日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(684)「漢作文」の「仕方」について。

2020-08-14 17:22:14 | 漢文の文法

(01)
① 世有伯楽、然後有千里馬=
① 世有伯楽、然後有千里馬
① 世有(伯楽)然後有(千里馬)⇒
① 世(伯楽)有然後(千里馬)有=
① 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里馬)有り=
① 世の中に、伯楽がゐて、初めて、千里馬もゐる=
① 世の中に、伯楽がゐなければ、千里の馬もゐない。
然るに、
(02)
② 無世不有伯楽而有千里馬=
② 無世不伯楽而有千里馬
② 無[世不〔有(伯楽)〕而有(千里馬)]⇒
② [世〔(伯楽)有〕不而(千里馬)有]無=
② [世に〔(伯楽)有ら〕不して(千里馬)有るは]無し=
②  世の中に伯楽がゐないのに、千里の馬がゐるといふことは無い。
然るに、
(03)
① 世の中に、伯楽がゐなければ、千里の馬もゐない。
② 世の中に、伯楽がゐないのに、千里の馬がゐるといふことは無い。
に於いて、
①=② は、「直観」として、「正しい」。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 世有伯楽、然後有千里馬(世に伯楽有りて、然る後に千里馬有り)。
② 無世不有伯楽而有千里馬(世に伯楽有らずして千里馬有るは無し)。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
① 世有伯楽、然後有千里馬。
② 無世不有伯楽而有千里馬。
に於いて、
① を書いたのは、韓愈であって、
② を書いたのは、韓愈ではなく日本語しか話せないである。
然るに、
(06)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
韓 愈(かん ゆ、768年(大暦3年) - 824年12月25日(長慶4年12月2日))は、中国唐代中期を代表する文人・士大夫である。字は退之(たいし)。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 世有伯楽、然後有千里馬。
② 無世不有伯楽而有千里馬。
に於いて、
① は、確かに、「漢文」であるが、
② は、あるいは「漢文」ではないのかも、知れない()。
然るに、
(08)
日本人が漢文を書く場合漢文直訳体の日本語である漢文訓読は、有力な道具となり得る。実際に漢詩・漢文を自分で書いてみればわかることだが、日本人が音読直読だけで純正漢文を書くことは、なかなかに難しい(そもそも漢文の音読直読ができる現代中国人でも、純正漢文が書ける者は少ない)。
(加藤徹 他、「訓読」論、2008年、265頁改)
従って、
(08)により、
(09)
「訓読(漢文直訳体の日本語)」が書けて、その、
「訓読(漢文直訳体の日本語)」を、「漢文の語順」に、「書き換へる」ことが出来るのであれば、「中国語を、全く知らない私のやうな日本人」であっても、
② 無世不有伯楽而有千里馬。
③ 我非必不求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文くらいは、書けることになる。
従って、
(08)(09)により、
(10)
② 世に伯楽有らずして千里馬有るは無し。
③ 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざるなり。
といふ「訓読漢文直訳体)」を、
② 無[世不〔有(伯楽)〕而有(千里馬)]。
③ 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
といふ「漢文語順」に、改めた「それ」が、
② 無世不有伯楽而有千里馬。
③ 我非必不求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文」である。
といふ、ことになる。
然るに、
(11)
② If 伯楽 is not in the country, it is impossible for 千里馬 to be in the country.
③ I am not necesarily a person who doesn't try to understand Chinese classics using the method of understanding chinese.
といふ「英文()」を、「グーグル翻訳」に掛けたところ、
② 伯楽がその国にいなければ、千里馬がその国にいることは不可能です。
③ 私は必ずしも中国語を理解する方法を使用して中国の古典を理解しようとしない人ではありません。
といふ「翻訳」を、得ることが出来たため、果たして、
② If 伯楽 is not in the country, it is impossible for 千里馬 to be in the country.
③ I am not necesarily a person who doesn't try to understand Chinese classics using the method of understanding chinese.
は、「英語」であった。
然るに、
(12)
