日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(666)「普遍言語」としての「述語論理」と「鼻は象が長い(代入例)」。

2020-06-26 18:05:17 | 象は鼻が長い、述語論理。

(01)
練習問題.2
つぎの論証を等号を含む述語計算の記号に翻訳し、そしてそれに対応する連式を示すことによって、論証の健全性を証明せよ。
(a)すべての殺人者は精神異常である。ジーキルは殺人者である。ジーキルはハイドである。故にハイドは精神異常である。
(b)いかなる殺人者も精神が異常ではない。ジーキルは殺人者である。ハイドは精神が異常である。故にジーキルはハイドではない。
(c)トムとジェーンのみがダンスをしている。トムとジェーンはどちらもツイストをしている。故にすべてのダンスをしているものはツイストをしている。
(d)多くとも1人の無法な国家主席がいる。毛沢東は無法な国家主席である。ジョンソンは毛沢東ではない。故にジョンソンは無法な国家主席ではない。
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、215頁)。
(02)
Exercises 2
Prove the soundness of the following arguments by translating them into the symbolism of the predicate calculus with identity and showing the validity of the corresponding sequents:
(a) All murderers are insane; Jekyll is a murderer; Jekyll is a hyde; therefore Hyde is insane.
(b) No murderer is sane; Jekyll is a murderer; Hyde is sane; thereforebJekyll is not hyde.
(c) Only Tom and Jane are dancing; Tom and Jane are doing the twist; therefore everyone dancing the twist.
(d) There is at most one lawless living head of state; Johnson is not Mao Tse-tung; Mao Tse-tung is a lawless living head of state; Johnson is not Mao Tse-tung; Johnson is not a lawless living head of state.
(E.J.Lemmon, Beginning Logic, First published in Great Britain 1965)
然るに、
(03)
(a)
1  (1)∀x(殺人者x→精神異常x) A
 2 (2)   殺人者ジ        A
   3(3)      ジ=ハ      A
1  (4)   殺人者ジ→精神異常ジ  1UE
12 (5)        精神異常ジ  24PP
123(6)        精神異常ハ  35=E
(b)
1   (1)∀x(殺人者x→~精神異常x) A
  2  (2)   殺人者ジ         A
   3 (3)         精神異常ハ  A
    4(4)      ジ=ハ       A
1   (5)   殺人者ジ→~精神異常ジ  1UE
12  (6)        ~精神異常ジ  25MPP
12 4(7)        ~精神異常ハ  46=E
1234(8)  精神異常ハ&~精神異常ハ  37&I
123 (9)    ~(ジ=ハ)      48RAA
(c)
1    (1)∀x{ダンスx→(x=T)∨(x=J)} A
  2   (2)   ツイストT&ツイストJ       A
1    (3)   ダンスa→(a=T)∨(a=J)  2UE
   4  (4)   ダンスa              A
1 4  (5)        (a=T)∨(a=J)  34TPP
    6 (6)         a=T         A
  2   (7)   ツイストT             2&E
  2 6 (8)   ツイストa             67=E
     9(9)               a=J   A
  2   (ア)         ツイストJ       2&E
  2  9(イ)         ツイストa       9ア=E
124  (ウ)   ツイストa             5689イ∨E
12   (エ)   ダンスa→ツイストa        4ウCP
12   (オ)∀x(ダンスx→ツイストx)       エUI
(d)
1   (1)~∃x∃y{(無法主席x&無法主席y)&~(x=y)} A
1   (2)∀x~∃y{(無法主席x&無法主席y)&~(x=y)} 1量化子の関係
1   (3)∀x∀y~{(無法主席x&無法主席y)&~(x=y)} 2量化子の関係
1   (4)  ∀y~{(無法主席モ&無法主席y)&~(モ=y)} 3UE
1   (5)    ~{(無法主席モ&無法主席J)&~(モ=J)} 4UE
1   (6)     ~(無法主席モ&無法主席J)∨ (モ=J)  5ド・モルガンの法則
