日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(467)「対偶」と「は・が」と「三上文法」と「述語論理」。

2020-01-18 13:29:21 | 象は鼻が長い、述語論理。

(01)
であって、Bである。
② Bであって、である。
に於いて、
①=② である。
cf.
交換法則(commutative law)」といふ。
従って、
(02)
① Aであって、でない。
でなくて、Aである。
に於いて、
①=② である。
従って、
(03)
①(Aであって、Bでない。)といふことはない。
②(Bでなくて、Aである。)といふことはない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
①(Aであって、Bでない。)といふことはない。
②(Bでなくて、Aである。)といふことはない。
といふことは、「順番」に、
③ Aであるならば、Bである。
④ Bでないならば、Aでない。
といふことに、他ならない。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
③ Aであるならば、Bである。
④ Bでないならば、Aでない。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(06)
(a)
1  (1)~(A&~B)  A
 2 (2)  A      A
  3(3)    ~B   A
 23(4)  A&~B   23&I
123(5)~(A&~B)&
       (A&~B)  14&I
12 (6)   ~~B   35RAA
12 (7)     B   6DN
1  (8)  A→ B   27CP
(b)
1  (1)  A→ B   27CP
 2 (2)  A&~B   A
 2 (3)  A      2&E
12 (4)     B   13MPP
 2 (5)    ~B   2&E
12 (6)  B&~B   45&I
1  (7)~(A&~B)  26RAA
(c)
1  (1)  A→ B   A
 2 (2)    ~B   A
  3(3)  A      A
1 3(4)     B   13MPP
123(5)  ~B&B   24&I
12 (6) ~A      35RAA
1  (7) ~B→~A   26CP
(d)
1  (1) ~B→~A   A
 2 (2)     A   A
  3(3) ~B      A
1 3(4)    ~A   13MPP
123(5)  A&~A   24&I
12 (6)~~B      35RAA
12 (7)  B      6DN
1  (8)  A→ B   27CP
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① ~( A&~B)≡(Aであって、Bでない。)といふことはない。
② ~(~B& A)≡(Bでなくて、Aである。)といふことはない。
③    A→ B ≡ Aであるならば、Bである。
④   ~B→~A ≡ Bでないならば、Aでない。
に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
いづれにせよ、
③ Aであるならば、Bである。
④ Bでないならば、Aでない。
に於いて、
③=④ であって、この「等式」を、「対偶(Contraposition)」といふ。
然るに、
(09)
③ Aであるならば、Bである。
④ Bでないならば、Aでない。
に於いて、
A=B
B=A
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
② Bであるならば、Aである。
③ Aでないならば、Bでない。
従って、
(08)(09)により、
(10)
② Bであるならば、Aである。
③ Aでないならば、Bでない。
に於いて、
②=③ であって、この「等式」を、「対偶(Contraposition)」といふ。
然るに、
(11)
② Bであるならば、Aである。
③ Aでないならば、Bでない
といふことは、
② BはAである。
③ A以外はBでない
といふ、ことである。
従って、
(10)(11)により、
(12)
② BはAである。
③ A以外はBでない
に於いて、
②=③ であって、この「等式」を、「対偶(Contraposition)」といふ。
然るに、
(13)
① AはBである。
② BはAである。
に於いて、
①と②は、互いに、「(Converse)」である。
然るに、
(14)
ある命題とその逆の真偽は、必ずとも一致しない(逆は必ずしも真ならず)。この表現は日常生活や数学の中でことわざのように使用されることがある(ウィキペディア)。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
① AはBである。
② BはAである。
③ A以外はBでない
に於いて、
①=② は、 「偶然」であるが、
②=③ といふ「対偶」は、「必然」である。
従って、
(15)により、
(16)
例へば、
① 私は理事長です。
② 理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② は、 「偶然」であるが、
②=③ といふ「対偶」は、「必然」である。
然るに、
(17)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(16)(17)
(18)
① 私は理事長です。
理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない
④ 私理事長です。
に於いて、
①=② は、 「偶然」であるが、
②=③ といふ「対偶」は、「必然」であって、
②=④ であるといふ「事実」が、「よく知られている」。
従って、
(15)~(18)により、
(19)
「番号」を付け直すと、
① AはBである。
② ABである。
はAである。
④ A以外はBでない
に於いて、
①=② ではないが、
  ②=③=④ である。
然るに。
(20)
② ABである。
はAである。
④ A以外はBでない
といふのであれば、
① AはBである。
従って、
(14)(20)により、
(21)