② 世に伯楽有らずして千里馬有るは無し。
③ 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざるなり。
といふ「訓読漢文直訳体)」を、
② 無[世不〔有(伯楽)〕而有(千里馬)]。
③ 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
といふ「漢文の語順」に、改めたとしても、もちろん、
② If 伯楽 is not in the country, it is impossible for 千里馬 to be in the country.
③ I am not necesarily a person who doesn't try to understand Chinese classics using the method of understanding chinese.
といふ「英語」には、ならない
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
作文」と、
作文」とでは、「やってゐること」が、「全然違ふ」。
然るに、
(10)~(13)により、
(14)
「結論」だけを、述べるとすると、言ふまでもなく
② 世に伯楽有らずして千里馬有るは無し。
③ 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざるなり。
といふ「訓読(漢文直訳体)」を、
② 無[世不〔有(伯楽)〕而有(千里馬)]。
③ 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
といふ「漢文の語順」に、改めるよりも、
② 国に伯楽がいないのに、千里馬がいることは、無い。
③ 私は、必ずしも中国語を理解する方法を用ひて、漢文を理解することを求めない者では、ないのです。
といふ「日本語」を、
② If 伯楽 is not in the country, it is impossible for 千里馬 to be in the country.
③ I am not necesarily a person who doesn't try to understand Chinese classics using the method of understanding chinese.
といふ「英語の語順」に、改める方が、「遥かに難しい」。
然るに、
(15)
返り点・送り仮名をつけて訓読みすることが「日本人として徹底的にわかることを意味する」というところに私は大きな衝撃を受けた。それに対して韓国ではそのまま外国語として音読みし翻訳して意味を理解する道をとった(呉善花、漢字廃止で韓国に何が起きたか、2008年、89・90頁)。
然るに、
(16)
少数の天才的なひとたちあるいは秀才たちは、返り点・送り仮名をつけなくとも正確な漢文の理解に至るであろう。李氏朝鮮の儒学のレベルの高さはそういう少数の秀才や天才に負うものである。・・・・・・しかし大多数のコリア人にとって、シナの古典は近づき難い高峰であった」(渡辺昇一、『英文法を撫でる』PHP新書、頁は不明)。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
日本のような漢文訓読法がなかった朝鮮では純正漢文を読めたのは上流知識人に限られた。読書層日本にくらべると薄く、朝鮮の対日認識は限定的なものにとどまった。極論すれば、漢文訓読法をもてなかったことが、朝鮮が近代において日本に圧倒されるようになった遠因の一つとなった(加藤徹、漢文の素養、2006年、199頁)。
といふことは、「確かに、さうであったのであらう」と、思はれる
然るに、
(18)
しかし、倉石の鋭さは、なによりもまず先にも触れた「漢文訓読塩鮭論」に余すところなく現われていると言える。
それはすなわち次のような一節である。
論語でも孟子でも、訓読をしないと気分が出ないといふ人もあるが、これは孔子や孟子に日本人になってもらはないと気が済まないのと同様で、漢籍が国書であり、漢文が国語であった時代の遺風である。支那の書物が、好い国語に翻訳されることは、もっとも望ましいことであるが、翻訳された結果は、多かれ少なかれその書物の持ち味を棄てることは免れない、立体的なものが平面化することが想像される。持ち味を棄て、平面化したものに慣れると、その方が好くなるのは、恐るべき麻痺であって、いはば信州に育ったものが、生きのよい魚よりも、塩鮭をうまいと思ふ様なものである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、60頁)。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
漢文訓読法」があった日本に於いては、  「少数の天才的なひとたちあるいは秀才たち」ではなくとも、「正確な漢文の理解」が、「可能」であったにも、かかわらず、
漢文訓読法」を「否定」することによって、「少数の天才的なひとたちあるいは秀才たち」ではなくては、「正確な漢文の理解」を「不可能」な「モノ」に、変へてしまった
といふ、その人こそが、倉石先生であった。 といふ、ことになる。



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