大阪城公園の野鳥 元山裕康のこんなん出てます!

●●情報も含めた速報です●●( 詳しくはそれぞれご確認を)

6/19。思い出が増える。

2010年06月19日 | Weblog
 雨の中、朝風呂から帰ると雨は上がってうっすらと日差しも。

 昼食後、大阪城公園へ向かう。昼食の酒で酔っている。雨上がりで非常に蒸し暑い。鳥影は薄い。
 ヒヨドリの騒ぐ声と、シジュウカラのさえずり。ギュルギュルと鳴き堀を渡るムクドリ。1羽も見逃さない・・・なーんて気がない。
 昨日サンコウチョウが見られたと聞く教育塔裏でも何も出会わない。

 酔っ払いの散歩。頭の中を思いが。 ぐるぐるめぐって、今晩はサッカー 「オランダ戦」だ。

 自動車が好きで、F-1レースのファンだった。鈴鹿サーキットや富士スピードウエイにも観戦に出かけた。
 当時読んだ本に、世界で最も多くの観客が見ているスポーツは、①オリンピック ②F-1レース ③サッカーワールドカップとあった。

 自動車好きの私は、③のサッカーって何? 野球の方が上じゃない!くらいの知識 ②のF-1にさすが・・!と感嘆。
 事故で亡くなったが、レーシングドライバー アイルトン・セナの年収は、当時で100億と言われている。
 ファンから反発をくらうかもしれないけど、ゴルフ、野球、サッカーなんて桁が違う。 F-1は命をかけての勝負だからだ。

 どんなスポーツでも 「命をかけて頑張る!」 とインタビュ―に答えるが、実際にセナはレース中の事故で亡くなった。
 その日、セナの写真を飾り、照明を付けず、暗い部屋で 「スクエア」 を流し、輪ゴムを燃やしてレーシングカーのタイアの焦げる匂いの中、「モエエ・シャンドン」をあけた。
 涙を拭かずに泣きながら酔った。

 ブラジルに着いた、セナの遺体を乗せた飛行機には、数十機のブラジル空軍の戦闘機が出むかえた。サッカーのペレやジーコ以上のブラジルの英雄だった。
 試合中のサッカーの中継は中止され、ブラジルのすべてのマスコミはセナの悲報を伝えた。
 次の第4戦モナコGPで、PPのグリッドは空けられて、そこにブラジル国旗がペイントされていた。

 鈴鹿の130Rを、限界で通過して行くセナの姿は今も目に焼き付いている。あの時も命をかけていたんだ。いつも。セナはそうだったんだ。

 当時使っていたニコンのフィールドスコープには、セナのヘルメットのシールを貼っていた。鈴鹿サーキットで買ったもの。緑に黄色と青のブラジル国旗だ。
 
 それからしばらくして、そのスコープは鳥友にプレゼントした。
 その後、転居した彼は今も使っているだろう。北海道でブラジル国旗のシールが貼ってあるスコープを見たら、思い出してほしい。
 その人に、私の名前を伝えて声をかけていただいてもいい。朴訥ないい男だ。

●今日の観察種。
 メジロ、シジュウカラ、カワウ、コサギ、カルガモ、キジバト、ヒヨドリ、スズメ、ムクドリ、ハシボソガラス、ハシブトガラス。
 


 
 

 
 
コメント
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