① AはBである。
② ABである。
に於いて、
② ならば、① であるが、
① ならば、② であるとは、限らない
然るに、
(22)
1  (1)②→ ① A
 2 (2)  ~① A
  3(3)②    A
1 3(4)   ① 13MPP
123(5)~①&① 24&I
1 3(6) ~~①  25RAA
1 3(7)   ① 6DN
従って、
(22)により、
(23)
② ならば、① である。
として、  ① ではなく、その上、
② である。とすると、「矛盾」する。
従って、
(23)により、
(24)
② ならば、① である。
として、
② であるためには、
① でない、ではない。
といふことを、すなはち、
① であることを、「必要」とする。
従って、
(20)~(24)により、
(25)
① AはBである。
② ABである。
に於いて、
① であるといふことは、
② であるといふことの、「必要条件」であって、「十分条件」ではない
従って、
(25)により、
(26)
① 私は理事長である。
② 私理事長である。
に於いて、
① であるといふことは、
② であるといふことの、「必要条件」であって、「十分条件」ではない
従って、
(17)(26)により、
(27)
① タゴール記念会は、私は理事長である。
② タゴール記念会は、私理事長である。
に於いて、
① であるといふことは、
② であるといふことの、「必要条件」であって、「十分条件」ではない
然るに、
(28)
① タゴール記念会は、私は理事長である。
② タゴール記念会は、私理事長である。
であれば、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx]}
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
といふ風に、書くことが出来、
① であるといふことは、確かに、
② であるといふことの、「必要条件」であって、「十分条件」ではない
従って、
(28)により、
(29)
① タゴール記念会は、私は理事長である。
② タゴール記念会は、私理事長である。
といふ「日本語」が、「真(本当)」であるためには、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx]}
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
といふ「条件」、すなはち、
① すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは私であって、私はxの理事長である。
② すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは私であって、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
といふ「条件」を満たしてゐる、「必要」がある。
然るに、
(30)
1     (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1     (2)   T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  1UE
 3    (3)   T会の会員a                             A
13    (4)          ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  34MPP
  5   (5)             私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z)   A
  5   (6)             私b&理事長ba                 5&E
  5   (7)                      ∀z(理事長za→b=z)   5&E
  5   (8)                         理事長ca→b=c    7UE
   9  (9)       ∃z(倉田z&~私z)                      A
    ア (ア)          倉田c&~私c                       A
    ア (イ)          倉田c                           ア&E
    ア (ウ)              ~私c                       ア&E
     エ(エ)                b=c                     A
    アエ(オ)            ~私b                       ウエ=E
  5   (カ)             私b                       6&E
  5 アエ(キ)            ~私b&私b                    オカ&I
  5 ア (ク)              b≠c                     エキRAA
  5 ア (ケ)                        ~理事長ca        8クMTT
  5 ア (コ)        倉田c&~理事長ca                    イケ&I
  5 ア (サ)     ∃z(倉田z&~理事長za)                   コEI
  59  (シ)     ∃z(倉田z&~理事長za)                   9アサEE
13 9  (ス)     ∃z(倉田z&~理事長za)                   45シEE
1  9  (セ)   T会の会員a→∃z(倉田z&~理事長za)              3ス&I
1  9  (シ)∀x{T会の会員x→∃z(倉田z&~理事長zx)}             セUI
従って、
(30)により、
(31)
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
② ∃z(倉田z&~私z)。従って、
