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1889年(明治22年)6月1日(土曜日)、山手178番地に開校して14年目に当たるこの日、フェリス学校設立14周年記念の式典が盛大に開催された。
約2年前から拡張増設してきたヴァン・スカイック・ホールの献堂式を兼ねる栄えある催しとあって、会場にはブース校長夫妻ら学校関係者のみならず、米国総領事グレイトハウス夫妻、神奈川県知事沖守固夫妻その他外国人紳士淑女など約300名が威儀を正して姿を見せていた。
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米国リフォームド教会の宣教師として来日したブース氏が2代目の校長に就任したのは1881年12月。
31歳のときのことであった。
新校長は着任と同時に学校改革に取り掛かった。
教育内容を米国の女学校並に充実させるべく、それまでの学科課程を改めて編成し、入学から卒業までのカリキュラムを定めた。
学科を3課に分け、第1を1年間の前課、第2を5年間の本課とし、これらのクラスでは一般英語科目のほか、博物学、英国史、倫理学、自然哲学を履修する。
更に学び続けたいと希望する生徒はおよそ3年間をかけて第3の後課で化学、天文学、アナロジー論、キリスト教護教論等を選択して学ぶことができた。
ブース校長はこれらの学校規則を明文化し、1882年1月にはさっそく冊子にまとめ500部印刷し、国内の要所に配布した。
当初、この規則書は手書き、手刷りであまり見栄えのするものではなかったが、フェリス・セミナリーの存在とその教育方針を広く知らしめ、多くの入学志願者を集めるに至った。
しかし地方からの生徒を受け入れるための寄宿施設が不備であったために、実際に入学するものは少なく、せっかくの学校発展の機会を逃さぬためにも、また学科の枠を超えた女性としての全人的な教育を目指す上でも、寄宿舎の増築が喫緊の課題となった。
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ブース校長は早速、米国リフォームド派婦人伝道局等各方面に寄宿舎及び校舎の増設のための資金提供を要請した。
その甲斐あって1883年の秋には増築が完了し、寄宿舎の収容力は42名から90名に倍増した。
しかし入学志願者はその後も増え続け、2年もすると最早その数は寄宿舎の収容人数を上回る事態となった。
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ブース校長は再度の増築を決断し、資金を調達するため夫人を伴って1886年(明治19年)4月13日に帰米。
翌年7月8日に日本に戻ると直ちに新たなホールの建築に着手した。
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今回の工事はただ寄宿舎の部屋数を増やすというだけにはとどまらなかった。
それまで借用していた校舎の敷地と隣接する土地を購入し、南側と西側に新たな校舎を新築した。
そのうち4階建の建物の2つのフロアが寄宿舎に充てられ、20室の各部屋は7畳で奥に洋服ダンス用の囲いが付いている。
厨房、食堂の設備が整い、教室、学長室等も設けられた。
2階建ての校舎の1階には大きな教室が4つ、その上の階は300名の座席を有するホール兼チャペルとなっていた。
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この増築工事のための寄付金名簿には、時の県知事をはじめとする官吏及び実業家、また生徒の保護者など日本人の名も多く見られたが、太平洋を隔てた遥か米国ニューヨーク州在住の富裕な女性J・C・ヴァン・スカイック嬢が極東の島国の少女たちの教育のために寛大にも投じた資金が特に多大であったために、ホールにはその名が冠せられることとなった。
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教育を受けた女性は教育の大切さを身をもって知り、その子女にも教育を施してその子らは社会国家に有益な人材となる。
最初の規則書に謳われた女子教育の意義は、次第に多くの人に理解され、学校の規模拡大につながり、ついにホール新設を含む校舎大改築を実現させることとなったのである。
竣工を2年後に控えた1887年に発行された布恵利須英和女学校一覧の「第二章 沿革及趣旨」には、女子教育についておおよそ次のように書かれている。
女性は自らの置かれた地位に応じて様々な関係から求められる役目を機敏に果たすために、幼いころから大人になるまでの間にそれなりの教育を受け、女性としての責任と、周囲への義務をよく知り、自らの幸福だけではなく、家族や社会の幸福を進めるために、誠実に力を尽くして己の義務を果たす方法を知ることが最も大切である。
品性を向上させるには、道徳書に書かれた戒めを学び、記憶するよりも、一途にキリスト教の教えに従い、その教えの中の真理について深く考え、自ら行うことの方がはるかに優れていると思われる。(続く)
図版:
・布恵利須英和女学校(『女学雑誌』183号 1889年5月)
参考資料:
・The Japan Weekly Mail, July 9, 1887
・The Japan Weekly Mail, June 8, 1889
・『RCA伝道局報告書に見るフェリス』(フェリス女学院、2015)
・『フェリス和英女学校六十年史』(フェリス和英女学校、1931)
・『フェリス女学院100年史』(フェリス女学院、1970)
・フェリス女学院150年史編纂委員会編『近代女子教育新学制までの軌跡』(フェリス女学院、2012)