこのようにせよと命じられた当時の神社側は、頑として拒んだといいます。
そのため、明治5年の新社格制度において「郷社」扱いという事態に陥ったのだそうです。
大正14年に国幣小社に列するまで、神社としては相当な辛酸を嘗めてきたことは、想像に難くありません。

〝出雲國三大社の一つとして杵築(きずき=出雲大社)、熊野、鎌倉時代においても杵築、日御崎とともに「佐陀大社」と称えられた御社です。〟

とウェブサイトにあります。
『出雲國風土記』によれば、佐太大神は、熊野大神、野城大神、大穴持命とともに出雲の四大大神
加賀の潜戸で生まれ、古くから導き、道開き、航海、そして地鎮の神として崇敬されてきたといいます。
この辺り、猿田彦命と近いことから、同神説が根強いのかもしれませんね。

「サダ」は、そもそもは島根半島を意味すると考えられ、「狭田」と「岬」の二つの説があります。
こうしたことから、「佐太大神」というのは本来は土着の神、ということになるのかもしれません。。。








2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参! 2016』その4

2016年12月20日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-20 | 出雲 2016

『出雲大社』

写真は、大国主命御神像。
幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)の「おかげ」を戴き、神性を養われて「ムスビの大神」となられた時の像、とされています。
松の参道を抜け、銅鳥居の手前にあります。


こちらは、「御慈愛の御神像」。
兎、そして大国主命の像となります。

有名な因幡の白兎の神話はじめ、兎(うさぎ)は何かと出雲に関わります。
先だっての「裏出雲」もそうでした。
「御慈愛」…この言葉も、この像と関連すれば色々な解釈ができますね。。。


さて、今回の「出雲大社」参拝。
実は・・・



の写真のように、厚い雲に覆われ、いつ雨が降ってもおかしくはない状況でした。
とはいえ、参拝者は多く、

 

御朱印いただくのも大変

前の2回(こちらこちら)と今回で違うのは、遷宮の前か後かということ。
60年ぶりの平成の大遷宮によって生まれ変わった社を初めて拝見できました





御本殿裏、素鵞社にもキチンと参拝。
その周囲には、
 
後ろに千家家などのネーム入りの兎像多数
カップルであるものもあれば、単体のものもあり…
とりあえず、実際の人間のカップルや女性参拝者には大人気のようで、人だかりになっていました。
『神社おそうじ隊 見参』的には、これだけのモニュメントをこの位置に配するということは…と思いますが、まあ、それはそれです

そのほか、神楽殿やその裏にも参拝。

 




途中、稲佐の浜に立ち寄り…





『日御碕神社』
日の暮れる少し前に到着。


「ここのところ、海からのエネルギーが強い」
…今回ご当地隊としてさまざまにお世話いただいたお二人は、このように言われていました。


海底神殿などなど、出雲についても、まだまだわからないことだらけです。
そもそも、「神話の実証性は乏しい」とつい最近まで、出雲に王朝があったという説は軽視され続けてきました。
1984年荒神谷遺跡、1996年には加茂岩倉遺跡など相次ぐ遺跡の発見などで、ようやくその本来の姿がクローズアップされてきた、というのが現状。

いま知る歴史は、100年後には全く違うものになっているかもしれません。
「歴史」とは、そういうものですよね。

2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参! 2016』その3

2016年12月18日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-18 | 出雲 2016

『物部神社』

石見国一宮。
古式を今に残す「鎮魂祭(みたましづめのまつり)」で知られる。

御祭神 宇摩志麻遅命(ウマシマヂノミコト)
白い鶴に乗り降臨されたとされる物部氏の祖神。



その威容、まさに「物部」。





三瓶埋没原生林→ 那売佐神社を経て・・・




『長浜神社』

国引きの神「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」を主祭神とする神社。
そもそもは妙見社・妙見大社と呼称され、 長浜神社とは明治以降からの名称だといいます。
通称は、いまでも「妙見さん」。

肥後の八代妙見、山城の家苗妙見と並び日本三大妙見とされる、という説もあります(異説あり)。



ここから、出雲大社に。

2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参! 2016』その2

2016年12月03日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-12-03 | 出雲 2016

『大祭天石門彦神社』
「おおまつりあめのいわとひこ」と読みます。

御祭神 手力男神 建御名方神
石見三宮。

古伝の特殊神事が継承されている神社。
贄狩祭であり、鹿を供える。
御祭神 建御名方神の諏訪よりの勧請は承和2年(835)とされているが、この祭りとの関連性はどのようなものなのだろう。