1   (7)      (無法主席モ&無法主席J)→ (モ=J)  6含意の定義
 8  (8)       無法主席モ                A
  9 (9)                    ~(モ=J)  A
   ア(ア)             無法主席J          A
  9ア(イ)       無法主席モ&無法主席J          89&I
189ア(ウ)                     (モ=J)  7イMPP
189ア(エ)              ~(モ=J)&(モ=J)  9ウ&I
189 (オ)           ~(無法主席J)         アERAA
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
「E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年」といふ「翻訳」を「理解」すれば、「論理(logic)」を「理解」することが出来、その「結果」として、
「E.J.Lemmon, Beginning Logic, First published in Great Britain 1965」といふ「原著」に出てゐる「練習問題」が「解ける」ようになる。
然るに、
(04)により、
(05)
「E.J.Lemmon, Beginning Logic, First published in Great Britain 1965」は、例へば、
『アイスランド語・アイルランド語・アゼルバイジャン語・アフリカーンス語・アムハラ語・アラビア語・アルバニア語・アルメニア語・イタリア語・イディッシュ語・イボ語・インドネシア語・ウイグル語・ウェールズ語・ウクライナ語・ウズベク語・ウルドゥ語・エストニア語・エスペラント語・オランダ語・オリヤ語・カザフ語・カタルーニャ語・ガリシア語・カンナダ語・キニヤルワンダ語・ギリシャ語・キルギス語・グジャラト語・クメール語・クルド語・クロアチア語・コーサ語・コルシカ語・サモア語・ジャワ語・ジョージア(グルジア)語・ショナ語・シンド語・シンハラ語・スウェーデン語・ズールー語・スコットランド ゲール語・スペイン語・スロバキア語・スロベニア語・スワヒリ語・スンダ語・セブアノ語・セルビア語・ソト語・ソマリ語・タイ語・タガログ語・タジク語・タタール語・タミル語・チェコ語・チェワ語・テルグ語・デンマーク語・ドイツ語・トルクメン語・トルコ語・ネパール語・ノルウェー語・ハイチ語・ハウサ語・パシュト語・バスク語・ハワイ語・ハンガリー語・パンジャブ語・ヒンディー語・フィンランド語・フランス語・フリジア語・ブルガリア語・ベトナム語・ヘブライ語・ベラルーシ語・ペルシャ語・ベンガル語・ポーランド語・ボスニア語・ポルトガル語・マオリ語・マケドニア語・マラーティー語・マラガシ語・マラヤーラム語・マルタ語・マレー語・ミャンマー語・モンゴル語・モン語・ヨルバ語・ラオ語・ラテン語・ラトビア語・リトアニア語・ルーマニア語・ルクセンブルク語・ロシア語・英語・韓国語・中国語(簡体)・中国語(繁体)・日本語』といふ「言語」に、「翻訳」することが、出来る。
然るに、
(06)
日常言語の文から述語計算の文の翻訳のためには、一般にあたまが柔軟であることが必要である。なんら確定的な規則があるわけでなく、量記号に十分に馴れるまでには、練習を積むことが必要である。そこに含まれている仕事は翻訳の仕事に違いないけれども、しかしそこへ翻訳が行われる形式言語は、自然言語のシンタックスとは幾らか違ったシンタックスをもっており、また限られた術語―論理的結合記号、変数、固有名、述語文字、および2つの量記号―しかももたない。その言語のおもな長所は、記法上の制限にもかかわらず、非常に広範な表現能力をもっていることである(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、130頁)。
Flexibility of mind is generally required for translating from ordinary speech into sentences of the predicate calculus. No firm rules can be given, and practice is needed before full familiarity with quantifiers is reached. The activity involved is one of translation; but the formal language into which translation is being made has a rather different from that of a natural language,and has only a narrow terminology―logical connectives, variables, proper names, predicate-letters, and two quantifiers. The chief merit of the language is that, despite its notational limitations, it ha a very wide expressive power(E.J.Lemmon, Beginning Logic, First published in Great Britain 1965).
