On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

■バラに松にアスパラガス!? 山手のフラワーショーは百花繚乱 

2020-08-29 | ある日、ブラフで

さまざまな国から開港間もない横浜を訪れ住み着いた人々、とりわけ数に勝る英国人たちは、故国の文物や生活様式を彼らの生活圏である居留地において再現しようとした。

英国においては1830年代に始まったと伝わるフラワーショーもその一つである。

ヴィクトリア女王治世の時代、世界各地で新たに発見された植物が海路英国に運ばれ、鉄道網を通じて種苗が全国にもたらされるようになると、園芸が人々の余暇の楽しみの一つとなった。

各地で品評会や展示会が開かれ、これらがフラワーショーと呼ばれて大いに人気を博した。

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1871(明治4)年5月、横浜山手公園において”Exhibition of Flowers, Plants and Vegetables“(花卉植物野菜展示会)が開催された。

この種の催しはその後数回続けられたが、1875年以降の記録は途絶えている。

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その10年後、詳しい経緯は不明なものの1885年6月、主に居留地の婦人たちが中心となって山手のパブリックホールを会場に横浜フラワーショーが開催されることとなった。

ただこの時は準備期間が十分でなかったために出品者が少なく、結果的にブラフ(山手町)28番地で日本産植物の輸出と西洋花卉の輸入を営む米国人・ベーマー氏のコレクション展の色合いを帯びたものとなったようである。

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そこで翌年のフラワーショーでは、展示をより充実させるために準備期間を十分とり、盆栽、野菜、果実、剪栽花、食卓飾りの5つの部門を設けて幅広く園芸愛好家からの出品を募ることとなった。

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今回も主体となったのは婦人たちで、20名の委員全員が女性である。

委員長は英国領事館の判事ハンネン氏夫人、名誉会計は横浜税関法律顧問ラウダー氏夫人、名誉書記は横浜英国領事館医官ウィーラー医師の夫人が務めたほか、西洋式の冠婚葬祭用の花かごや花束の作り方を日本人に教えたと伝わるマンレー夫人や、洋ランの栽培方法を日本人の園丁に教えたといわれるディンスデール氏の夫人も参加した。

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外国人主体の催しとはいえ地域の友好イベントとしての側面もあったようで、日本側の名士夫人である沖神奈川県知事夫人、有島税関長夫人、岡村横浜始審裁判所長夫人らも委員として名を連ねており、日本人による出品や観覧も歓迎されたようである。

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開催収益から貧民救済のための義援金を拠出することになっており、チャリティーもショーの目的の一つであった。

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1886(明治19)年5月13日、横浜毎日新聞に「横浜草木花卉品評会」の広告が掲載された。

 

 

かねて広告した横浜草木花卉品評会がいよいよ本日21日及び22日午後2時より山手居留地公会所において開場となる。

なお22日午後8時30分より同所において大音楽会が開催される。

入場料は次の通りで、17日以降、レーン・クロフォード社、ケリー・ウォルシュ商会にて取次。

初日1円、2日目50銭(いずれも当日植木等営業する者並びに子女を携帯する乳母は半額)

音楽会入場料金1円 

 

記事のなかの「山手居留地公会所」とはパブリックホールを指す。

当日の会場の様子は次のようなものであった。

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まずメインエントランスを入った第一室は食卓飾りの部である。

テーブルが6つ並べてあり、その中から来場者の投票によりその日の第一等が選ばれる。

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一番目のテーブルには淡紅色のバラが大小の白磁の花瓶に活けられており、二番目のテーブルは淡紅色のバラと白いバラの組み合わせで、三番目のテーブルにはガラスの花瓶が置かれ、黄色のバラと鳶色の楓の枝が飾られていた。

第四のテーブルは白のマーガレット(筆者注:日本語新聞では「石竹花」)に鳶色の楓の枝があしらわれている。

そしてオレンジ色の絹で覆われた第五のテーブルは、中央に氷の塊の山を、その周りに水槽を配してマーガレットとメイデン・ヘア(シダの一種)の花束で優雅に飾り付けられている。

水槽には金魚が放たれて涼しげに泳いでいる。

六番目のテーブルにはあざみの花が活けられていた。

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続いて第二室に入ると、会場の中央にはたくさんのテーブルが並び、側面にブースが設けられ、バラやマーガレットをはじめ、審査を通った様々な種類の花と植物が広々とした会場を鮮やかに飾り立て、周囲には芳香が充満していた。

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中でも特に人々の目を引いたのはジェームズ氏が出品した見事なバラや楓、メイデン・ヘアのコレクションであった。

ジェームズ氏はアメリカ人の貿易商で、今回のフラワーショーの準備委員会では議長を務めた。

後に山手の自邸に50坪の広さの温室を設けて洋ランを栽培し、鑑賞のために公開するなどアマチュアの園芸家として知られる人物である。

バラのコレクションは植物の葉で仕立てた60センチ四方のトレーに載せて展示されており、メイデン・ヘアのコレクションにはオーストラリア、ブラジル、インド、英国産のシダなどが含まれていた。