『大麻山(おほまやま)神社』

御祭神 天日鷲命 猿田彦命 大麻比古命

標高599メートルの大麻山(たいまさん)の、頂上近くの山腹に鎮座。
式内社。
社伝では、その創建を阿波国・忌部神社、大麻比古神社の祭神を勧請(889)したことに求める。
しかし、本来の創建はさらに古いのではないだろうか。



『三階山神社』

御祭神 天照大神 月読命 須佐之男命

三貴子全てを祀る神社。
御神紋は、太陽、月、星。






2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参! 2016』その1

2016年11月29日 | 2016.11.19〜22 出雲

 

2016-11-29 | 出雲 2016


敬意感謝
『神社おそうじ隊 見参!』の活動開始当初から、大切にしてきたこの2つの言葉。

ちょうど3年前に、このような記事を書いていました
上記記事から3年が経過した今も、根幹のところではいささかも変わってはいません。



上の写真は「加賀の潜戸(くけど)」
島根県松江市北部、日本海に面する潜戸鼻にある海岸景勝地であり、『出雲国風土記』に佐太大神がここでお生まれになったと記される地です。
海が穏やかであるならば、この洞窟内を通り抜けることができたのですが、今回は残念ながら洞窟の外からの参拝
実際に海に出てみると、いやいや、揺れる揺れる

初日には、



石見神楽を、温泉津温泉にて拝観。
なかなかの迫力でした



そして、「加賀の潜戸」の前日夜には、出雲国二ノ宮・佐太神社『神在祭・神迎え神事』に。
漆黒の闇の中、一切秘音にて執り行われる神事に参列いたしました。

・・・これらをはじめ、出雲・石見をギュッと濃密に巡拝。
本来寒いはずの時期にもかかわらず、歩いていると汗すら滲むほどの暖かかさにも恵まれました


『神社おそうじ隊 出雲見参! 2016』参加者募集のお知らせ

2016年10月09日 | 今後の予定
2016-10-09 | 神社おそうじ隊 2016


2011年、2012年と、過去2度に渡る『神社おそうじ隊 出雲見参!
『神社おそうじ隊 見参!』活動開始からまもない時期に、日本の(裏の)歴史の中で大きな意味を持つ「出雲」を巡拝できたことは、実にありがたいことでした

たとえば、そのあとの2012年秋に番外編として巡拝した「熊野」や、2014年夏の「諏訪」などは直接的にそのルーツは「出雲」に繋がります。
2013年春の「奈良」においても、また、今年の夏の「京都・裏出雲」においても、もちろん同様です。
そして、一般的な認識からすれば、どこでどう深くつながるのかなかなか分かりにくいであろう「吉備(岡山)」は、随所にその繋がりの深さを垣間見ることができました。

「おそうじ隊」の本意は、あくまでも自らの「おそうじ」
歴史の、いわゆる「謎解き」は全く本意ではないとはいえ、その場に実際に身と心を運ぶことで必然的に巻き起こる「?」や「!」。
それが翻って自らの潜在意識に転換をもたらすことの妙は、やはり、その「場」に降り立ったその時の自らの意識、そしてそこに纏わる集合的意識の為せるワザ、といえるのかもしれません

さて、今回は、

『出雲国二ノ宮 神在の社  佐太神社』

での神迎神事をメインに、出雲大社ほか各神社を巡拝いたします。
佐太の神在は、文献上最も古くから行われている…との記述もあります。
2012年にこちらの神社を参拝させていただいた際に、実に様々な不可思議を体感しました。
今回の「神在神事」、個人的にも興味深いところです。
また、船が出航可能であれば、佐太大神生誕地とされる加賀の潜戸(かかのくけど)へも見参いたします。
時期的に晴天であることと、風が凪であることが出航の条件だそうなので、そこは当日になってみないと分かりませんが

 



よろしければ、ご参加ください



期日:11月20日(日)〜22日(火)

『神社おそうじ隊 見参!』についての詳細はこちらを参照ください。
お問い合わせは tamuratic@tamulab.info
お申し込みは  こちらからお願いいたします。

2016.7.6 『滋賀・京都プチ見参!』 その2

2016年07月20日 | 2016.7.6 滋賀・京都

  
『大将軍神社』(東山)

