On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

■コミック・オペラの名作『軍艦ピナフォア』にアマチュア劇団が挑戦。いざゲーテ座へ!

2018-05-24 | ある日、ブラフで

1912(大正元)年12月14日(土曜日)の夕べ、横浜のブラフ(山手町)256、257番地に建つゲーテ座において、ヨコハマ・アマチュア・ドラマティック・クラブにより『陪審員裁判』と『軍艦ピナフォア』が上演された。

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両演目とも英国の劇作家ギルバートと作曲家サリヴァンのコンビによるコミック・オペラで、前者は1875年にロンドンのロイヤルティー・シアターにて初演、後者も同じくロンドンのオペラ・コミック座で1878年に初演されるや大成功を収めた作品である。

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ロンドンから遥か離れたこのゲーテ座においてもこれまで何度もプロの巡業劇団や地元のアマチュア劇団によって上演されてきた。

『陪審員裁判』は本国での初演からわずか3年後の1878年4月に舞台にかけられ、1887年12月に再演されている。

『軍艦ピナフォア』の上演記録を見れば1881年3月、1883年9月、1885年9月、1887年4月、1890年9月、1897年6月、1904年12月と続き、今回が8度目となる大人気演目であることが分かる。

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さてその内容をみてみると、『陪審員裁判』は半時間程度の一幕物。

婚約を破棄された女性が相手の男性を訴える裁判で、判事が原告の女性の美しさに心を奪われ、結局彼女と結ばれるというお気楽な作品。

続く『軍艦ピナフォア』はといえば、そもそも題名の「ピナフォア」は「よだれかけ」という意味で、こちらも負けず劣らず罪のない喜劇である。

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とはいえ、身分違いの恋に悩む2組の恋人たちが、ある意外な事実が分かることで最後にはめでたく結ばれるというこの物語は、現在でもたびたび上演されており、それらのいくつかはYouTubeでも見ることができる。

大勢の水兵や着飾った婦人達がにぎやかに行き来する舞台は華やかで、各々の登場人物が個性豊かに歌い上げる曲はいずれも聞きごたえたっぷり。

100年前の横浜の観客たちが胸をときめかせたであろうことは想像に難くない。

ゲーテ座の観客席は地元の紳士淑女はもちろん、この日のために東京から訪れた人々で満員御礼。

その上演のようすを当時の新聞から追ってみよう。

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幕が上がるとそこは母港ポーツマスに停泊中の軍艦ピナフォアの船尾甲板。

舞台いっぱいに並んだ白いジャンパー姿の水兵達による軽快なコーラス“われら青き海を帆走する”で物語が始まる。

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そこに物売りの女が大きなバスケットを抱えて現われ、水兵達に“私は小さなキンポウゲ、愛しの小さなキンポウゲ、煙草やお茶、コーヒー、パンに肉を買わないか“とおどけて歌いかける。

新人であるF.B.T.トレヴェリャン夫人の見事な演技に観客席からは歓声と喝采が上がった。

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キンポウゲと水兵たちの軽妙なやり取りの後、主人公である水兵レイフが“嗚呼、哀しい!・・・・愛するのは、ああ、わが身分より高きものを!”と歌いながら階段を下りてくる。

恋する主人公を演じるのはA.H.ウィンデット氏。

レイフはピナフォアの艦長コーコランの娘、ジョセフィンに心を寄せているが、しがない水夫の身分では所詮かなわぬ恋。

艦長は娘を英国海軍大臣のジョゼフ・ポーター卿に嫁がせようとしているのだ。

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やがてA.E.クーパー氏扮するコーコラン艦長が登場。

見るからにたくましく威風堂々たる艦長を水兵達は称賛する。

しかしキンポウゲと二人になると、艦長は娘がポーター卿からの結婚の申し出を何故か受けようとしないと悩みを打ち明ける。

艦長とキンポウゲも実は身分違いながらもお互いに秘かな好意を持っている、という設定だ。

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二人が退場すると、入れ替わりにW.W.キャンベル夫人演じる主役のジョセフィン嬢が物憂げな表情で、バラード“あまりに強く愛した彼女の運命は痛ましい・・・愛は生きていても希望が死んだから!“と歌いながら登場。

彼女も実は水兵レイフに恋しているが、身分違いの恋心を押し隠しているのだ。

キャンベル夫人のせつない歌声と優雅な演技が満場を魅了した。

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ジョセフィンは、再び登場した艦長から間もなくジョゼフ・ポーター卿が婚約のために来ると告げられてついに、レイフへの恋心を告白する。

