1904(明治37)年9月14日水曜日の午後、横浜クライストチャーチにてナサニエル・ジョージ・メイトランド氏とエリノア・イザベラ・プール嬢の結婚式が行われた。
新郎はイギリス人、ロンドン生まれの28歳、花嫁は三歳年下で、シカゴ生まれのアメリカ人である。
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メイトランド氏はチャータード銀行の上海支店に勤務したのち、おそらく1899年頃横浜に移り住んだ。
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エリノアは茶の貿易商であった父オーティス・オーガストス・プールが横浜のスミス・ベーカー商会に招かれたため、9歳の頃に両親と兄ハーバート、弟チェスターとともにアメリカ・シカゴから横浜にやってきた。
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メイトランド氏は歌の素養があり、上海でも横浜でも素人芝居でその美しいバリトンを披露したという。
プール嬢もまた幼い頃からピアノを能くし、東京帝国大学教授であり、東京音楽大学(現・東京藝術大学)でピアノと音楽史を教えていたラファエル・フォン・ケーベル氏に師事していた。
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1901年5月に横浜で上演されたミュージカル・コメディ「サン・トイ」で、メイトランド氏はモリソン夫人扮する主人公サン・トイの相手役ボビー役を務めて好評を博したと当時の新聞が伝えている。
この芝居にはプール嬢も出演していたので、二人のなれそめはこのあたりにあったのかもしれない。
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メイトランド氏の子孫の手元にはその頃に撮影されたと思われる写真が残されている。
居留地の仲間との楽しい遠出の一場面といったところだろうか。
プール嬢の兄バートの姿もみえる。
前列左端 チェスター・プール、前列右端 ナサニエル・メイトランド、後列左から5番目 エリノア・プール
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W. P. G. フィールド師が司式し、礼拝は合唱のみで行われた。
白い花ツタと竹の小枝で飾り付けられた教会は、若いカップルの友人や親しい人々で込み合っていた。
やがて父O. A. プール氏にエスコートされて素晴らしく魅力的な花嫁が聖堂に現れた。
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花嫁の衣装は象牙色のサテン地で、トレーンは白いレースで縁取られており、腰のヨークはタック付きで、スカートの裾には3つのタックが施されていた。
頭にはオレンジの花のリースをあしらっている。
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ブライドメイドはザイディ・ロジャース嬢とキャスリーン・ホール嬢、ベストマンはW・B・ホワイト氏、グルームズマンはH・A・プール氏、アッシャーはO・M・プール氏、S・ウィーラー氏、A・R・オーウェン氏、K・バン・R・スミス氏が務めた。
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1. 新婦の弟チェスター、2. 新婦 エリノア・プール、3. 新郎 ナサニエル・G. メイトランド、4. 新婦の兄バート、5 新婦の母、6. エドウィン・ウィーラー、7. シドニー・ウィーラー
ブライドメイドは、透明なレースのヨークのついた、シルククレープ地の淡いブルーのドレスという装い。
新婦はオレンジの花を使った白いブーケを、ブライドメイドは淡いピンクのバラのブーケを手にしていた。
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プール夫人は、ダブ・グレーのブロケードにピンクのバラをあしらった黒い帽子を被り、
W. W. メイトランド夫人は、クレープデシン地の淡い紺色のドレスに黒の帽子を合わせていた。
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ヒュー・ホルン氏のオルガンによるメンデルスゾーンの結婚行進曲に見送られて幸福なカップルは教会を後にした。
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挙式の後、新婦の実家(ブラフ89番地a)でレセプションが開かれ、多くの人が出席した。
通例の新郎新婦への乾杯は、ウィーラー医師が見事に音頭を取り、心のこもったものであった。
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新郎は新婦にダイヤモンドのついた三日月型ブローチを、ブライドメイドひとりひとりに菊をかたどった金のブローチを贈った。
豪華な贈り物がたくさん寄せられた。
プール氏は娘にスタンウェイのグランドピアノを贈った。
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新郎がブライドメイドのために乾杯したのち、二人は多くの友人たちの心からの祝福と好意に包まれて新婚旅行先である日光へと旅立ったのである。
図版:すべてアントニー・メイトランド氏所蔵
参考資料:
・The Japan Weekly Mail, March 23, May 25, June 1, 1901
・The Japan Weekly Mail, Sep. 17, 1904
・Poole FAMILY Genealogy, www.antonymaitland.com/poole001f.htm