 
『大将軍神社』(北区・西賀茂)



『御靈神社(上御霊神社)』

平安遷都に際し、延暦13年(794)桓武天皇が平安京の守護として崇道天皇(早良親王)の御神霊を祀ったのが起源とされ(詳細は不明)、その後仁明、清和天皇時代をへて7柱が合祀。
現在の祭神は、

崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子)
井上大皇后(光仁天皇の皇后)
他戸親王(光仁天皇の皇子)
藤原大夫人(藤原吉子、桓武天皇皇子伊予親王の母)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文屋宮田麿)
火雷神(以上六柱の荒魂)
吉備大臣(吉備真備)

御霊信仰、古来より疫病や災厄除の霊社として知られる。



『下御霊神社』

当社は平安時代に冤罪を被り亡くなられた貴人の方々の怨霊を御霊(ごりょう)として、その当時からお祀りしてまいりました神社です。疫病災厄を退散し、朝廷と都をお守りする神社として崇敬されてきました。
(「下御霊神社」ウェブサイトより抜粋)

御祭神

本殿
 吉備聖霊(きびのしょうりょう)
 崇道天皇(すどうてんのう)     皇太子 早良親王(さわらしんのう) 桓武天皇同母御弟
 伊豫親王(いよしんのう)         桓武天皇皇子
 藤原大夫人(ふじわらのだいふじん)  桓武天皇夫人 伊豫親王御母 藤原吉子
 藤大夫(とうだいぶ)            藤原廣嗣(ふじわらひろつぐ)
 橘大夫(きつだいぶ)           橘逸勢(たちばなはやなり)
 文大夫(ぶんだいぶ)           文屋宮田麻呂(ぶんやみやたまろ)
 火雷天神(からいのてんじん)

相殿

 霊元天皇(れいげんてんのう)


「御靈神社(上御霊神社)」「下御霊神社」とも、創建年代は明らかではないのですが、しかし、どちらも中世以来朝廷や貴族の崇敬が厚いことで知られています。
「御霊信仰」という言葉が日本にはありますが、この両神社は、まさにその「御霊」を「御霊」として祀る神社です。
京都の夏の祭りは、多くが「御霊会(ごりょうえ)」です。
華やかに、賑やかに、出店がたくさん出て、夏の風物詩で…というのは、あくまでも「祭り」の表面に過ぎません。
そうすることは、本当は何が目的であるのか・・・「御霊会」という言葉には、その意味が示されているように思います。




『平野神社』

式内社 官幣大社

平安京遷都頃まで創建が遡るとされる神社で、近年の研究によると、元々は桓武天皇生母の高野新笠の祖神(桓武天皇外戚神)として平城京に祀られた神祠であったが、それが平安京遷都に伴って大内裏近くに移し祀られたことに始まると推測されている。古代には皇太子守護の性格を持ち、平安時代には例祭「平野祭」において皇太子自らにより奉幣が行われた。また、多くの臣籍降下氏族から氏神として歴史的に崇敬された神社としても知られる。(Wikipedia)

【御祭神四座】
今木皇大神(いまきすめおおかみ) 源気新生、活力生成の神
久度大神 (くどのおおかみ)    竈の神、生活安泰の神
古開大神 (ふるあきのおおかみ) 邪気を振り開く平安の神
比賣大神 (ひめのおおかみ)   生産力の神

創建当時は1.5Km四方と、御所に匹敵する広大な境内を誇っていたといいます。
現在は東西で200メートル前後だということですが、それでも相当に広いのは事実。
全国的に「桜の名所」として有名で、毎年4月に桜花祭(桜祭神幸祭)が行われています。



京都の中心部を駆け足で巡拝したカタチになりました。
この日も、ご一緒いただいた皆様、本当にありがとうございました

京都(みやこ)は、やはり「都」です。
いづれじっくり、腰を据えて、巡拝したいと、思います


2016.7.6 『滋賀・京都プチ見参!』 その1

2016年07月18日 | 2016.7.6 滋賀・京都
2016-07-18 | 神社おそうじ隊 2016

『建部大社 近江国一之宮』

式内社 官幣大社
御祭神 ヤマトタケルノミコト(日本武尊・倭武命)
8月に行われれる船幸祭で知られる。

前夜、滋賀・大津の瀬田の唐橋のすぐ近くのAさんのご実家にて、セッション。
美味しい鳥料理をいただき、そのまま現地に宿泊。
翌朝、京都に向かうその前に参拝。

相変わらず境内は掃き清められ、地元の方の参拝も絶え間ない。

一之宮というのは、一般的には「その地域(国)で最も社格の高い神社」といわれます。
しかし、こうして日本各地で参拝してみると、時に荒廃して「本当にここが一之宮なの?」という神社もあるし、また参拝者の多い「一之宮」では、時に不遜とも思える態度をとられることもままあります。

