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英国でロングランを記録した中国を舞台とする二幕物のミュージカルコメディー“サン・トイまたは皇帝の思われ人”が横浜で上演されることが告知されると、評判は評判を呼び、チケットは瞬く間に完売となった。
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主役のサン・トイ役を演じるモリソン夫人は横浜の外国人社交界の中心人物で、以前、慈善の催しとして自宅でこの演目を上演したときも同じ役を務め賞賛の的となった。
本格的な劇場へと場を移しての再演も配役はその時とほぼ同じで、人々は更に磨きのかかった舞台への期待に胸を躍らせた。
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当日、1901年(明治34年)5月22日(水曜日)の夜、ブラフ(山手町)256番地に佇むゲーテ座の観客席は運よくチケットを手に入れることのできた紳士淑女で埋め尽くされた。
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拍手のうちに幕が開くと、舞台には豪華に着飾った若い婦人達と、歯医者、占い師、米商人、理髪師ら大勢が並んでいる。
そして若い婦人達が茶目っ気たっぷりの気取った様子で、バンジョーに合わせて囀るようにオープニングコーラス“ピンカ・ポン(地名)にて宴は続く”を歌い始めた。
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♪中国皇帝陛下に光降り注ぎ、
今宵月は満ち、
この夜、楽しく陽気な人々の
宴がピンカ・ポンにて続く
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季節は中秋。
舞台主任兼美術担当のE.バート氏によってホリゾントに描かれた見事な月が、芝居の進行に合わせて天に向かって昇ってゆく。
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♪今夜、
と酔っ払いたちが言う、
♪我ら月餅を回し配り、
楽しき楽の音に合わせ鐘を鳴らし銅鑼を叩き、
月をもてなす
今宵ピンカ・ポンで
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このようにして始まった二幕の舞台の全てを記すことは控えるが、あらすじは次の通りである。
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役人イェン・ハウには、サン・トイという素晴らしく可愛い娘がいるが、彼は娘を男の子として育てている。
宮廷には役人の娘を皇帝の女官にする慣習があり、それを逃れるためである。
サン・トイは英国領事の息子である海軍大佐ボビーに恋しているが、どちらの父も二人の結婚を許さず、やがてボビーは父の仕事で北京へ行くこととなり、サン・トイのもとを去る。
一方、皇帝の新しい命令で、役人の息子も北京で軍隊に加わることとなり、サン・トイは女性であることを認めて女官になるため北京へと出発する。
父イェン・ハウは娘を返すよう皇帝に請願するため北京に向かう。
ここまでが第一幕である。
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第二幕の舞台は北京の皇帝の宮殿。
サン・トイは皇帝に見初められ言い寄られる。
そこに英国領事の一家と領事館員が登場する。
領事の娘、ポピー・プレストンが西洋の恋愛結婚の習慣を説明する。
サン・トイは自分の心が未だ彼のものであるとボビーに誓う。
続いて役人イェン・ハウと彼の6人の妻達も到着し、サン・トイが皇帝に気に入られているのを知って喜ぶ。
しかし、占星術的にサン・トイは皇帝に相応しくない相手であることが明らかになる。
恋する二人、サン・トイとボビーはめでたく結婚することになり、イェン・ハウは太守に任じられて舞台は大団円を迎える。
(後編に続く)
図版:サン・トイの出演者から英国の親戚に送られた絵葉書(筆者蔵)
通信面の訳は次の通り。
1901年5月18日 横浜より
メイベルへ
君に手紙を書かないなんて僕はなんと情けない罪人であることか!
せめてもの慰めに最新の写真をプレゼントとして郵便で送るよ。
これを受け取るころにはおそらく手紙も君の元に向かっているだろう。
だから機嫌直して。人を許さないでいるには人生は短すぎるよ。
君のいとこフレッドより。
追伸:『サン・トイ』のリハーサルで今メチャメチャ忙しい!ヤレヤレ!
参考資料:
・The Japan Weekly Mail, March 23, May 25, June 1, 1901
・増井敬二『日本のオペラ 明治から大正へ』(耕文社、1984)
・San Toy Wikipedia (https://en.wikipedia.org/wiki/San_Toy)