On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

■私たちの「家庭」となる教会を(ユニオン・チャーチ献堂・前編)

2018-10-30 | ある日、ブラフで

1908(明治41)年11月9日(月)正午過ぎ、横浜居留地のブラフ(山手町)49番地で、ユニオン・チャーチ建設の「鋤入れ」が執り行われた。

この式を持って教会堂建設工事が正式に開始されるのである。

T. ロズベリー・グッド牧師、長年にわたり名誉牧師を務め、フェリス女学院の校長でもあるE.S.ブース師のほか、J. T. グリフィン、A.L.バグナル、D. H. ブレイク、A. L. ポラード(以上、建設委員会)、J. マクベス(名誉会計係)、ウォレス(名誉書記)、E.バンティング、H. ゲッデス、A. W. S. オーストンの各氏、婦人会の代表としてコルトン、バンティング、ブレイク、ポラード、バグナル(名誉会計係)各夫人とダンスタン女史(名誉書記)など、ユニオン・チャーチの主立った人びとを含む約80名が顔をそろえている。

H. ルーミス師、W. T. オーストン師の姿もあった。

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ユニオン・チャーチの始まりは1863年2月(文久2年12月)。

S.R.ブラウン師らアメリカ人を中心とした超教派のプロテスタント教会で、当初集まった13名の信徒の中には日本人1名も含まれていたが、1872(明治5)年には横浜公会が日本人の教会として創設され、J.H.バラが仮牧師を務めることとなった。

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1875年にバンド167番に400名以上を収容できる横浜海岸教会が献堂された。

日本人による教会とユニオン・チャーチが共同でこの教会堂を使用してきたが、次第にユニオン・チャーチが日本人の教会を間借りしているような形になり、今では日曜日の朝は横浜海岸教会、夕方はブラフのヴァン・スカイック・ホールが信者らの集いの場になっている。

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居留民の多くがバンドではなく、ブラフに居住する現在、住まいの近くに自由に集うことができる場所、宗教生活と社会生活の中心となる自分たちの教会堂を望む声が日増しに高まっていた。

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そして3年前の1905年4月、ついに教会の建設に向けての活動が本格的に始まった。

臨時集会が開かれ、E.S.ブース議長のもと、ブラフに教会堂・学校・牧師館を建設するための基金を設立すること、建設用地をできる限り早く確保することが決定された。

常任理事としてはA.L.バグナル、D. H. ブレイク、E.バンティング、J. T. グリフィン、A. L. ポラード、スウェイン、ヴィルダキの各氏が選任された。

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その時グリフィン氏が述べた言葉は、まさに皆の思いそのものであった。

私たちは、自らの場所を、家庭を、暖炉を求めてきました。

自らの家庭だと感じ、何物からも邪魔されることなく集うことができる場所を。

集まりを催したくても部屋がふさがっているなどという状況を望んではいませんでした。

自分たちの建物があればそんなことは決して起こりません。

ユニオン・チャーチはブラフにおける宗教生活と社会生活の中心となるべきです。

教会堂、牧師館、行事を催すためのパーラーや社交室などが必要です。

努力すればきっとなし遂げられると、私は固く信じています。

§

グリフィン氏の言葉通り、教会堂建設は着々と実現へと動いて行った。

資金調達のために寄付金が募られ、チャリティー・バザーやパーティーが開催された。

バラ夫人が所有する土地を好条件で譲ってくれることとなり、ヴァン・スカイック・ホールの向かいに当たる絶好の土地を建設地として入手することができた。

建築家B. M.ワード氏の監督のもと、日本の建設業者が施工にあたることが決定した。

§

そして今日、ついに「鋤入れ」の日を迎えたのである。

ロズベリー・グッド牧師が旧約聖書 歴代誌上29を朗読する。

ダビデ王が息子ソロモンにイスラエルの民のために神殿を建設するよう命じ、神の祝福を祈念する箇所である。

§

朗読の後、牧師は次のように述べた。

わが友らよ、私たちはこの地に神の家を建てる最初の正式な行いを始めるためにここに集まりました。

今この時に、最初の鋤入れを行うようにと建設委員会に依頼することは私にとって喜ばしい特権であり、義務であります。

§

次いで、建設委員長であるグリフィン氏がユニオン・チャーチのもっとも古い会衆であるクロスビー女史に小さな踏み鋤(すき・シャベル状の道具)を手渡し、彼女はそれを持って最初の「ひとほり」を行った。

彼女はJ.H.バラの要請によりプライン女史、ピアソン夫人と共にアメリカ婦人一致外国伝道協会から派遣された女性宣教師のひとりで、1871年(明治4年)6月に来日して以来30年以上にわたり女子教育に携わり、現在は共立女学校の総理を務めている。

§

グリフィン氏は彼女に式への参加を受け入れてくれたことに謝意を示した。

§

次いで、E. S. ブース師が祈りを捧げた。

全能の神、天の父、天から下って人と共に暮らした方よ、どうか私たちの願いを聞き入れてください。

あなたが今私たちと共にここにあり、祝福してくださいますように。

なぜならあなたの子である私たちはあなたの家を建てるための最初の行いに取り組んでいるからです。

神よ、私たちが望んでいたことを実現するまでの遠き道のりを導いてくださったことへの、私たちの称賛と感謝をお喜びください。

私たちはあなたを賛美します。

これまでの努力が成功の裡に報われたこと、そして私たちの望みを成し遂げるために呼び集めてくださったことを。(中略)

私たちはこの作業に関わる者すべての者を導くことを請い願います。

すべてのことがあなたの名と栄光の下になされることを、そしてこの道のりにおいて平和の一致と企ての一致によってすべてが清められることを、いかなる不一致もおこらないことを、そしてすべてがあなたの栄光のためになされることを願います。

そして父と子と聖霊のみ名を限りなく褒め歌います。

§

一同が主の祈りを唱え、栄光の賛歌を唱和すると、ユニオン・チャーチの歴史の一ページを飾る儀式はつつがなく幕を閉じた。

 

写真:ユニオン・チャーチ鋤入式(筆者蔵)クロスビー女史(左端)、フェリス女学院校長ブース氏(右端)

なお本稿で取り上げた儀式は英文では「breaking the ground for the new building」であり、通常、建設工事の「起工式」と訳される「foundation stone(礎石)」を設置する式とは別に先立って行われた式であるため「鋤入れ」と訳した。

参考文献:
The Japan Gazette, April 26, 1905
The Japan Weekly Mail, January 26, 1907
The Japan Gazette, April 17,1907
The Japan Weekly Mail, May 23, 1907
The Japan Gazette, November 10, 1908
・斎藤多喜夫『横浜外国人墓地に眠る人々』 (有隣堂、2012)
・日本基督教会『横浜海岸教会史年表<Ⅰ>(1806年~1877年)』(改革社、1982)
・横浜プロテスタント史研究会編『横浜開港と宣教師たち』(有隣堂、2008)
・横浜ユニオン・チャーチ ウェブサイト

 ユニオン・チャーチ

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