冬桃ブログ

日常雑記です。

なにがあろうと、時は流れて……。

2016年05月15日 | 雑記


 ライブも観られる野毛のカフェ&バー「うっふ」
https://www.facebook.com/yokohamanoge.oeuf/?fref=nf

 手回しオルガン
 

 無数に穴の開いた紙が、本をめくるように
一枚一枚、オルガンから吐き出されていく。
 

 エアリアル 
 布を使った空中ダンス。迫力のある美しさ!


 
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全然、納得してないけどね!

2016年05月13日 | 雑記
 マスゾエさんのことではない。
 私の個人的な事件。
 だけど、もしかしたら同じ問題に
直面する方もいるかと思うので、
あえて書く。

 母の成年後見人になるための書類を
大汗かきながら揃え、提出してはや二ヶ月。
 家庭裁判所からなんの知らせも来ないので
思い切って電話してみた。

 「あ、知らせてませんでした? すみません」

 案の定、ある時点から忘れられていたらしい。

 「ええと、成年後見人は司法書士ですね。
まだ特定の人が指名されてはいませんが」

 えっ、なんで? 
 たった一人の身内である私ではないの?
 なにゆえ、私は落とされたの?

 「私が母の後見人になれない理由を教えてください」
 「あ、それは裁判官の判断です」 
 「だけど、どんな裁判であれ、判決理由というのが
あるじゃないですか。私はそれを知る権利があると思うのですが」
 「いや、成年後見人選定の場合は、理由は明かされないことに
なっています」
 「それを決めた裁判官に会えないのですか?」
 「会えません」
 何を言っても、法律でそう決まってますから、
と相手は繰り返す。



 私はショックだった。大きな屈辱も覚えた。
 どうして会ったこともない人に、無味乾燥な
書類だけで、母の後見人失格と決めつけられたのか。
 せめて理由を知りたいと思うのは、人間として
当たり前の感情ではないか。
 なのに、法律でそれができないというのが
私にはどうしても納得できない。

 この先、母が生きている限り、母の、さして
多くもない貯金の中から、月数万円の報酬が
司法書士に支払われる。
 その貯金は、認知症でほとんど寝たきりの母が
施設でお世話になるための大事なお金だ。
 私が施設に行くための交通費、母の衣類その他、
必要なものは私個人が支出する。
 母の貯金からは一切下ろせない。
 でも、後見人に選定された司法書士は
母の施設へ行く交通費も、母の貯金から出す。

 なんでそんな馬鹿なことが……と義妹と
電話で話しながら溜息をついた。
 弟の遺産の一部が母に入る、という現実はある。
 けど、そのことで義妹と揉めているわけではない。
 私は義妹が好きだし、彼女も私を思いやってくれている。

 成年後見人関連の著書もある、
某弁護士さんに尋ねてみたところ、
「山崎さんが収入の不安定な自由業だということも
裁判官の判断材料になったかもしれません」
 お金に困って、親の貯金を使い込むかも、
ということらしい。

 たいしてすることもないのに、毎月数万円も
司法書士に払わなければならないことは、
もちろん腹が立つ。
 しかし、不安定な自由業だというだけで、
(あるいはなにか他の理由で)
私の人間性を勝手に決めつけられたことに
もっとも怒りを覚える。
 義妹と遺産のことで揉めるだろうと、これも
勝手に判断されたとしたら、それも心外だ。
 わたし達は両方とも、そんな人間ではない。

 しかし、名前も知らない、会うことも叶わない
裁判官の判断が、法的にはすべて。
 現実として、どうすることもできない。

 疲れた。御飯つくる気力ない。
 今日はこれね。

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あら、GWだったのね?

