日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(415)「馬には動物の頭がある」の「述語論理」。

2019-12-03 10:45:05 | 論理

(01)
1   (1)   ∀x{動物x→∃y(頭yx)} A
 2  (2)   ∀x(馬x→動物x)      A
1   (3)      動物a→∃y(頭ya)  1UE
 2  (4)      馬a→動物a       2UE
  5 (5)      馬a           A
 25 (6)         動物a       45MPP
125 (7)          ∃y(頭ya)  36MPP
   8(8)             頭ba   A
 258(9)         頭ba&動物a   68&I
 258(ア)      ∃y(頭ya&動物a)  9EI
125 (イ)      ∃y(頭ya&動物a)  78EE
12  (ウ)   馬a→∃y(頭ya&動物a)  5イCP
12  (エ)∀x{馬x→∃y(頭yx&動物x)} ウUI
従って、
(01)により、
(02)
(1)すべてのxについて、xが動物であるならば、あるyはxの頭である。然るに、
(2)すべてのxについて、xが馬ならば、xは動物である。従って、
(エ)すべてのxについて、xが馬ならば、あるyはxの頭であって、xは動物である。
といふ「推論」は「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(1)すべての動物には頭がある。然るに。
(2)すべての馬は動物である。故に、
(エ)すべての馬には動物の頭がある。
といふ「推論」は「妥当」である。
然るに、
(04)
「何々の」というのも重視したいものである。
すべての馬が動物であれば、馬の頭はすべて動物の頭である。(ド・モルガンの例)
というようなのに備えて、「何々の」に対しても敏感であることが望ましい。
以上のように、条件分で道理を表わすことわざで了解事項となるものは、ガノニヲの範囲である。
(三上章、日本語の論理、1963年、38頁)
(05)
ド・モルガンが、明らかに健全であるにもかかわらず、伝統的論理学のわくぐみのなかでは取り扱うことができなかった論証として挙げた、有名なまた簡単な論証がある。
(1)すべての馬は動物である。故にすべての馬の頭は動物の頭である。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英、論理学初歩、1973年、167頁)
There is a famous and simple argument, cited by de Morgan as an example of a kind of reasoning which, though patently sound, could not be handled within the framework of traditional logic. It runs
(1)All horses are animals; therefore all horses' heads are animals' head.
(E.J.Lemmon, Beginning Logic、2002年、第10版、P131)
123 ∀x(馬x→動物x)├ ∀x{∃y(馬y&頭xy)→∃y(動物y&頭xy)}
1  (1)   ∀x(馬x→動物x)               A
 2 (2)   ∃y(馬y&頭by)               A
  3(3)      馬a&頭ba                A
  3(4)      馬a                   3&E
  3(5)         頭ba               3&E
1  (6)      馬a→動物a                1UE
1 3(7)         動物a               46MPP
1 3(8)         動物a&頭ba           57&I
1 3(9)      ∃y(動物y&頭ya)          8EI
12 (ア)      ∃y(動物y&頭ya)          239EE
1  (イ)   ∃y(馬y&頭by)→∃y(動物y&頭by)  2アCP1  
1  (ウ)∀x{∃y(馬y&頭xy)→∃y(動物y&頭xy)} イUI
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英、論理学初歩、1973年、167頁改)
従って、
(05)により、
(06)
(1)すべてのxについて、xが馬であるならば、xは動物である。然るに、
(2)あるyは馬であって、任意のbはyの頭である。従って、
(ウ)すべてのxについて、あるyが馬であって、xがyの頭であるならば、あるyは動物であって、xはyの頭である。
(〃)すべてのxについて、あるyが馬であって、xが馬(y)の頭であるならば、ある馬(y)は動物であって、xは動物(y)の頭である。
といふ「推論」は「妥当」である。
従って、
(06)により、
(07)
(1)すべての馬は動物である。然るに、
(2)ある馬には頭がある。従って、
(ウ)すべての馬の頭は動物の頭である。
といふ「推論」は「妥当」である。
(08)
1   (1)    ∀x(馬x→動物x)      A
 2  (2)    ∀x{馬x→∃y(頭yx)} A
1   (3)       馬a→動物a      1UE
 2  (4)       馬a→∃y(頭ya)  2UE
  5 (5)       馬a          A
1 5 (6)          動物a      35MPP
 25 (7)          ∃y(頭ya)  45MPP
   8(8)             頭ba   7UE
1 58(9)         頭ba&動物a   68&I
1 58(ア)      ∃y(頭ya&動物a)  9EI
125 (イ)      ∃y(頭ya&動物a)  78EE
12  (ウ)   馬a→∃y(頭ya&動物a)  5イCP
12  (エ)∀x{馬x→∃y(頭yx&動物x)} ウUI
従って、
(08)により、
(09)
(1)すべてのxについて、xが馬であるならば、xは動物である。然るに、
(2)すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyはxの頭である。従って、
(エ)すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyはxの頭であって、xは動物である。
といふ「推論」は「妥当」である。
従って、
(09)により、
(10)
(1)すべての馬は動物ある。然るに。
(2)すべての馬には頭がある。故に、
(エ)すべての馬には動物の頭がある。
といふ「推論」も「妥当」である。
従って、
(03)(10)により、
(11)
(1)すべての動物には頭がある。然るに。
(2)すべての馬は動物である。 故に、
(エ)すべての馬には動物の頭がある。
といふ「推論」も、
(1)すべての馬は動物ある。然るに。
(2)すべての馬には頭がある。故に、
(エ)すべての馬には動物の頭がある。
といふ「推論」も「妥当」である。
従って、
(11)により、
(12)
(1)すべての動物には頭がある。
といふ「仮定」を行はなくとも
(1)すべての馬が、動物であって、
(2)すべての馬に頭があるならば、
(エ)すべての馬には動物の頭がある。
従って、
(12)により、
(13)
(1)すべての動物には頭がある。
といふ「命題」が「(本当)」でなくとも
(1)すべての馬は動物ある。然るに、
(2)すべての馬には頭がある。故に、
(エ)すべての馬には動物の頭がある。
といふ「推論」は「妥当」である。
従って、
(13)により、
(14)
(1)仮に、頭が無い動物がゐたとしても、
(1)すべての馬が、動物であって、
(2)すべての馬に頭があるならば、
(エ)すべての馬には動物の頭がある。
然るに、
(15)
(1)頭が無い動物がゐる。
といふことは、「常識」としては、有り得ない
従って、
(14)(15)により、
(16)
「非常識でない」といふことと、「論理的に正しい」ことは「同じ」ではない。
従って、
(17)
「論理的な正しさ」とは、「形式として正しさ」であって、「命題(の内容)の正しさ」ではない。


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