従って、
(01)~(06)により、
(07)
(d)There is at most one lawless living head of state。
(d)無法な国家主席は、多くとも、一人しかゐない。
といふ「個々の、自然言語」が、
(d)~∃x∃y{(Fx&Fy)&~(x=y)} 
といふ風に、「翻訳」されのではなく
(d)~∃x∃y{(Fx&Fy)&~(x=y)}
といふ「述語倫理式」に対して、
F=lawless living head of state
F=無法な国家主席
といふ「代入(Substitution)」を行った「結果」が、
(d)There is at most one lawless living head of state。
(d)無法な国家主席は、多くとも、一人しかゐない。
といふ「自然言語」であると、すべきである。
従って、
(07)により、
(08)
(d)無法な国家主席は、多くとも、一人しかゐない。
といふ「日本語」を、
(d)~∃x∃y{(無法主席x&無法主席y)&~(x=y)}
といふ「述語論理式」に、「翻訳」するといふ「行為」は、その実、
(d)無法な国家主席は、多くとも、一人しかゐない。
といふ「日本語」の、「本来の(論理的な)意味」を、「確定」することである。
といふ風に、「見做す」ことが、出来る。
従って、
(02)(03)(08)により、
(09)
1   (1)~∃x∃y{(無法主席x&無法主席y)&~(x=y)} A
1   (2)∀x~∃y{(無法主席x&無法主席y)&~(x=y)} 1量化子の関係
1   (3)∀x∀y~{(無法主席x&無法主席y)&~(x=y)} 2量化子の関係
1   (4)  ∀y~{(無法主席モ&無法主席y)&~(モ=y)} 3UE
1   (5)    ~{(無法主席モ&無法主席J)&~(モ=J)} 4UE
1   (6)     ~(無法主席モ&無法主席J)∨ (モ=J)  5含意の定義
1   (7)      (無法主席モ&無法主席J)→ (モ=J)  6含意の定義
 8  (8)       無法主席モ                A
  9 (9)                    ~(モ=J)  A
   ア(ア)             無法主席J          A
 8 ア(イ)       無法主席モ&無法主席J          89&I
18 ア(ウ)                     (モ=J)  7イMPP
189ア(エ)              ~(モ=J)&(モ=J)  9ウ&I
189 (オ)           ~(無法主席J)         アERAA
といふ「計算(Predicate calculus)」によって、
(d)多くとも1人しか、無法な国家主席はゐない。毛沢東は無法な国家主席である。ジョンソンは毛沢東ではない。故に、ジョンソンは無法な国家主席ではない。
といふ「論証(argument)」の「妥当性(validity)」が、「確認」出来る。といふことは、
(d)無法な国家主席は、多くとも、一人しかゐない。
といふ「日本語」の、「本来の(論理的な)意味」が、確かに、
(d)~∃x∃y{(無法主席x&無法主席y)&~(x=y)}
といふ「意味」であった。といふことに対する、「確認」になってゐる。
従って、
(10)
1    (1)∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)} A
1    (2)  ∃y{(鼻ay&象y→長a)&(~象y&長a→~鼻ay)} 1UE
 3   (3)     (鼻ab&象b→長a)&(~象b&長a→~鼻ab)  A
 3   (4)                  ~象b&長a→~鼻ab   3&E
  5  (5)∃x∃y(兎y&~象y&鼻xy)                A
   6 (6)  ∃y(兎y&~象y&鼻ay)                A
    7(7)     兎b&~象b&鼻ab                 A
    7(8)     兎b&                        7&E
    7(9)        ~象b                     7&E
    7(ア)            鼻ab                 7&E
    7(イ)          ~~鼻ab                 アDN
 3  7(ウ)                ~(~象b& 長a)      4イMPP
 3  7(エ)                 ~~象b∨~長a       ウ、ド・モルガンの法則
 3  7(オ)                  ~象b→~長a       エ含意の定義
 3  7(カ)                      ~長a       9オMPP
    7(キ)     兎b&鼻ab                     8ア&I
 3  7(ク)     兎b&鼻ab&~長a                 カキ&I
 3  7(ケ)  ∃y(兎y&鼻ay&~長a)                クEI
 3 6 (コ)  ∃y(兎y&鼻ay&~長a)                67ケEE
 3 6 (サ)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x)                コEI
 35  (シ)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x)                56サEE
