冬桃ブログ

日常雑記です。

すべては夢のように

2016年11月26日 | 雑記
 先週も今週も外出続きだった。
 友人の個展など三ヵ所、取材三ヵ所、
 遠方からの友人たちと一緒に食事、
 母の見舞い、打ち合わせ、イベントなどなど。
 
 その間、犬に噛まれるという事件まであった。
 
 そんな時、昔、お世話になった方の訃報が届いた。
 申し訳ないことに、お通夜にもお葬式にも伺えなかった。
 御遺族に手紙と香典を郵送したが、心が痛んだ。

 その方と知り合ったのは、私が30才になるか
ならないかの頃だった。
 自分の不徳から、小さなアパートで一人暮らしを始め、
毎日が不安で、いや、不安というよりほとんど恐怖だった頃。
 
 私はなにをしたいのか。
 そもそも何者なのか。
 人を傷つけ、自分も不幸になり、
いったいどこへ向かおうとしているのか。
 それを自問自答する勇気すらなかった。

 彼は私より15才くらい上だっただろうか。
 都会生まれの都会育ち。
 スタイリッシュで、料理を初めとして
何事にもこだわりがあった。
 知識人で人脈も広かった。
 30才になっても右往左往している私に
読むべき本や観るべき映画を教えてくれた。
 いろんな店へも連れて行ってくれた。
 なぜ親切にしてくれたのかわからない。
 よるべない身で、教えられたことを、
なんとかして吸収しようとしている私が、
けなげに、いや、哀れに思えたのかもしれない。

 「ぼくはホモ・セクシャルでSM癖があるんだよ」
 と公言していたが、数年後、かなり年下ではあるが
普通の女性と結婚した。
 ちょっと拍子抜けした。

 もう十年くらい前から、病気で手術など受け
体がすっかり弱ったということは知っていた。
 同時にだんだんと気力も萎え、私に掛かってくる電話は
「同年代がみんな死んじゃってねえ。寂しいんだよ。
心細いんだよ。女房にも邪険にされてて……」
 という、昔の彼とはほど遠いものだった。

 二ヶ月に一度くらい、いつも同じ泣き言の電話。
 同情しながらも、正直、だんだんうとましく
思えてきたのも事実である。

 人はとりかえしがつかなくなってから後悔する。
 なぜもっとやさしい気持で、彼の愚痴を
受け止めてあげなかったのか。
 私だって遠からずそうなるのに。
 いや、もうなりつつある。
 ごく簡単な単語すら出てこなくてあわてるし
新しいことをしようとか前へ進もうとかいう気持が
年毎に失われつつある。
 たとえ前向きな気持が芽生えたとしても、
体力、気力、知能が伴ってくれない。

 けど、そうなるからこそ、生への未練が少しずつ消え
死を歓迎するようになるのかもしれない。
 だから抗わず、素直に老いていこう。

 などと覚悟を決めたはずなのだが、
数日前、新聞に出ていた認知症予防の
サプリメントを買ってしまった。
 
 効くのかね、ほんとに。
 遅いかね、もう。



 


 

 
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聖母愛児園から山手公園へ

2016年11月13日 | 雑記
 よく晴れた日曜日、山手にある聖母愛児園のバザーへ。



 この場所には昔、横浜一般病院という名の病院があった。
 元は居留地外国人用のジェネラルホスピタル。
 終戦後、その玄関先に、混血の赤ちゃんが遺棄される
という出来事が相次いだ。
 占領軍と日本女性との間に生まれた子供であることは
誰の目にも明らかだった。
 遺棄せざるをえないほど過酷な、この時代の事情があったのである。

 そうした赤ん坊が増えていくのを見かね、
社会福祉法人聖母会が、病院の一角を借りて
養護施設を創設した。
 昭和21年のことであった。

 戦後の混血児保護と言えば、沢田美貴さんの
エリザベス・サンダースホームが有名だ。
 が、聖母愛児園が保護した子供達の数は県下一。
 サンダーズホームを上回っていた。



 木立の向こうに見えるのは元街小学校。
 子供達は、すぐそばにあるこの学校に通った。



 そうした歴史を持つ愛児園だが、いまは
建物も明るく立派になり、昔とは異なる事情で
保護を必要とする子供達を、素晴らしい環境の下、
愛情深くサポートしている。 
 私は何度かここを訪れ、終戦直後の話を
いろいろと聞かせていただいた。
 
 お世話になっている事務局長の工藤さんと。



 ここのバザーは山手の人達を中心に大人気。
 手作りアクセサリーは私もゲット!



 懐かしい昭和の駄菓子。



 食べもの屋台もいろいろ。
 宝くじも?



 みたらしだんご、おいしかったです。



 工藤さんは紙芝居屋のおじさんになりきって熱演!



 日用品。


 リサイクル品が集合したホールは超満員!



 和室では、美しい着物姿の少女達が
お茶のお手前。
 私も正座して一服いただいた。



 さて、ここへ来たからには山手公園に寄って
椎の実を拾わなければ。



 ヒマラヤ杉の巨木。


 これが椎の実(スダジイ)。生でも食べられる。


 こちらはどんぐり。アクが強いので
このままでは無理。
 よく見ると、全体的に椎よりずんぐりしてるでしょ?



