(01)
例へば、
① REX FILIO LIBRUM DAT.
① 王が 息子に 本を 与へる。
① 主格 与格 対格 述語動詞.
に於いて、
① 王が(主格)、息子に(与格)、本を(対格)、
といふ「3つの格」は、「等しく、平等に」、
① 与へる(述語動詞)
に対する、「補語」である。
従って、
(02)
① 王が(主格)、息子に(与格)、本を(対格)、
といふ「3つの格」の中で、
① 王が(主格) だけを、「特別なモノ」として、
① 王が(主語) とすることは、出来ない。
然るに、
(03)
① 王が(主格)、
に対して、
② 王は(題目)、
である。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 王が(主語)、息子に、本を、与へる。
② 王は(主語)、息子に、本を、与へる。
ではなく、
① 王が(主格)、息子に、本を、与へる。
② 王は(題目)、息子に、本を、与へる。
であるため、
① 王が、息子に本を与へる。
② 王は、息子に本を与へる。
といふ「日本語」には、「主語」が無い。
従って、
(01)~(04により、
(05)
「三上文法」からすると、
「王が」と「王は」の「違ひ」は、
「主格」と「主題」の「違ひ」である。
といふ、ことになる。
従って、
(06)
「三上文法」からすると、
「私が」と「私は」の「違ひ」は、
「主格」と「主題」の「違ひ」である。
といふ、ことになる。
然るに、
(07)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(08)
③ 理事長は私です。
の「対偶(Contraposition)」は、
④ 私以外は理事長ではない。
である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 私が、理事長です。
③ 理事長は、私です。
④ 私以外は、理事長ではない。
に於いて、
②=③=④ である。
然るに、
(10)
④ A以外はBでない。
といふ「命題」を、「排他的命題(Exclusive proposition)」といふ。
従って、
(09)(10)により、
(11)
② 私が、理事長です(排他的命題)。
③ 私以外は、理事長ではない(排他的命題)。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(07)(11)により、
(12)
① 私は、理事長です(排他的命題でない)。
② 私が、理事長です(排他的命題である)。
に於いて、
①=② ではない。
従って、
(12)により、
(13)
①「私は」は「排他的命題の主語」ではなく、
②「私が」は「排他的命題の主語」である。
従って、
(06)(13)により、
(14)
①「私は(主題)」は「排他的命題の主題」ではなく、
②「私が(主格)」は「排他的命題の主格」である。
然るに、
(15)
①「私は(主題)」が「排他的命題の主題」ではなく、
②「私が(主格)」が「排他的命題の主格」である。
といふ際の、「その理由(必然性)」が、私には、「見当も、付かない。」
然るに、
(07)により、
(16)
三上章先生自身は、
①「私は(主題)」が「排他的命題の主題」ではなく、
②「私が(主格)」が「排他的命題の主格」である。
といふことに、気付いてさへ、ゐない。
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