1 5  (ス)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x)                23シEE                    
といふ「計算(Predicate calculus)」によって、
(e)鼻は象が長い。然るに、ある兎は、象ではないが鼻が有る。従って、ある兎の鼻は長くない。
といふ「推論」の「妥当性」が、「確認」出来る。といふことは、
(e)鼻は象が長い。
といふ「日本語」の、「本来の(論理的な)意味」が、
(e)∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&鼻xy→~長x)}
といふ「意味」であった。といふことに対する、「確認」になってゐる。
然るに、
(11)
「三上章、日本語の論理、1963年」の中には、
① 象は鼻は長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx&長z)}。
③ 象の鼻が長い≡∀x∃y{(象x&鼻yx→長y)&(~象x&鼻yx→~長y)}。
④ 鼻は象が長い≡∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}。
といふ「等式」等の、「述語論理式」は、一切、出て来ない。
従って、
(08)~(11)により、
(12)
「日本語(自然言語)」が、「述語論理」に、「翻訳」されるのではなく、
① ∀x{Fx→∃y(Gyx&Hy)}。
② ∀x{Fx→∃y(Gyx&Hy)&~∃z(~Gzx&Hz)}。
③ ∀x∃y{(Fx&Gyx→Hy)&(~Fx&Gyx→~Hy)}。
④ ∀x∃y{(Gxy&Fy→Hx)&(~Fy&Hx→~Gxy)}。
といふ「述語論理式」に対して、
F=象
G=鼻
H=長
といふ、「代入(Substitution)」を行った「結果」が、
① 象は鼻は長い。
② 象は鼻が長い。
③ 象の鼻が長い。
④ 鼻は象が長い。
といふ「日本語(自然言語)」である。とするのであれば、
三上章 先生は、
① 象は鼻は長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx&長z)}。
③ 象の鼻が長い≡∀x∃y{(象x&鼻yx→長y)&(~象x&鼻yx→~長y)}。
④ 鼻は象が長い≡∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}。
といふ「意味」を、「確認しないまま、日本語の、「」を、論じてゐる。
といふことになる。
(13)
 沢田『現代論理学入門』ニ九ぺから―
さらに、日常の言語は人間同士のコミュニケーションということを最大の目的としている以上、できるだけ短い時間の中で多くの情報を伝えることが一つの大切な目標とされる。そこでたとえば「象は鼻が長い」というような表現は、象が主語なのか、鼻が主語なのかはっきりしないから、このままではその論理的構造が明示されていない。いわば非論理的な文章である、というひともある。しかしこの文の論理的な構造をはっきりと文章にあらわして「すべてのxについて、もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、このyは長い」といえばいいかもしれない。しかし日常言語によるコミュニケーションでは、たとえば動物園で象をはじめて見た小学生が、父親にむかってこのような文章で話しかけたとすれば、その子供は論理的であるといって感心されるまえに社会人としての常識をうたがわれるにきまっている。常識(すなはち共通にもっている情報)でわかっているものはいちいち言明の中にいれないで、いわば暗黙の了解事項として、省略し、できるだけ短い記号の組み合せで、できるだけ多くの情報を伝えることが日常言語の合理性の一つである(三上章、日本語の論理、1963年、25・26頁)。
(14)
 つまり沢田氏によれば、「象は鼻が長い」というのは合理的な省略を行った言語表現であり、そこには明確な論理構造がある、ということです。三上はこれを文型として登録すべきであると主張しています。
(山崎紀美子、日本語基礎講座―三上文法入門、2003年、214頁)
・・・・・・たまたま「象は鼻が長い」という日本語が英語に訳しにくいからといって、それだけの理由で非論理的であるとするなど、もってのほかです、この文は合理的な省略を行った言語表現であり、そこには明確な論理構造があるのです。三上はこれを文型として登録すべきであると主張しています(山崎紀美子、日本語基礎講座―三上文法入門、2003年、表紙)
然るに、
(13)により、
(15)
「すべてのxについて、もしそのxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、このyは長い」
といふのであれば、
① 象は鼻長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
であって、決して
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx&長z)}。
ではない。
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
三上章 先生は、
① 象は鼻長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
といふ「日本語」と、
② 象は鼻長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx&長z)}。
といふ「日本語」の、「区別」が付かないまま
② 象は鼻長い。
を、「文型として登録すべきであると主張していた」といふ、ことになる。



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