冬桃ブログ

日常雑記です。

市電保存館で横浜の謎を知ろう!

2017年01月16日 | 雑記
 かつて横浜にはたくさんの市電が走っていました。
 懐かしいその市電たちと再会しながら、
 この街の歴史&ミステリーと遭遇してみませんか?



 横浜市電保存館
 リニューアルオープン!

 
 開館時間 9:30~17:00(入館は16:30分まで)
 月曜休館
 入場料 大人(高校生以上)300円 3才から中学生 100円

 オープン記念パネル展&トークショー
 「地図で謎解き 横浜ミステリー」
(保存館の入場券で、こちらへも入れます!)


 ○日時 1月28日(土)
 ○トークショー 14:00~15:30
 (当日先着45人) 


横浜市電保存館のサイト(アクセスもこちらに)
http://www.shiden.yokohama/

 ☆当日、10件もの謎解きトークに挑むのは
わが横濱地図博覧会メンバー。
 開港150周年記念イベントを皮切りに、
大桟橋ホール、赤レンガ倉庫、中央図書館、
開港記念会館など、さまざまな場所で
展示、トーク、まちあるきなどを開催して参りました。
 私もメンバーの1人です。

 さて、どんな謎が解明されるのか
それは当日、展示とトークでお楽しみいただくとして
リニューアルオープンする市電保存館は
大人も子供も必見です。
 アクセスはちょっと悪いかもしれませんが
ぜひお越しください!

 懐かしい市電がずらり!
 もちろん中へ入れます。運転席にも座れます!





 古い計器など。



 歴史ゾーンは奥行きも広く、
打ち合わせで集まった我がメンバーの足も
そこここで停まり、眼も釘付け。



 レトロコーナーもあちこちに。



 

 ジオラマ


 関東大震災時の傾いた市電。


 昔の麦田トンネル付近。


 SLを初めとして、ファンにはたまらない
精巧な車両模型がいっぱい!



 


 休憩コーナーやショップもあります。
では28日に!


 




 
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朝が怖い

2017年01月12日 | 雑記
 大晦日。

 除夜の汽笛を聴き、(名づけ子姉妹が
ファンだというアイドルを確認するため)
ジャニーズのライブを観ながら眠りについた。
 平和な元旦を迎えるはずだった。
 
 「おらおらおら! 7時だぞ、いやもう
こうしてるうちに7時半だ!
 さっさと起きろ! 朝飯を出せ!」

 いつものようにギャアギャア喚く猫の声で起こされた。
 正月だろうがなんだろうが容赦ない。
 
 はいはい、わかりましたよ、ただいま起きましたよ、
と、ベッドから降りたとたん、「ぎゃあ!」という
悲鳴が上がった。

 猫ではない。
 私の悲鳴。

 左足の太股に、斬りつけられたかのような鋭い痛み!
 あとはもう、身動きするたびに、

 きぃ~~っ、

 ほよ~~っ

 ぐぁ~~っ

 悲鳴は上げ続けたが、一方で
「なにかが起きたのなら寝間着じゃまずい」という、
独り者の思考が働き、こけつまろびつ、
パジャマを脱いでセーターとズボンに着替えた。

 いやもう、凄まじく痛かった。
 突然、通り魔に遭い、めった斬りにされた気分。

 めった斬りと言っても、実際には
左足の太股周辺に集中していたのだが。

 痛みはなぜか30分ほどして収まった。
 普通に歩ける。
 原因不明なのは気になるが、
まあ、突発的な何かなのだと自分に言い聞かせ、
近所へ初詣に行った。
 
 次の日も、また次の日も、起き抜けの悲鳴は
続いたが、一定時間が過ぎると収まるので
東京も行ったし、人にも会った。
 
 先週の土曜日にはついに整形外科へ行った。
 結論を言えば、どうやら座骨神経痛らしい。
 加齢で緩んだ骨が、寝ているうちにずれ、
神経を刺激するのだという。
 私は寝相が良くて、あまり動かないので
よけいにこうなるらしい。

