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午前9時、いよいよ式典の開幕である。
ホールの壇上には宣教師ジェームズ・バラ師、日本基督一致教会のアメルマン博士、ブース校長、林蓊教諭が並び、バラ師によって初めの祈りが、次いで林蓊、熊野與、高根義人各教諭らと牧医師による祈祷と感謝が捧げられた。
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オルガンの厳かな響きのなか、アメルマン博士が宣教師コレル師、ブース校長、ユニオン・チャーチの牧師ミーチャム博士、宣教師T・H・カルハー師、三島教会の伊藤藤吉牧師、古荘三郎教諭、明治学院の石本三十郎教授に伴われて議長席に着くと、コレル師の先導により祈りがささげられた。
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次に年長の38名の少女らが聖歌“Oh, give thanks unto the Lord”を歌い、それに続いて52名の年少の少女たちが暗誦を披露した。
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ブース校長による献堂の祈りの後、司会を務めるアメルマン博士が立ち上がり、当日主賓として挨拶をする予定だったE・ロスシー・ミラー師夫妻(学校創立者メアリー・E・キダーとその夫)が止むを得ない事情により欠席した旨を伝えた。
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次に司会者はユニオン・チャーチの牧師であるミーチャム博士を壇上に招いた。
この温厚で教養の深いカナダ人牧師は沼津での英語教師の経験もあり、今日という日に祝辞を述べるにまことにふさわしい人物であった。
学長、教師、生徒そして会場の紳士淑女に向けて、大規模な増築と広大なチャペルの完成について心からの祝いを述べた後、彼は力強い声で次のように語りかけた。
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例えば、教師が各々違うところにいる数名の生徒たちを順番に回りながら教育を施す。
それもまた有益といえるでしょう。
しかしより良いやり方は、しっかりとした家を建て、そこに生徒たちを集めて数年間継続的に癒しを与え、啓発し、その効果を高めることです。
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ギリシャにデロス島という島があります。
言い伝えによると、初めの頃、島はエーゲ海をさまよっていました。
その海には多くの島があります。
デロス島は、いまひとつの島に衝突しかけたかと思うと、すぐまた別の島の方に流れ、どの島の利益を与えることも、自らを利することもありませんでした。
しかしついに海底に根をはると、そこに人が住み始め、繁栄が訪れ、世界に名を馳せるようになりました。
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このたとえから私は次のように思います。
この学校は船出と同時に港につなぎとめられ、以来、一度として停泊した場所から離れることなく、今やそれは今やブラフの土地に、また日本の人びとの敬意と信頼に、しっかりと自らの根をはったのです。
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またこのようにいう人もいます。
「知識は常に若者の心により強い影響を与える。
それが美しい神殿の門を臨む使徒のように佇むならば」と。
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学生たちが将来この場所へ戻り、そこで受けた授業に思いを馳せるとき、自分たちに与えられた教育環境の素晴らしさについていっそうの感興を覚えるでしょう。
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もしこのようなやり方を無駄な贅沢だと厳しく批判する経済学者がいたならば、私はこう答えます。
すなわち、すべての行動を即効的な利便性という視点から評価しようとするこの功利主義の時代の精神は、両替屋のレート表と引き比べながら、この学校の寛大さを行き過ぎと、優雅さを古臭さと決めつけ、「神聖な場所」を冒涜するものであると。
私たちの性質の奥深くには、利便性という基準では測ることのできない、はるかに高尚な果てへと向かっていく、ある力が存在します。
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ブース校長は「この建物は日本人女性の宗教教育のためのものである」と言われました。
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教育とは、第一に私たちの「偉大なる原型」によって私たちの中に植え付けられた能力と感受性を開発することです。
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庭に生る果物のように、私たちの心も栽培される必要があります。
教育という仕事は、勉強させることで私たちを完成させるものではありません。
むしろ最高の真理への理解と、それを容易に再生できるような気質や性質を授け、また先人より伝えられてきた豊かな知識を与え、危機にさらされた時も屈することなく精神の力を発揮できるように仕向けてくれるものです。
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ある人は教育のない人とある人の違いを、次のように例えました。
すなわち前者は値5ドルの粗製された鉄の棒。
後者は同じ鉄の棒でも25万ドルの精密時計に精製されたもの。
真の教育は知性ある生き物としての人間の価値を計り知れないほどに高めてくれるのです。
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さて、教育の成果が表れるのにはどれほどの時間が掛かるでしょうか。
ある人は、それは少なくとも2、3世代後のことだといいます。
だとすると、この地において淑女が生まれるのは、現在の生徒たちのひ孫からということになります。
