On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

■モリソン夫妻の銀婚式(後編)

2017-11-16 | ある日、ブラフで

舞台が終わり、夕食が振舞われると、祝辞を述べるためにひとりの老紳士が立ち上がった。

居留地の名士であり、モリソン氏の古くからの親しい友人ウィーラー医師である。

§

紳士淑女の皆さま、私どもはモリソン夫妻の結婚25周年という最も喜ばしい出来事を祝うべくここに集いました。

横浜の地に来て間もない方々は、私が勘違いをしていると思うに違いありません。

つまりわれらが美しき女主人を外見から判断する限り、
25年間も婚姻の神ヒュメンに捕らわれてきたとは到底信じることはできないからです。

とはいえ、かわいらしい花嫁がやって来た時の記憶をたどれば、それが事実であることは疑いを入れません。

25年という歳月が流れるうちには、光に照らされる時も、陰にうつろう時もありましたが、
年を重ねるたびに彼女の優美さは更に増してきました。

§

良き友モリソンの「勢力範囲」に属するすべての人が、極めて寛大な資質、
すなわち他者への愛、共感、思いやり、そして自由な魂の現われを見出すでしょう。

それらは個人のレベルのみならず公共奉仕の場においても発揮されるのです。

モリソン夫人を知る皆さまに私があえて、彼女の魅力的な物腰、もしくはその妖しい声、
愛に満ちた心、手を差し伸べる親切さ、気持ちの温かさと寛大さについて話す必要があるでしょうか。

私どもは彼女の中に人生におけるあらゆるやさしい憐れみの心を見出します。

すなわち、悲しみや病、逆境にある人々への愛情、博愛そして同情心です。

一言でいえば、紳士淑女の皆さま、私は確信しております。

古くからの友も新しい友人も、皆が皆、モリソン夫妻の友情に与ることのありがたさを感じていることを。

夫妻は、交際するすべての人に喜びを与え、その幸福に貢献することを怠ったことはありませんでした。

友人たちに示す親切心と忠実さ、明るいもてなしの心ゆえに、夫妻は愛情を勝ち取り、それを保つのです。

皆さま、モリソン夫妻の銀婚式にあたり夫妻の健康と幸福、そして夫妻の繁栄が続くことを
心より祈りつつ、ともに盃を乾そうではありませんか。

§

大歓声に続いて、出席者全員で“彼はいいやつだ”の合唱となった。

§

いまだ歓声の収まらぬなか、今宵の主人公が祝辞への感謝の言葉を述べ始めた。

§

親愛なるドクター、そしてわがすべての友よ、皆さまのおかげで何とも難しい立場に追い込まれ、
到底力不足と思われる仕事に取り組まなくてはならなくなりました。

私の至らなさゆえに、皆さまのご寛容を頼るほかありません。

もし私が申し上げるべきことや申し上げたいことを言い忘れたとしても、
それは緊張していたせいだと思っていただきたいのです。

このように極めて重大な機会においてはそれも無理からぬことです。

§

まずは私たちの銀婚式を祝うために今宵かくも大勢の方々がお越しくださったことに対して
妻とともに心からの感謝をのべさせてください。

そして次に、我らが最も親愛なる友、いやそれ以上の存在と言えるウィーラー医師の口から語られた
身に余るお言葉を皆さまが心から受け入れてくれたことに心底より感謝します。

私たちの身に余るほど素晴らしいお言葉をいただいたのではと恐縮しています。

私たちの美点についてすばらしく寛容で、欠点については少し、というより、ほとんど無視してくれました。

§

いずれにせよ、私がためらうことなく言えるのは、私たちが横浜の住民となって以来、
長きにわたりずっと良き市民であろうと互いに努力してきたということです。

常にコミュニティーにとって幸福と最高の利益をもたらすために常に全力を尽くしてきました。

かれこれ25年間、私たちは皆さまと向かい合ってきました。

私たちは自らの人生を本のように開いてご覧いただけるようにしてきました。

皆さまにどう見えるかわかりませんが、とにかく義務を果たしてきました。

私たちは互いに恥じるようなことは何一つしたことがありません。

そう申し上げても差し支えないと思いますし、誇りに思うことをお許しいただけると思います。

§

ここでモリソン氏は25年前の結婚披露宴の際のスピーチについて語った。

その日、自分が語ったことを今日に至るまで忘れなかったのである。

§

それ以来、妻と私は互いに手を携えて人生の戦いを潜り抜けてきました。

山あり谷あり、喜びも悲しみも経験しました。

悲しみのひとつについては多くの方がご存知でしょう。

ただ、私はいつまでもそのことに留まるつもりはありません。

私たちはずっと離れることなく、神のご加護によって常に互いを支え、慰めることができました。

§

そして今、良き友人である皆さま、私たちは、ご存知のように春には故国に戻ろうと考えています。

もちろんまた戻ってきます。

愛するこの地と親愛なる皆さまの元へ。

その時また、今日ここにおられる友人たちの出迎えを受けることができたら、それは幸福な帰還となるでしょう。

この盃を横浜の素晴らしい友人たちに捧げます。

皆さまの健康と幸福を願って飲み干しましょう。

§

祝宴はその後暫く続き、「Auld Lang Syne(ほたるの光)」の合唱で幕を閉じた。

モリソン夫妻に贈られた数々の銀製の記念品は上階の部屋に展示され、多くの人が見に訪れたという。

 

写真手前左がウィーラー医師の墓。柵を隔てて右がモリソン氏の墓。かつての親友は今も隣り合って外国人墓地に眠る。

 

写真:
・素人芝居に出演したウィーラー医師(写真左端)(Petter Dobbs氏所蔵)モリソン夫妻の銀婚式とは別の折に撮影されたもの。
・横浜外国人墓地(筆者撮影)

参考資料:The Japan Weekly Mail, February. 11, 1905

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