2016年05月06日 | 雑記
 基本は原稿書きと仕事の取材だったが
合間にぱたぱたと用事をこなすうち、
「ゴールデン・ウィークも終わりですねえ」
 と、テレビからキャスターさんの声。

 例年は日常通り淡々と、一人で映画ビデオを
観まくったりして過ごすのだが、今年は
どこかへ遊びにいったわけでもないのに忙しかった。
 気がつけば夏のような暑さ。
 もうちょっと長く春でいて欲しいのに……。

 母の施設移転。
 最近の母は、こうして車椅子に座っていることも
少なくなった。
 ベッドに寝て、目と口を開け、天井を見ている。
 それを見るたびに切ない。



 仕事の合間に日本大通り「ギャルリーパリ」
で開催中の「ティンガティンガ原画展」へ。
 島岡強さん・由美子さんご夫妻に今年も会えた!
 鮮やかな色彩の、元気が出る画がいっぱい。
 アフリカン雑貨やコーヒーも。
 私がしているネックレスはここで買ったもの。
 8日までやってます。
 まだの方、ぜひお越しを!



 その足で、中華街で開催中の森直実写真展へ。
 知った顔でいっぱい。
 みんな、まったりと飲みながらくつろいでいる。
 横浜にはこういう場を創り出すことの
できる人が何人かいる。
 森直実さんは、まぎれもなくその一人。



 ここで顔を合わせた友人の白鳥さん、馬晶さんと
一緒に、馬晶さんお勧めの隠れ名店へ。
 小さい店だけど、料理はほんとうにおいしい。
 教えたいような教えたくないような……。



 ここの老板が占いをしてくれた。
 生年月日を旧暦に直して、なにか
マニュアルがあるらしく、それを
中国語で解説してくれる。
 通訳は馬晶さん。

 二人は観るなり、大きく顔をしかめて
「アイヤー!}

 私は先祖からなんの恩恵も受けずに生まれ、
苦境に次ぐ苦境の人生なのだという。
 故郷を離れ、別のところへ行ってもまた苦境。
 さらにもう一山越えても苦境。
 晩年になって、ようやく落ち着くとか。

 ほっとして、「その落ち着き場所って
横浜よね? もうこれで落ち着くのよね?」
 念を押すと、老板が首を激しく横に振るではないか。
 まだまだ苦境の山は続くのだと……。

 はあ……。
 ま、いいか。今日一日が、この一瞬が
楽しければ、その時はまぎれもなく
「幸せな人生」なんだから。





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朗読三昧とマグロの脳天

2016年04月26日 | 雑記
 雨はどうやら止んだが、曇り空の日曜日。
 まだ喉も鼻もぐずっている。
 咳き込んだりしないよう、薬を服み、
のど飴、点鼻薬などをバッグ詰め込んで
県民ホール六階のレストラン、英一番館へ。

 楽しみにしていた「朗読三昧」。
 金田賢一さんと丸尾めぐみさんによる
朗読と音楽のユニットだ。
 とてもシンプルなのだが、聴くたび、
良質のエンターテイメントとして
どんどん洗練されていくことに、驚き、感心する。

 本日はミュージシャン、中村裕介さんも参加。
 「横浜市歌ブルースバージョン」
 「横浜ホンキートンクブルース」
 「丘の上のエンジェル」
 を、聴くことができた。



 メインの朗読は、
 「鴎外はなぜ横浜市歌を作ったのか」
 「天使はブルースを歌う」

 鴎外とはあの文豪、森鴎外のこと。
 横浜市歌はこの方が作詩している。
 そのいきさつを、鴎外の名作「舞姫」
にからめ、「恋の歌」に変えてしまう
という朗読作品の妙。
 この詩に中村裕介さんが別の曲をつけた
「横浜市歌ブルースバージョン」は
 私、正直言って本物の市歌より好きだなあ。
 曇り空の横浜港を見渡すレストランには
ぴったりだったし。

 さて、もうひとつは、
私のノンフィクション作品
「天使はブルースを歌う」から
根岸外国人墓地にまつわる秘話だけを
取りだし、書き下ろした朗読バージョン。

 朗読は普通、ひとつの話が30分までなのだが
これは40分という異例の長さ。
 話の中には四人の人物が登場するが、
すべて彼らのセリフで構成されている。
 「けっこう、気力がいるんですよ、
これをやるのは」
 と、金田さんに言われたことがある。

 で、どこか無駄なところはないかと
この日は一言一句、耳をそばだてるようにして聴いた。
 削れるところがあったら提案してみようかと。

 しかし、朗読というのは動きがない分
一語一語、丁寧に、寸分も気を抜かずに
言葉を発してくださっているのだと、
あらためて認識した。
 これだけ大切に言葉を伝えてくださっていると
いまさら一語も抜けない。
 我が作品をここまで育ててくださった
金田さん、丸尾さんに心の中で万謝。

 「朗読三昧」のFB
https://www.facebook.com/roudokuzanmai/

 6月5日にはCDも出るそうですよ!