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しかし強調すべきはその点ではありません。
教育は乳児期にはじまることを私たちは理解しなくてはならないということです。
子どもの扱い方が荒っぽいか優しいか、接し方が温かいか厳しいか、目や耳に触れるものが心地よいか悪いか、それらが感受性に影響します。
性格の基礎は、私たちが思っている時期よりも早くに整います。
ゆえに人生のまさに出発点において正しい教育が必要とされるのです。
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それはまた習慣というものの影響という面からも必要とされます。
習慣とは社会に君臨する暴君であります。
ギリシャ語で、習慣または法律と訳される言葉がありますが、意味するところは、外部からの力の巨大な集積、その力とはすべてを閉ざされた環境に置いて、大蛇で巻いて縛り付けられるよりもさらに悲惨な状態に陥れるものです。
このことは私たちに教えてくれます。
習慣とは法のごとく強制力を持つものであり、明文化された法律よりも変更困難な、第二の天性そのものであることを。
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第二にこの学校で与えられる教育は宗教的なものであります。
私たちは知的教育と宗教教育を区別しなくてはなりません。
宗教教育は知的教育をその内に含みます。
ウェリントン公爵はかつて宗教教育の効果について次のように述べました。
「世俗的な教育は悪魔を完成させるに過ぎないことを危惧する」と。
公爵は世俗的教育に加えて、人間を聖性と神へと導く教育の必要性を深く認識していたのです。
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第三に、この学校での教育は日本女性のためのものだということです。
数年前、元大名だったある人がキリスト教使節に対して次のように言いました。
「少年らにキリスト教の教えを伝え、教育を与えることはよいことである。
だがもしあなた方が心から我が国の繁栄を思うのであれば、女性を教育するだろう」と。
そしてこの国の女性と西洋の女性との圧倒的な違いについてさらに語りました。
この言葉が語られて以降、日本女性を対象として宗教教育が、それ以前よりずっと盛んに行われたのです。
無論、行うべきことはさらに多く残されています。
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もし日本が、ウィリアム・ジョーンズ卿が謳い上げたような国になるとすれば、それは強固かつ有力な国家となるでしょう。
すなわちミルトンが思い描いたように、巨人が、身を締め付ける頑丈な戒めを震わせながら眠りから目覚めるように、自ら立ち上がるでしょう。
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もしもジョセフ・クックの言葉が正しいことが明らかになるとすれば、アジアは船であり、日本はその舵であり、キリストが舵の柄に御手を置けば、大陸全体が幸福と繁栄の港へと導かれるでしょう。
もし日本が気高くもキリスト教国となり、良き友人たちの期待を認識するに至るとするなら、それはまごうことなく、女性が教育を受け、唯一にしてまことの神を自分自身で認識するに至ることによって成し遂げられるでしょう。
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女性であるがゆえに締め付けられ、貶められるようなことがあれば、性格に恐ろしい禍根を残すことになります。
女性であることを高く掲げれば国は向上するでしょう。
母が奴隷であれば、その乳を吸って育つ子もまた奴隷です。
高貴な女性が育てるのは、英雄、思索家、すなわち人間です。
喜ばしいことに、すでにこの国の多くの女性と少女たちがキリスト教への改宗を遂げました。
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あなた方はどれほど願い、勤め、祈ってきたことでしょう。
あなた方が心をかけてきた者のために。
そうです。
あなた方は夜に咲くというセレウスサボテンの花が開くのを見守ってきたのです。
その時が目前に迫り、兆しが現れる日がいつかやってきます。
葉先がゆっくりと明るくなり、さやは丸く膨らんできました。
人の生涯が花開くには、叫び、もがかねばならないことは明らかです。
夜ともなれば、あなた方の心はそのことばかりに気を取られます。
そして、ほら!決して忘れられることのできない一瞬がやってきます。
豊かな白いクリームが優雅な姿で芳醇な香りをまとい、金色の花芯を伴って、あなた方の目の前にはじけるように開かれるのです。
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このように、またはそれより大いなる意図をもって、あなた方は生徒たちの改宗を祈りつつ待ち続けてきました。
あなた方の友人の心が自らを優しい天の力の前に広げて見せたとき、あなた方の心を満たす喜びを語るのはだれでしょう。
今日、この国の優しき女性が大勢集まり、キリスト者として人生の自由と歓喜を飛び上がらんばかりに喜んでいます。
これほど多くの女性たちがキリスト教へ改宗したことは、この国がキリスト教国になることの予兆であり、それを保証するものです。
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ミーチャム師は聖なる労苦を負う教師たちを励ますべく、エマーソンを引用して話を締めくくった。
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もし私たちが極めて謙虚な態度で、できる限り上手にテープを1ヤード織ったとすれば、ずっと後になってから、自分たちが織っていたのは木綿のテープなどではなく、銀河だったと気づくでしょう。
そしてその糸が「時間」と「自然」であったことに。 (続く)
図版:
・布恵利須英和女学校(『女学雑誌』183号 1889年5月)
参考資料:
・The Japan Weekly Mail, July 9, 1887
・The Japan Weekly Mail, June 8, 1889
・『フェリス和英女学校六十年史』(フェリス和英女学校、1931)
・『フェリス女学院100年史』(フェリス女学院、1970)