ただ淡々と、日々のお祀りに勤しむ。
『建部大社』を参拝させていただくと、その事の意味を感じさせていただきます。



『北野天満宮』

全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社。
菅原道真公をご祭神としてお祀りし、天神信仰発祥の地として知られる。


楼門と拝殿の間に建つ『三光門』
「星欠けの三光門」として天満宮の七不思議の一つに挙げられていますね。
副長のこの記事において、その不思議は解明。
星は、ウサギに挟まれていました。


   




『大将軍八神社』

「当社は平安京造営の際、陰陽道に依り大内裏(御所)の北西角の天門に星神 「大将軍堂」を建て 方位の厄災を解除する社として創建されたという。創建当初は陰陽道のお堂として建てられた為「大将軍堂」と称し江戸時代に入り 大将軍村の鎮守社として祀られる様になった。又、その頃からそれまでの北斗妙見信仰から太白精の信仰に移り暦神と習合して 「大将軍八神宮」とも称した。

祭神は古来の日本の神ではなく大将軍一神を祀っていたが、 明治時代に「神仏分離令」によって 神道を国教とし現在の形「素盞鳴尊、その御子五男三女神、並びに 桓武天皇を合祀」となり、御子八神と暦神の八神が習合して以後社名は「大将軍八神社」という。

祭神を素盞鳴尊とした理由は 、 1433年伏見宮貞成親王の日記「看聞御記」より、大将軍堂は1340年から約100年の間祇園社 (現 八坂神社)の管理下にあった。 八坂神社の祭神が素盞鳴尊であり、 その神格が大将軍神と似通っている事から関連付けられたと思われる。」
(「大将軍八神社」ウェブサイトより抜粋)




『今宮神社』

中御座 : 大己貴命(おおなむちのみこと)
東御座 : 事代主命(ことしろぬしのみこと)
西御座 : 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)

「当社地には平安建都以前より疫神(えきしん)を祀る社があったといわれる。建都ののち平安京が都市として栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれた。今宮社の紫野御霊会もその一つである。すなわち、一条天皇の御代正暦五年(994)六月、当社地の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。これが紫野御霊会であり今宮祭の起源である。」(「京都神社庁」ウェブサイトより抜粋)

通称「玉の輿神社」。

あぶり餅、食べ損ねました…

参加概要

初年度は神奈川県を中心に隔月ペースで各所に見参、4年目を迎えた今年も磐座・巨石参拝をメインに見参中。周る神社やルートなどの行程詳細はお問い合わせください。見参地は決まり次第、ブログやホームページで随時発信してゆきますので、どうぞご確認下さい。

※ 基本事前振込
■ 参加費 日帰り参加:5,000円 2日間:15,000円 3日間:25,000円
■ 中途参加・離脱の場合 : 2日間:10,000円 3日間:20,000円
※ 車出しをお願いした場合など金額に変動があります。詳細はお問合せ下さい。
▼ 前日キャンセルの場合参加費の10%を頂きます。
▼ 就学児以上の年齢による参加費の変動はありません
▼ 現地までの交通費+宿泊費+食事代諸費用は個人負担となります
▼ レンタカーを借りた場合は中途参加・離脱に関わらず人数割(ガソリン代含む)

■ 宿泊手配など詳細はお申込み後ご連絡させて頂きます
◎ 歩きやすい靴、服装、荷物軽量でご参加ください
◎ 御朱印帳をお持ちの方はご持参ください

Planetary Work

神聖なものとは、神社など特定の場所だけに宿っているわけではなく、すべてのものにそれは純然と在りて在るもの。人もまた然り。人が集う場所、物も然り。 それらが生かされるうちに自然に重なる“つみ=包み” “けがれ=気枯れ”を清祓いさせていただくことにより、すべて=宇宙からの慈愛のエネルギーが降り注がれ循環∞し、必要な人・場所・物との縁を結び、縁あるすべてが活性化することの援けをさせて頂きます。

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