On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

■モリソン夫妻の銀婚式(前編)

2017-11-09 | ある日、ブラフで

開港から10年にも満たない1867年、一人の英国人青年が上海から横浜にやってきた。

彼、ジェームス・ペンダー・モリソンは、友人と共同で山下居留地48番地に貿易会社を設立。

事業は成功を収め、やがて横浜外国人コミュニティーの重鎮として、外国人商業会議所会頭、横浜クリケット&アスレチック・クラブ会長、日本アジア協会評議員、外国人墓地管理委員会会長など数々の重要な役職を歴任し、その名士としての存在は揺るぎないものとなった。

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しかし、彼の成功は事業によるものだけではない。

一人の魅力あふれる女性の存在が、モリソン家に華やかさと輝かしさを加え、人々の羨望を集めたのである。

彼女の名はイザベラ・モリソン。

「シシィ」の愛称で親しまれたモリソン氏最愛の妻である。

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1905年(明治38年)2月4日土曜日の夜。

モリソン夫妻の銀婚式を祝う会がブラフ(山手町)118番地Aのモリソン邸で開かれた。

熱気に包まれた会場の様子をしばしのぞいてみよう。

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ふだんは音楽室とホールとして使われている部屋にプロセニアム(芝居用の額縁状の枠)が設えられ、そこには「S. M.」―1880-1905―「J. P. M」と書かれた飾りと、スコットランドの出身であるモリソン家の紋章の付いた盾も添えられている。

この「劇場」の正面席はもちろん、図書室や食堂までが約300名の「観客」すなわち今夜の招待客で埋め尽くされていた。

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午後9時半、オーケストラの演奏に続いて、子息であるジョン・モリソン氏が前口上役として舞台に登場。

今宵の演し物と出演者を言葉巧みに紹介すると、早くも会場は喝采に沸いた。

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最初に登場したのは、ピンクと白のヴェネツィア風の帽子と、ピンクのリボンで縁取りされた白い絹地のアコーデオンプリーツのドレスを身に着けた5人のご婦人。

一幅の絵のような踊り手たちは、羽根飾りのついたピンクの枝を手に、ヴェネツィア風のダンスを優雅に披露し、盛んにアンコールを求める声に鷹揚に応えた。

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再びオーケストラの演奏を挟んで、いよいよ本日一番のお楽しみ、スティーヴンソン作、ジャコボスキー作曲、喜歌劇“ヴェネツィアの歌手”の幕開きである。

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舞台は14世紀のヴェネツィア。

あらすじは次の通りである。

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主人公ビアンカはリュート奏者の娘。

父は知り合いのパオリーナに彼女を託して世を去り、孤児となった彼女はパオリーナの弟マテオと恋に落ちる。

ふたりは結婚を誓うが、賢明なパオリーナはまず十分な金を貯めるまで式をまつようにと釘を刺す。

マテオはゴンドラを曳き、ビアンカはガラス玉工場で働くが、ふたり合わせてもわずかな稼ぎ、結婚への道のりは遠い。

そこでビアンカは得意の歌で稼ぐことを思いつく。

女性が大道で歌うことは法律で禁じられているため、仮面をつけて少年に扮し、婚約者にもその姉にも内緒で流しの歌手となった。

仮面の歌い手はやがてヴェネツィア中の評判になり、瞬く間に一軒の店が持てるほどの資金がたまった。

共和国のドージェ(元首)も才能豊かな少年の歌声に魅了され、彼を庇護するために警備官グレゴリオに歌手の後をつけさせる。

ビアンカのもとを訪ねてきたグレゴリオを見てマテオはふたりの仲を疑う。

ビアンカはグレゴリオからドージェの贈り物を受け取り、ついに結婚できると喜び歌う。

マテオはその声を聴いて彼女こそが少年歌手であったことを知って疑いは晴れ、恋人たちの歓喜のうちに幕が下ろされる。

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主役ビアンカの役を務めたのはもちろんシシィ。

すばらしい美声で人々を魅了し、アンコールを求める声が芝居の進行を妨げるほどであった。

彼女はこれまでもたびたび公の場で歌を披露し、素人芝居のマドンナ役として称賛を浴びてきた。

1898年、慈善音楽会に歌手として出演した際には、英国駐日公使アーネスト・サトウが「すばらしい歌を聞かせた」と日記に書きとめているほどである。

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相手役を務めたエセル・メイトランド夫人の出来栄えも素晴らしく、カーテンコールに現れた出演者、オーケストラ一同に惜しみない喝采と花束が贈られた。

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続いてブラディ氏が”Our Bazaar”を彼独特のスタイルで披露し、アンコールの声に応えて今日のよき日にふさわしい歌を歌いあげた。

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オーケストラが最後の演奏を終えると、締めの口上役が登場。

前口上同様、才気あふれる作者の手になると思われる見事な出来栄えであった。

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皆様に申しあげます。

今しばらくお待ちくださいと。

大切なこの日について二言三言。

思い出の、喜びの、そして悲しみの日。

けれど喜びをこそ最も強く書き留めておいてください。

調和と祝賀の記録

この最高の喜びに満ちた祝祭についての。

心地よく保たれてきた愛のシンフォニー

涙を知らぬ幸先の良い日とともにあり、

むしろ大きな幸福について語るのです。

25年前から、今日この日のために

ひとつの時代がはじまったことに、お気づきください

それは純粋で輝かしい愛の幸福な結婚の年月

今宵、思い出すに値すると思われる

遠い昔の偉大な出来事を

ささやかな物真似芝居と

友人やご近所のみなさんをお招きして祝うために

心の底から、私たちとひとつに声を合わせてください

最善を尽くした私たちのショーは終わりました

友人の皆様、おかげさまで無事に残りを終えられます。

もし私たちのささやかな努力によってお楽しみいただけたなら、

今ひとたびの万歳の声がこのホールの隅から隅まで

響きわたりますように。

(後半に続く)

図版:J. P. モリソン肖像写真(公益社団法人 横浜カントリーアンドアスレティッククラブ 蔵)

参考資料:The Japan Weekly Mail, February. 11, 1905

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