1882年、横浜のブラフ(山手町)28番地で、ルイス・ベーマー氏というひとりのドイツ系アメリカ人が園芸関係の商売を始めた。
百合の輸出などで利益を上げて順調に業績を伸ばし、やがて洒落た温室や倉庫を備えるまでになった。
1895年からはジャパン・ディレクトリーに「ルイス・ベーマー商会」という社名で記載されるようになる。
そして1907年、ベーマー商会はめでたく創立25周年を迎えた。
当時のドイツ語新聞に、同社が催した祝賀会の様子を伝える記事が掲載されているので以下に紹介したい。
(現代の読者のため筆者が適宜情報を補いました。また写真・葉書等の画像とその説明は筆者が加えたものです)
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1907年7月24日(水)、横浜でその名を知られるルイス・ベーマー商会の創立25周年記念祝賀会が催された。
社主であるアルフレート・ウンガー氏は、極東の地における長きにわたる成功を象徴するこの行事に、日本の取引先約200社を招待したため、正午にはこのブラフ(山手町)にしつらえられたガーデンパーティー会場は帝国各地の園芸農家の人々や中間業者であふれかえっていた。
国旗はためく会場を訪れた大勢の客たちは、華やかに飾りつけられた大広間に迎えられる。
そこには長テーブルが用意されていた。
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アルフレート・ウンガー氏
出席者が並んで集合写真を撮影した後、ウンガー氏の挨拶で祝賀会の幕が開くと、続いてルイス・ベーマー商会の25年にわたる歴史が詳細に紹介された。
ニューヨークのヘンリー&リー社のフルトン氏から寄せられた祝辞が日本語で披露された。
それは出席した園芸農家の人々に対してビジネス拡大のための貴重なヒントを与えるものであった。
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その後、夕食会でふるまわれたのは日本料理である。
出席者らが大量のごちそうと酒に果敢に挑みはじめるとたちまち座がほぐれた。
祝賀会は成功の裡に午後遅くようやくお開きとなった。
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このドイツ企業の繁栄の足跡を物語るのは、社が発行してきたカタログである。
設立当時それはささやかな冊子にすぎなかったが、やがて美しい絵入りの分厚い本となった。
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創業者のルイス・ベーマー氏は日本政府に雇われ、1872年3月に来日して主に北海道の開拓使の園芸顧問として10年にわたって奉職した。
その間にりんごやさくらんぼなど多くの果樹栽培を進めるなど多くの功績を残したことで知られている。
やがて開拓使が廃止されたため、1882年4月に横浜に移り、ここを拠点に園芸貿易業を始めた。
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ベーマー商会広告
園芸家ルイス・ベーマー
横浜山手町28番地
外国種苗栽培
高級希少植物輸入
室内・屋外栽培対応
ブーケ、バスケット、リースをはじめとする芸術的フラワーデザイン
季節を問わず年中対応
園芸のことならなんでもお尋ねください
温室及び修景、芝生、果樹園、菜園
日本の植物、株、種等々の蒐集・輸出
輸出植物の名称は正確です
梱包には細心の注意を払っています
1883年1月 横浜
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ベーマー氏のもとで仕入れ主任を担当したのが現在、横浜植木株式会社の社長を務める鈴木卯兵衛氏である。
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やがて事業が拡大するとベーマー氏ひとりでは手が回らなくなり、1889年にドイツからウンガー氏が招聘されることとなった。
7月に来日して数ヵ月後にはウンガー氏は琉球列島に赴き、ソテツを大量に仕入れ、ドイツへと出荷した。
当時ドイツではソテツは墓を装飾する植物として好まれ、高値で取引されていたのである。
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その後、鈴木卯兵衛氏は退職して独立し、鈴木正蔵氏が仕入主任の職を引き継いだ。
苗字は同じだが、二人には血縁関係はない。
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1892年、ウンガー氏はベーマー氏のパートナーとなり、二人で社の経営を担うこととなる。
そしてその2年後、ベーマー氏が病を得て帰国すると、ウンガー氏はベーマー商会の単独オーナーとなった。
輸出は年々増加し、氏は何度も欧米に足を運び、ニューヨークのヘンリー&リー社を中心に新しい人脈を築いた。
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その間に競争相手も増えたが、それはまたビジネスが拡大を続けていることを意味している。
そして今、新たな変革が求められている。
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日本法人を設立してヘンリー&リー社がアメリカ市場を、ウンガー氏がヨーロッパ市場を担当することが計画されている。
来年2月までに新体制が始動し、さらに大きな進化を遂げることが期待される。
ベーマー商会の利益のみならず日本の園芸業界の発展のためにも、この協力体制が実を結び、創立50周年記念を盛大に祝う日が訪れることを願ってやまない。
ベーマー商会から英国の取引先宛の葉書
英国 ヨークシャー ヨーク
ブラックハウス&サンズ社御中
謹啓 この度、新カタログをお送りさせていただきます。
テッポウユリにつきましてはカタログ掲載価格の10%引きにてご提供いたします。
昨年のオークション価格が安値を付けたため、球根出品者が、今年再びロンドンのオークションに出品するとは思われません。
そのためご購入の際は直接ご注文いただくこととなります。
ご用命を心よりお待ちしております。敬具
1901年3月18日 横浜
ルイス・ベーマー商会
図版(上から)
・ベーマー商会から英国の取引先へのはがき・表書き(筆者蔵)
・ウンガー肖像写真 (クライナー・ヨーゼフ 田畑千秋『ドイツ人のみた明治の奄美』(おきなわ文庫、2019))
・ベーマー商会広告(The Japan Gazette Directory, 1893)
・ベーマー商会から英国の取引先へのはがき・通信面(筆者蔵)
参考資料
・Deutsche Japan-Post, 17. Juli 1907
・The Japan Gazette Directory, 1895
・上野昌美「ルイス・ベーマー書誌(『ベーマー会会報 第1号』2009年5月 所収)
・加我稔「開拓使お雇い外国人―ルイス・ベーマー略歴」(『ベーマー会会報 第1号』2009年5月 所収)
・アルフレート・ウンガー(上野訳)「日本 観察と回想」(『ベーマー会会報 第1号』2009年5月 所収)
・中尾眞弓「あるお雇い外国人・園芸家の足跡」(『横浜植物会年報』19~22・24・26、1990~93・95・97 年所収)
・クライナー・ヨーゼフ 田畑千秋『ドイツ人のみた明治の奄美』(おきなわ文庫、2019)
・平野正裕「港ヨコハマ百合ものがたり」(『季刊誌横浜 26号』2009所収)
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