 「もっとひどくなったら神経をブロックする
注射とか薬とかを使うしかないけど、
歩けるのなら我慢した方がいい」
 と先生に言われ、治療はなにもなし。

 いまは悲鳴こそ上げないが、
痛みがなくなったわけではない。

 最初の時と違い、朝、ベッドから降りるとき
「さあ、始まるぞ!」と、痛みを予測することができる。
 だから歯を食いしばり、覚悟して一歩を踏み出す。

 けどやっぱり明日も、朝が怖い。
 いつまで続くのだろう、これ。


 オイルヒーターに密着し、
われ関せず、の猫。


 

 

 
 
 

 
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「赤い靴」と移民

2017年01月11日 | 雑記
 まちづくりプロデューサーの福井功さんから
「赤い靴」のストラップをいただいた。
 茨城県北茨木市にある野口雨情記念館と
雨情の生家へ行ってらしたという。



 野口雨情作詞の童謡「赤い靴」は、
岩崎きみという静岡生まれの少女が、
モデルだという説がある。
 彼女の親は開拓農民として北海道に渡るが
貧しさで食うや食わず。
 それを見たアメリカ人宣教師が、幼いきみを
養女として引き取った。
 歌の中では横浜から船に乗っているが、
じつは宣教師と一緒に東京へ行った後、
きみは病気になり、そのまま孤児院で亡くなったという。
 だから、静岡、青森、東京、神奈川に
赤い靴の女の子像があり、その数八体! 

 雨情が彼女をモデルにしたという証拠はない。
 が、時代背景を思えば、こうした境遇の少女が
いたとしても不思議ではないだろう。

 野口雨情は1921(大正10)年に、
「赤い靴」と「青い眼の人形」を発表している。
 どちらも作曲は本居長世。舞台は横浜。
 後者には「日本の港」としか詠われていないが
横浜をイメージして書かれたことは間違いないだろう。

 童謡だというのに、なんとも哀切なメロディーである。
 詞にも、これからどうなるのだろうという、
恐怖にも似た不安が漂っている。
 
 この歌が世に出た頃、日本はまだ貧しかった。
 食べていくために家財を売り払い、一家揃って
海外へ出稼ぎ移住をする人が多くなった。
 おもに農場での重労働で、決して楽なものではない。
 気候、食べ物、風俗習慣も違う。
 体を壊して亡くなった人も少なくはなかっただろう。

 横浜には、港に近い関内地区を中心に、
移民宿と呼ばれる旅館があった。
 現在の関内にはその痕跡すら残っていないが、
最盛期には20軒を超えたという。

 地方から出てきた人々は、ここに泊まり、船を待つ。
 その間、宿は、海外情報、先に行った人達の消息などを
できる限り提供するほか、パスポートの取得、荷物の運搬、
必要な物品の手配と、なんでも代行した。
 海外どころか、生まれたところから出るのが初めて、
という人がほとんどだった時代だから、
こうした移民宿が必須だった。

 日本人移民達は、概して真面目でよく働いた。
 その勤勉さが現地の人々の危機感をあおった。
 やがて、「自分達の仕事を奪う者」として、
アメリカやカナダで排斥の対象になってしまう。
 太平洋戦争時には、苦労して築き上げた財産を
すべて没収された。
 それでも彼らは、世界のあちこちに、
日本人ならではの功績を残している。

 オバマ大統領は今日の退任演説で、
「移民がアメリカを強くした」と言った。
 故国を離れ、他国で必死に居場所を
築いてきた人達は、その言葉を嬉しく
受け止めたことだろう。
(次期大統領は真逆の考えらしいが……)

 日本は経済大国になり、もう他国へ出稼ぎに
行って最低賃金で働かなくてもよくなった。
 でも、移民として他国へ渡らざるをえない人々は
世界中に溢れている。
 戦禍から逃れてさまようシリア難民は
もっと切実だろう。
 
 童謡「赤い靴」が世に出てから二年後、
東京・横浜は関東大震災で壊滅状態になった。
 時代はほどなく、大正から昭和に移ったが、
戦争が始まり、大空襲、原爆投下、敗戦と
暗い世の中が続いた。

 そこからよく立ち直ったものだと、
歴史を振り返るたびに驚く。

 記念館の「赤い靴」は、金色のリボンがついた
華やかなもの。
 いまの日本にはこれが似合うのかもしれない。
 でも、雨情が詠んだ「不安な赤い靴」が
消えてしまったわけではない。
 足音をしのばせ、そうっと近づいてきつつ
あるようで、私はなんだか怖い。
 


 




 








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季刊誌横濱・新春号 横浜を知る100のキーワード!