③ ∀x{T会の会員x→∃z(倉田z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
① すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは私であって、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
② あるzは倉田氏であって、私ではない。
③ すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは倉田氏であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(32)
① タゴール記念会は、私理事長である。然るに、
② 倉田氏は私ではない。従って、
③ タゴール記念会は、倉田氏は理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(29)~(32)により、
(33)
仮に、
① タゴール記念会は、私理事長である。⇔
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。⇔
① すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは私であって、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
といふ「等式」から、
① ∀z(理事長zx→y=z)。
① すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
といふ「条件を除いてしまふのであれば、
① タゴール記念会は、私理事長である。然るに、
② 倉田氏は私ではない。従って、
③ タゴール記念会は、倉田氏は理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」ではない
然るに、
(34)
① ∀z(理事長zx→y=z)。
① すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
といふことは、
① y(私)以外は、x(タゴール記念会)の理事長ではない
といふことである。
従って、
(18)(33)(34)により、
(35)
① タゴール記念会は、私理事長である。
といふ「日本語」が、
① 私はタゴール記念会の理事長であって、私以外はタゴール記念会の理事長ではない
といふ「意味」でない
とするならば、
① タゴール記念会は、私が理事長である。然るに、
② 倉田氏は私ではない。従って、
③ タゴール記念会は、倉田氏は理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」ではない
従って、
(33)~(36)により、
(36)
対偶」で言ふならば、
① タゴール記念会は、私理事長である。然るに、
② 倉田氏は私ではない。従って、
③ タゴール記念会は、倉田氏は理事長ではない。
といふ「推論」が、「妥当」であるならば、
① タゴール記念会は、私理事長である。
といふ「日本語」が、
① 私はタゴール記念会の理事長であって、私以外はタゴール記念会の理事長ではない
といふ「意味」ある。といふことを、「否定」することは、出来ない
然るに、
(37)
① タゴール記念会は、私理事長である。然るに、
② 倉田氏は私ではない。従って、
③ タゴール記念会は、倉田氏は理事長ではない。
といふ「推論」は、明らかに、「妥当」である。
従って、
(33)~(37)により、
(38)
① タゴール記念会は、私理事長である。⇔
① タゴール記念会は、私は理事長であり、私以外は理事長ではない。⇔
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。⇔
① すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは私であって、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
といふ「等式」は、三上章先生であっても、「否定」することは、出来ない
然るに、
(39)
少なくとも、
「三上章、象は鼻が長い、1992年、第21版」、
「三上章、日本語の論理、1963年、第 1版」等を読む限り、三上章先生は、
① 象は鼻長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
① タゴール記念会は、私理事長である≡∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「解釈」をされては、ゐない。
然るに、
(40)
伝統的論理学を清水滉『論理学』(1916年)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九冊の一冊で、なお引き続き刊行だろうから、前後かなり多くの読者をもつ論理学書と考えられる。新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
付録2 近代論理学抄:”クセジュ文庫”(J.Chauvineau:La Logique moderne '57)第2章の初めの二節を、訳者の許しを得てここに再録します(三上章、象は鼻が長い、1992年、第21版、216頁)。
従って、
(41)
三上章先生は、
① 象は鼻長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
① タゴール記念会は、私理事長である≡∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「解釈」はされてはゐないものの、「述語論理(Predicate logic)」に対しては、関心を寄せられてゐた
従って、
(42)
三上章先生は、「述語論理」に対しては、関心を寄せられてゐたものの、惜しむらくは
① 象は鼻長い。
① タゴール記念会は、私理事長である。
といふ「日本語」を、「述語論理」に「翻訳」するとしたら、「どのやうな訳」になるのか、といふことまでは、考へてはゐなかった。
といふ、ことである。



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