On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

■「家族」の願いが叶った日(ユニオン・チャーチ献堂・後編)

2018-11-22 | ある日、ブラフで

 

鋤入れ式の翌年に礎石が設置されると、建材が着々と地面を覆い始め、さらに上へと積み上がり、やがて優美な尖塔が姿を現した。

着工から約2年、新ユニオン・チャーチはついに完成のときを迎えたのである。

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新しい教会は上から見ると縦100フィート(約30メートル)横72フィート(約22メートル)の十字の形をしており、その中心には約95フィート(約29メートル)の高さの鐘楼が天に向かってそびえている。

ブラフの新たなランドマークにふさわしい堂々たる建築である。

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快適さへの配慮も怠りなく、夏は涼しく冬は暖かに保たれるよう建物の屋根は二重になっており、石渡スレートで被覆されている。

照明と暖房用にガスと電気の両方が供給されていた。

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1910(明治43)年10月15日、献堂式当日。

あいにくの土砂降りにもかかわらず、地元横浜はもとより、東京などから以前の信徒や、教会を通じての古くからの友人など多くがヴァン・スカイック・ホールに集まった。

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時刻となり、一同は建築委員会を先頭に評議会、教会会議、聖歌隊、そして招待客、一般信徒の順に列を作り、メインストリート(山手本通り)をはさんだ向かいにそびえる初期ゴシック風の堂々たる白亜の建物へと向かった。

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扇をさかさにしたような印象的なデザインの階段を上がり、聖堂の入口へと向かう。

そこで短い礼拝が行われる予定だったが、雨のため中止せざるを得ず、屋外での式は鍵の受け渡しのみとなった。

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建築委員長として今回の事業の最初から携わったJ. T. グリフィン氏は、建築家のB.M.ワード氏から受け取った鍵を評議会議長であるJ.マクベス氏に手渡しつつ次のように述べた。

横浜ユニオン・チャーチ信徒会より任命を受けた建築委員会の名の下に、この教会、建物の管理をユニオン・チャーチ評議会の代表者であるあなたに委ねます。

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マクベス氏は鍵を手に受取りつつ答えた。

横浜ユニオン・チャーチ評議会の名の下に、ユニオン・チャーチ会衆が使用するために、この建物の管理をお受けします。

§

ドアが開かれ、一同は真新しい聖堂内部へと一歩一歩進んでゆく。

ゴシック窓を通して差し込むはずの色とりどりの光がないのが惜しまれたが、堂内は十分に広く、説教壇も会衆席も無垢のケヤキ材を使った立派なものである。

聖歌隊の席は会衆席に向かってやや斜めにしつらえられており、説教壇の背後にはオルガン室が見える。

オルガンは二段式、23ストップ、放射ペダル鍵盤がついている。

オルガン室から鐘楼に登る梯子があるが、残念ながら未だ鐘はない。

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会衆が「テデウム」を歌って神に賛美を捧げた後、全員が献堂の言葉を唱えた。

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天の父の御恵みにより建てることが許されたこの建物を、私たちはいま謹んで信仰と礼拝のために捧げます。

聖なる神の栄光のために、また神の国へと近づくために、そして人々の祝福のために、父と子と聖霊との名によって。

アーメン。

§

礼拝が終わると一同は聖堂の下の階へと降りた。

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この階の西の端には教会付属室、厨房、手洗いが、東の端にはチャーチパーラーが設けられており、チャーチパーラーの折り戸を外すと聖堂の真下にある日曜学校の教室と一体化して、聖堂と同じ座席数、すなわち300-400人、必要に応じて500人までを収容できる集会室となる。

§

献堂式を終えた人々はこの集会室に入り、広々とした部屋を見回した。

そして初めて自らの家を、すばらしい家を持った家族のように、互いに心からの喜びを分かち合ったのである。

 

 

図版
・ユニオン・チャーチ写真(筆者蔵)
・ユニオン・チャーチ完成予想図(The Weekly Box of Curios 発行年月日不明)

参考文献:
The Japan Weekly Mail, October 22, 1910
・横浜ユニオン・チャーチ ウェブサイト

筆者注:The Japan Weekly Mailの原文には、献堂式の開催日が記載されていないため、横浜ユニオン・チャーチ ウェブサイト及び気象庁ウェブサイト「過去の気象データ」を参考にして10月15日と判断した。
 同じく原文には評議会議長(the chairman of the board of Trustees)の具体的な人物名は記載されてない。1910年2月7日に行われたユニオン・チャーチの総会の時点においてマクベス氏が評議会議長であったこと、また同年内は議長を務める予定であったこと(The Japan Weekly Mail, Feb. 12, 1910)から献堂式の時点でも同氏が評議会議長であったと推測したが、残念ながら確証はない。

 ユニオン・チャーチ

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