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フラワーショーの委員長であるラウダー夫人は赤く熟した大粒のイチゴが溢れんばかりに入った籠を出品して注目を集めた。

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同じく委員を務めるマンレー夫人は籠に入ったカナリアを配したシダの飾りスタンドを、夫のマンレー氏は美しいデザインのバラのほか、和船の形に仕立てた斑入りのアオキ(筆者注:原文はever-green oak)を出品した。

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種苗業者のベーマー氏はベゴニアとクロトンとシダ、合間にシタキソウ、グロキシニア、ユリを配した大ぶりな花束のほか、ペラゴニウム、ゼラニウム、ヘリオトロープ、グロキシニア、メイデン・ヘア、ベゴニア、クロトン、ヤシ、ユリ等々の見事なコレクションで人々を魅了した。

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日本勢としては、奥村夫人が少なくとも10回の接ぎ木で生み出された立派な楓やオーストラリアアカシアを、沖神奈川県知事夫人は貴重な石化杉を、その夫の県知事自らもシンビジウムを出品したほか、庭師や居留民の屋敷で働く園丁らも参加した。

帝国大学植物園のコレクションのコーナーも設けられており、ウチワサボテンや鹿角シダといった貴重な植物が展示された。

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会場の奥には忍草と日本のシダの茂みの中にミニチュアの鳥居が、ステージの下には沖県知事の提供による日本庭園の見本がしつらえられている。

庭園の小さな池には小さな魚たちが戯れていた。

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英国風の庭園の展示では、昔ながらの英国の宿屋を思わせる庭に、バラの花やバーベナ、ラン、シダそして低木が繁茂しており、赤松をはじめとするいくつかの松の見本もあった。

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会場の正面、ステージは喫茶コーナーとなっており、天井からは大きな花傘が吊るされ、左右を紅白の幕に囲んだ中に、英米仏独各々の屋台が設けられている。

お茶やコーヒー、砂糖菓子や果物が各々およそ2、30銭の値で供されていたが、5円、10円、なかには30円、50円を払っておつりを受け取らずに立ち去る人もいた。

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午後6時の閉会とともに食卓飾りの投票結果が発表され、一等はマーガレットのテーブル、二等賞はアザミのテーブル、そして氷の塊の山を飾ったテーブルが受賞した。

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事前審査の受賞者は次の通り。

 

《一等》
ピンクのバラ:L.モット氏
一重ゼラニウム(深紅):ウッド夫人
一重ゼラニウム(ピンク):ウッド夫人
二重ゼラニウム(ピンク):ウッド夫人
フクシア:タルボット夫人の庭師
ミモザ:原田夫人
ピオニー:アキサブロウ氏
蘭 最高:沖県知事
シダの飾りスタンド:マンレー夫人
ソテツ(鉢):岩槻小三郎氏
サボテン花:サダジロウ
シダのコレクション:ジェームズ氏
メイデン・ヘア:ジェームズ氏
最も珍しい葉の樹木:沖県知事
竹珍種:西村政子
仕立て松:スダ定次郎氏
木生シダ:帝国大学植物園
椰子:帝国大学植物園
鉢植え4点:帝国大学植物園
大型シダ:帝国大学植物園
斑入り樹木:マンレー夫人
バラ切り花4本:モリス夫人
ハンドブーケ:ブル夫人
バラコレクション:ジェームズ氏
石組と樹木:カイギニ
イチゴの籠:ラウダー夫人
野菜のコレクション 最高:ラングフェルト氏
アスパラガス 最高:ラングフェルト氏

《二等》
バラ(白):ミナモト・オウ
一重ゼラニウム(深紅):ハンネン夫人
一重ゼラニウム(白):マンレー夫人
二重ゼラニウム(深紅):ウッド夫人
ペラゴニウム:J. C. ヘボン夫人
蘭:スダ定次郎氏
シダのコレクション:奥村夫人
斑入り樹木の仕立て:―
バラ4本:山手町6番地庭師
ハンドブーケ:ブル夫人
グーズベリーの籠:サイメ夫人
野草のコレクション 最高:ハンネン夫人

《三等》
バラ(白):ミナモト・オウ
テーブルのセンターピース:ブルーク夫人

《佳作》
鉢植えの草花:アボット氏
グローブグラス入りの花:モリス夫人
シダのアレンジメント:奥村夫人

《特別賞》
庭園ひな形:タルボット夫人の庭師

 

図版
・フラワーショー出品者のひとりであるベーマー氏(山手町28番地にて園芸関係の商社を営んでいた) Charles Wirgman, The Japan Punch, May, 1885
・『横浜毎日新聞』明治19年5月13日

参考資料
The Japan Weekly Mail, June 6, 1885
The Japan Weekly Mail, April 10, 1886
The Japan Weekly Mail, May 29, 1886 *受賞者リストは本資料の記事による
・『横浜毎日新聞』明治19年5月23日
・『東京日日新聞』明治19年5月23日
・『横浜の花の歴史を語る』(横浜市緑政局、1973)
・中野孝夫「横浜の薔薇 in 明治初期」(『ばらだより』日本ばら会年報第48号1998年12月 No. 507所収)

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