 本牧へ下り、元町へ。
 トンネル近くの崖にある狐の顔。



 買い物をして帰宅。
 フライパンで椎の実を炒る。
 いい具合に殻がはじけた。
 私にとっては懐かしい秋の味覚。
 



 
 
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お知らせ二件

2016年11月03日 | おしらせ
安藤和夫木工展


橫浜高島屋7F 美術画廊
11月16日~11月22日

貴重な翡翠を使った「厨子」をはじめとして
「飾り棚」「棚」「平卓」「文机」「コンソールテーブル」
「デスク」「モルトチェアー」「垂撥」「薄板」などが出品される。




中川道夫写真展「Isle:アイルランド紀聞」


ティル・ナ・ノーグ
ギャラリー
156-0044
東京都世田谷区赤堤2-43-18
TEL/FAX:
03-3322-1100
https://tirnanogtokyo.com/

11月19日~12月4日(月曜休み)
19日(土)17時~19時 オープニングレセプション







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祖母の命日

2016年10月31日 | 雑記
 10月30日は祖母の命日。
 私がまだ小学校低学年だった時、
祖母は丹後・天橋立の海に身を投げた。
 もともと両親のいなかった私は、
その日から、誰にも護ってもらえない身になった。
 長じて、祖母の墓を捜しに、天橋立のある
京都府宮津市に行った。
 が、ついに見つからなかった。
 仕方がないので、故郷の町へ行くたびに
天橋立の海に向かって手を合わせ、祖母を慰霊していた。

 去年だったろうか。
 画家・安藤ニキさんの個展でこの絵を見たとき、
「天橋立だ!」と思った。
 イグ・ノーベル賞の「股覗き」で最近、脚光を
浴びた、美しい砂州である。



 ところが、ニキさんにこの絵のタイトルを
伺って驚いた。
 天橋立ではない。「天空の墓地」だという。
 私が松並木だと思ったのは、墓標だったのだ。

 そうか、おばあちゃんの墓は、ここにあったんだ
と、いきなり安堵した。
 そしてこの絵は、私の所へ来てくれた。
 
 毎朝、手を合わせ、慰霊ではなく「願い事」
ばかりしている。
 命日のこの日も、
「おばあちゃん、目が痛い。なんとかして」

 もともとドライアイだったのだが、このところ
急速に悪化し、眼科に駆け込む羽目になった。
 読み書きが辛くて、必要な本を一冊、
読み終えるのに一ヶ月くらいかかる。
 書く方はもっと駄目。
 考えるだに辛い。
 でもこの日は、「聴く」予定が入っている。
 金沢区能見台にある「ウォーターカラー」という
スタジオで、友人の島津千登世さんのライブ。
 
 一緒に行った友達のシラトリさんは、前日、
突発性難聴になったというのに、私のために
いろいろと手料理を持ってきてくれた。
(黒豆おこわは絶品!)
 それをいただきながら歌と演奏を聴く時間は
まるでホテルのディナーショー。
 心を包み込んでくれるような島津さんの歌声に
しっとりと癒された。
 あの世の祖母も、きっと一緒に楽しんでくれたと思う。
 いい命日だったよね、おばあちゃん。





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パスタとアメ横と童子たち

2016年10月25日 | 雑記
 東京へは年に二、三回しか行かず
橫浜の、自宅周辺に閉じこもっている私だが
おそらく、今年はこれが最後の東京。

 田村晴喜さんは、30年くらい前、ある仕事でお世話になった方。
 二年くらい前、彼が安藤ニキさんの絵を見て、彼女と
フェイスブック友達になった。
 そして、ニキさんの「友達」の中に私の名前を見つけ
こちらにも友達申請してくださったことで再会した。
 その田村さんが上野に開かれたというギャラリーを
まずは訪問。

 こじんまりしたマンションの一室。
 「まだオープンしたばかりなんです。
 若い人達が、ここを個展やイベントで
活用してくれたらと願って」
 上野から徒歩5分という便利な場所である。
 壁には田村さんの絵画コレクションが並んでいた。
 再会のきっかけとなった安藤ニキさんの絵も。



 料理上手な田村さんに、とってもおいしい
パスタを振る舞っていただく。





 それからアメ横経由で銀座線に乗り、日本橋へ。
 午後もだいぶ過ぎたというのに、しかも
平日だというのに、アメ横では人々が食べてる、飲んでる!
 「土日はもっとすごいですよ」と、田村さん。
 浅草よりパワフルかも。



 日本橋の「ギャラリー砂翁」で開催中の
鍋倉孝二郎氏、木彫り作品展へ。
 
「雨は天から……三つ目童子一六の物語」

 鍋倉さんとはフェイスブックのお友達。
 写真でその作品を拝見するにつけ、
実物を見たいと憧れていた。
 ようやく念願が叶い、作品、作者ともに
この日、お目に掛かることができた。
 
 三つの目を持つ童子たちは、
楽器や香炉や果物などを携え、
雲に乗り、自由に宙を駆け巡る。
 なにせ私は「座敷童の足音」を
聴いたことのある人間。
 たちまち引き込まれた。








鍋倉さんと田村さん。


鍋倉さんとツーショット。


見て、この子! 


手に、赤い実のようなものを持ってるでしょ?


 これ、私がいつかブログにアップした
「アンデス芋」がモデルなんだから!
 ちゃんと解説にも書いてあったもん、
「ある人のブログにあったアンデス芋の
かたちがおもしろかったから」って。

 証拠写真(私のアンデス芋)



 で、こちらの童子は厄除けの桃を手にしている。
 これは童子の世界に、イザナミ、イザナギの
逸話が紛れ込んでこうなったそうだ。
 なんとも自由な発想!



 「あなたのブログは、いつも、腰が痛いの
なんのって、みょうなところから始まるんだねえ」
 と、鍋倉さんには言われてしまったが、
そのつまらないブログが、こんなにも奔放自在な
作品にちょっと紛れ込んでるなんて、
嬉しくて心が躍りっぱなし。

 私の心弾みが伝染ったのか、銀座線のホームで
左右に分かれる際、「さあ、ぼくもこれから
恋をしようかな!」と、田村さんが元気よく宣言。

 やっぱり、素敵なアートは人をわくわくさせるのだ。
 



 

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