 さて、広いレストランに補助席まで出た
満員の会場には、このあと、お喋りでも
していきたい人が何人かいたのだが、
なにせまだ体調不良中。
 ここで油断すると悪化するので、
終了後はまっすぐ帰宅。

 一緒に「朗読三昧」を聴きにいった
友達から「マグロの脳天」を貰っていたので
じっくりと焼き、ビールでいただく。
 おいしい!



 なんだかんだ言っても、贅沢な一日だった。
 しつこい怠さが、これで去ってくれますように!
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体調不良で厭世的だけど……。

2016年04月23日 | 雑記
 なにを服んでも何を塗りつけても
この一週間近く凄まじい花粉症。
 咳と鼻水鼻づまりがどうにもならず、
喉はひりひりするは、息苦しいは
眠れないはでいつにもまして、
我が体は使い物にならない。
精神的にもどんどん弱ってくる。

 それでも、弟が亡くなって三ヶ月。
 義妹と一緒に藤沢にあるお墓へ詣でてきた。
 広大な霊園。きつい日差し。
 私はへたりこみそうだったが、
義妹は車の運転中も、亡き夫の
話をして泣いてたし、名残惜しそうに
墓石を見つめている。
 こんなに愛されて、弟は幸せだ。
 「ねえ、もう疲れたから行きましょ」
 とも言えず、蟻の巣なんか見つけて
それをぼんやり見つめている薄情な姉。

 でもこのあと、母のいる施設へ行って
片付けをするという大仕事が待っている。
 来月早々、施設を移るので、前もって
いらないものを持って帰らねば。

 たった一部屋なのに、着替え以外、
なにも使ってないというのに、
クロゼットや棚から取りだしてみると
あるは、あるは。
 大きな袋に詰め、部屋から駐車場まで
何往復かして、持って帰る物を車に運ぶ。

 夕方、ようやく帰宅したが、
持ち帰った荷物を片付けるどころではなく
倒れ込んでしまった。

 真夜中近くなってから、少しずつ片付け始める。
 もう捨てるしかないものばかり。
 母はまだ生きてるのに……と思うと、
なんともいえない、うしろめたくやるせない
気分になった。
 疲れて、今度は自分の住まいを見回す。
 私が死んだら、ここは誰が片付けるんだろう。
 ここにあるのは、他人にとっては価値がなくても、
私にとって必要だったもの、大事だったもの。
 だけど、いま私がしているように、
ぽいぽいとゴミ袋に放り込まれるのだ。

 死ぬのはいやじゃない。
 むしろ、ほどよい頃に死ねなかったら
どうしようと不安になる。
 母を見ていて、「生きてて幸せだね、お母さん」
などとは、みじんも思わない。
 一定温度に保たれた部屋で、いまが冬なのか
夏なのかもわからず、機械的に三度三度の
食事をスプーンで口に流し込まれ、
あとは人形のように、ベッドに寝て天井を
見ているか、車椅子にぼんやり座っているか。
 自分が生きているのかもう死んだのかさえ
本人にはわかっていないだろう。
 生きる楽しみはないが、死への恐怖もない。
 そうなったら気楽じゃないかという人もいるが
私にはただただ恐ろしい。
 尊厳死でも安楽死でもいい。
 自分の意志を持って生きることができない
状況になったら、どうか早く死なせて欲しい。

 ……と、後ろ向きの内容になって
しまったので、狭いプランターの中で
いきいきと伸びつつある命を少し。

 じゃがいも


 さんしょ


 みょうが


 餌を食べるために水草の陰から
出てきたメダカたち。
 たった三匹だったのに、増えて、
現在27匹! 冬場は餌も食べなかったが
一匹も死ななかった!


 
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