On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

◆米国海軍病院 Bluff 99

2020-03-25 | ブラフ いま昔

 

山手本通に沿って横浜外国人墓地の正門から港の見える丘公園に向かって行くと、左手にブラフ99番ガーデンと旧税関宿舎の敷地が見えてきます。

このあたりには1872年から1923年の関東大震災まで約50年近くアメリカ海軍病院がありました。

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1871年8月26日付の書面にて、米国海軍少将ジョン・ロジャーから米国海軍予防衛生官H. O. メイオに対し、米国東洋艦隊のための医療施設として横浜に海軍病院を設立するよう指示が出されました。

1871年10月25日、神奈川県令から駐日米国特命全権公使デロングへ病院建設地の永代借地権が与えられ、翌年5月までに米国海軍病院が設立されました。

病院は2階建てのコロニアル風の建物でした。

米国海軍医H. C. ネルソンが初代の院長を務めています。

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1877年、コレラの猖獗にあたって発足した健康保安局には他の外国人医師らとともに米国海軍病院の医師も参加しました。また1898年に米西戦争、1900年に義和団の乱が勃発すると、戦地で負傷した傷病兵が横浜に送られ、この病院で治療を受けました。

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1909年2月には下田菊太郎の設計で本館が建替えられます。

この頃の病院には、本館、別館、厨房、司令官宿舎、日本人従業員宿舎、使用人宿舎2棟と温室がありました。

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1923年の航空写真では、本館と別館、そして山手本通り沿いにもうひとつの建物が見えています。

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本館は2階建てで、白い石材で縁取られた赤レンガの建物でした。別館は3階建ての簡素なレンガ造りでした。

厨房もまたレンガ造りの戸建てで、その他の建物はすべて木造でした。

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本館1階には事務所、医務室、実験室、X線室、更衣室、下級士官用の部屋があり、2階には士官用の病室が10室、食堂、4つの浴室があり、建物の端から端までベランダが設けられていました。

建物にはスチーム暖房、温水、電気、運搬用小エレベーターといった最新設備が備えられていました。

陣屋坂から見た新しい本館

 

現在の同じ場所

 

病院の本館

 

山手本通りに面した病院の正門

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そして現在、横浜気象台が建っている場所には病院の別館がありました。

別館には手術室と下士官兵用の部屋、そして8床の病室が6部屋あり、3階すなわち屋根裏は30人の患者を収容できる緊急病棟として使えるようになっていました。

発電装置と洗濯室はこの建物の地下にありました。

 

外国人墓地から病院の別館を望む

 

病院の別館

 

手前に見える外国人墓地の柵の柱

 

現在も同じ場所にあります

 

病院の敷地内から見た別館①

 

病院の敷地内から見た別館②

 


今も気象台の敷地に残る当時の井戸の遺構

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1906年にフィリピンのカナカオに海軍病院が新たに設立されると、横浜米国海軍病院は、アジアにおける米国海軍の主要な医療施設としての地位を譲り、1923年関東大震災によって倒壊した後、再建されることはありませんでした。

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1872年5月27日付の米国海軍病院「ケース・ペーパー(患者の治療・経過記録)No. 1」
全6ページのうちの最初のページ。
患者ウィリアム・グレイは米国艦「コロラド号」水兵で、オーストラリア出身の37歳。
同年1月後半に香港で慢性の下痢を発症して横浜の米国海軍病院に送られ、1872年11月19日に退院した。

 

同患者の「ホスピタル・チケット(治療のために患者を艦船もしくは駐屯地より病院に移送する際の送り状)」。
本文に登場する米国海軍予防衛生官H.O.メイオ宛のものであることがわかる。

 

1907年~1908年にかけてアメリカ海軍病院で勤務していたジェームズ・C・プライヤー医師の名刺

 

図版:
・航空写真(横浜開港資料館蔵)
・ケース・ペーパー及びホスピタル・チケット(Hospital Tickets and Case Papers, compiled 1825?1889. ARC ID: 2694723. Department of the Navy, Records of the Bureau of Medicine and Surgery, Record Group 52. National Archives at Washington, D.C.)
・その他の絵葉書・写真・名刺すべて筆者蔵

参考資料:
・H. E. Randolph, ‘The United States Naval Hospital, Yokohama, Japan’, The Hospital Corps Quarterly, Jan. 1922
The Japan Weekly Mail, Feb. 10, 1872
The Japan Weekly Mail, Aug. 3, 1872
The Japan Weekly Mail, Aug. 6, 1898

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