2017年01月08日 | 雑記
 わが街・横浜には、びっくりするもの、自慢したくなるもの、
知らなかったこと、知ってたけどもっと知りたいことが、
い~~~~っぱいあります。
 今回はよりすぐりの100件を横浜ツウたちが紹介。
 
 風物詩、スポーツ、名所、自然、農業、食べる、
飲む、山手、ジャズ、商店街、みなと、地下鉄に乗って、
鉄道、まち、散策……と、テーマも多岐にわたっています。
 さあ、どのテーマから何が飛び出すか!



 今年、100周年を迎える国指定重要文化財って?
 
 橫浜駅の近くにある秘境って?

 横浜発祥のご当地麺は……もちろん、アレですよね!

 山手には、英米仏伊と四つの公園が!

 世界最大の街中ジャズ祭が横浜にある!

 横浜港の昭和5年トリオって?

 ゆずファンの聖地に遺跡が?

 横浜スタジアムを囲む「☆」がある!

 路上に隠された「ハート」を、見つけたことがありますか?

 などなど。

 これ一冊読めば、あなたはもう、誰にも負けない横浜の達人です!


 
 私の連載「横浜の底力」は
「農業と無縁の若者が、都市農業者として自活する方法」

 長いタイトルですが、要するに家が農家じゃない、
従って農地も持っていない……という人が、就農者
(プロの某業者)になって食べていくにはどうしたらいいのか。
 それも、地方ではなく、この横浜で。

 農地を借りたらいいんじゃない? 
 ……というわけにはいきません。
 家庭菜園をやるわけではないのです。
 プロのお百姓さんとして農地を借りるには
厳しい審査を経なければなりません。
 その壁を、何年も掛けて突破し、ついに
自分の農園を持ち、地域のコミュニケーション
づくりでも活躍する青年を取材しました。
 横浜は素敵な農業都市です!

 荻野アンナさんの「商店街は面白い」は
三吉橋通商店街。
「日本一かわいい商店街」がキャッチフレーズですが、
ディープ横浜人御用達の個性的な店が揃ってます。

 横濱の秘めたる歴史。
「開港当時、横浜ベイブリッジがあった!」
も、ここでしか読めないスクープです!

 



 
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靖國神社~檳椰(ビンロウ)初体験

2017年01月07日 | 雑記
 今年はなぜか、新年の神社参拝がまだ続く。
 友人達と一緒に靖國神社へ。
 すっと前に一度来たような気がするが、
今回は遊就館をぜひとも観ようと思って。

 広い参道の先に大村益次郎の銅像。
 その左側奥に突塔が小さく見えたので
「あ、スカイツリーが見えるよ!」
 と喜んでいたら、友人達に呆れられた。
 今年もまた、私の方向音痴は続く。



 遊就館。
 ペリー来航、日本の開国から第二次世界大戦に至るまで、
100年近い歴史を、写真や遺物、ていねいな解説で
辿ることができる。





 しかし……。
 広く長い展示場に登場する人物は、99%が男性。
 この間、女性はどんなふうに生き、何を考えていたのか
ほとんど、というか、まったくわからない。
 もっと言えば、近代化の一方で、日清戦争、日露戦争、
日中戦争、太平洋戦争と、次々に起こる戦の時代、
皇国史観を植え付けられ、ただ翻弄されるだけだった庶民たちは、
ほんとうのところなにを感じ、どう生きたいと望んでいたのか、
それもここでは触れられていない。

 女性には参政権もなかったし、重要な情報を庶民は
なんら知らされなかった。
 だから、「なぜ悲惨な戦争に突き進んでしまったのか」
と、この時代の人を責めることなどできない。
 けれども現代の私達は、さまざまな資料によって
過去に起きたこと、現在、起きつつあることを知ることが出来る。
 再び戦争が起きたとき、一部の人だけに戦争責任を
押しつけることはできない。
 そのことを自覚するべきだろう。

 靖國神社を出て、すぐそばにある築土神社へ。
 平将門由来の神社で、たいそう人気があるそうだ。
 筆の絵が入ったお守りがあったので、「筆が立つ」
ことを願ってそれを買った。
 が、あとでよく見たら「必勝合格 学業成就」
と記されていた。受験生向けのお守りだったようだ。
 名づけ子が今年、高校受験なので、彼女の写真と
このお守りを並べ、毎日、祈ることにした。

 

 そこから東急東横線・新丸子へ移動。
 京濱伏見稲荷という、じつに派手な神社へ。



 境内の岩場はテーマパークのよう。
 108頭のお狐様がおられるとか。





 ここで友人達と別れ、ひとり、横浜中華街へ。
 「東北人家」という店で、明治大学教授の川野さんと
彼の奥さまの姪である楊さんと合流。
 お二人が行かれたばかりの、台湾のこと、
川野さんの研究対象である狛犬のことなど、
楽しく興味深い話をたっぷりと聞かせていただいた。

 楊さんにいただいた媽祖様のお守りなど。



 川野さんにお願いしておいたお土産は、この木になる実。



 23才の時、ニューギニアへ行った。
 初めての海外旅行だったが、一ヶ月半滞在した。
 そこで現地の人達が、口を真っ赤に染めながら
噛んでいたのが、ビンロウ。
 煙草同様、習慣性があり、軽い酩酊状態になるらしく、
台湾では18才以下禁止だという。

 「こっちは噛みやすいですよ、ジャムが挟んであるから」
 と、川野さんに言われ、その場で噛んでみた。



 う~ん、かすかな甘みと渋み。噛んだ後は
繊維質だけになるので吐き出す。
 とくに異変は起こらなかった。

 問題はこっち。
 石灰をつけ、キンマの葉でくるんである。
 私がニューギニアで見たのもこの食べ方だ。

 楊さんが顔をしかめる。
 「私、一度試してみたけど、もう絶対いや!
喉が詰まったようになって息ができなくて
救急車、必要かと思いましたよ」



 となると、万が一のことを考え、人がいるこの場で
試した方がいいだろうか。
 しかし逆に、みっともなくラリってしまい、あらぬ
振る舞いに出る可能性もある。
 で、おいしい料理を堪能したあと、お二人と別れ
帰宅するやいなや、かぶりついた。

 渋いというか、えぐいというか。
 
 でも記憶にある通り、血のように赤い汁が滲み出てきた。
 
 くるかな、いいトシしてぶっとぶんだろうか、わたし。

 が、噛むにつれ口中はぴりぴり。
 汁がついた口の周りはヒリヒリしてきた。
 料理していてタカノツメを指で裂き、その指で
うっかり顔のどこかを触ってしまった時の、あのヒリヒリ。
 こりゃヤバいと、その時点で吐き出した。
 従って、どこへもトベず。

 私が20才のころ、ヒッピーと称する人達の多くは
マリファナだのLSDだので異空間を体験していたらしい。
 ミュージシャンはよく捕まったらしいが、覚醒剤
ではなかったからか、いまのアスカさんとかキヨハラさん
みたいには騒がれず、普通に社会復帰していた。
 
 私は違法ではないビンロウで、遅れてきた青春を
体験しようと試みたのだが、ヒリヒリでギブアップ。
 
 そういえばあの頃、ウーマンリブ関連で
「飛ぶのが怖い」(エリカ・ジョング)という
本がベストセラーになったっけねえ。
 時代は転がっていく。
 凄まじい速さで……。


 
 


 
 
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