身分の違いであることは重々承知しているのでこの愛は墓場まで持って行く、相手は決して知ることはない、と父に断言する。

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そして、いよいよG.G.ブラディ氏の演じる海軍大臣ジョゼフ・ポーター卿が大勢の姉妹、従妹、叔母達と共にピナフォア号に乗りこんでくる。

彼は“私が若者であったとき”と、事務弁護士から国会議員となり、ついには海軍の経験もないままに女王陛下の艦隊の支配者になったこれまでの立身出世の半生を高らかに歌う。

苦労人である自分から見れば、上官も兵卒も平等、コーコラン艦長に “貴君が艦長となったのはたまたまの生まれ合わせゆえ”“部下に威張った態度をとってはいけない”と諭す。

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ジョゼフ・ポーター卿のこの言葉は身分違いの恋に悩む水兵レイフを勇気づけ、水兵仲間の後押しもあってジョセフィンに思いを打ち明ける。

しかし彼女は本心を押し隠して拒絶、絶望のあまりレイフがピストル自殺しようとするまさにその時、“ああ、やめて … 私はあなたを愛しています!” 遂に耐え切れずジョセフィンはその恋心を告白し、第一幕が終わる。

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第二幕。

同日夜、同じくピンアフォアの船上。

月明かりの下、コーコラン艦長がマンドリンを奏でつつ、“美しき月よ、私はあなたに向かって歌う”と、混乱した胸の内を夜空に打ち明ける。

娘が一介の水兵に愛を告白し、そのためにジョゼフ卿からは叱責を受けてしまった。

そんな彼のようすをデッキに腰掛けてせつなく見つめる「キンポウゲ」。

観客席からクーパー氏へ暖かい拍手が起こった。

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一方、ジョセフ・ポーター卿は「身分が違うから」と彼との縁談を避けようとするジョセフィンの考えを翻させようと「たとえ身分の高い者と低い者の結婚でも、互いを思いやっている限りは真に幸福になれる」と伝える。

しかしこの言葉に力づけられたジョセフィンはレイフとの恋に生きようと決心する。

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ジョセフィンと水兵レイフは駆け落ちを図るが、父である艦長の知るところとなり、二人はジョセフ・ポーター卿の目の前で抱擁し、愛を告白する。

レイフと結ばれたいというジョセフィンの言葉にジョセフ・ポーター卿はそれまでの態度を一変させ、レイフを営倉に監禁させる。

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そこにキンポウゲが登場。

若い頃に乳母として働いていたとき、預かった子供を取り違えたことがあった、それがいま目の前にいる艦長コーコランと水兵のレイフだと皆の前で打ち明ける。

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真実が明らかになり、レイフは営倉から解かれて船長のいでたちで現れ、今は水兵の娘となったジョセフィンとめでたく結婚。

一方、水夫の制服に身を包んだコーコランはキンポウゲと結ばれる。

そしてジョセフ・ポーター卿は、水夫の娘との結婚など問題外とばかり、いとこのヒービーを妻に迎える。

3組のカップル誕生で舞台はフィナーレ。

めでたしめでたしである。

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観客席からは素晴らしい舞台を見せてくれた俳優と楽団、そしてスタッフ全員に向けて惜しみない拍手が送られた。

全出演者は次の通り。

有能な水夫 レイフ・ラクストロ:A.H.ウィンデット氏

軍艦ピナフォア艦長の娘ジョセフィン:W.W.キャンベル夫人

軍艦ピナフォア艦長 コーコラン:A.E. クーパー氏

ポーツマス港の物売り “キンポウゲ”:F.B.T.トレヴェリャン夫人

ジョゼフ・ポーター卿(英国海軍省長官):G.G.ブラディ氏

ジョセフ・ポーター卿の従妹ヒービー:W.E.ケッチャム夫人

有能な水夫 ディック・デッドアイ:C.A.アスレット氏

甲板長ビル・ボムステイ:G.C.スタンドフォード氏

甲板長助手ボブ・ベケット:W.E.グーチ氏

海軍兵生徒トム・タッカー:ハロルド・トリーズ君

姉妹、従妹、叔母:ブロックハースト夫人、フェロウィー=ルキス夫人、カウファー夫人、ソーン夫人、スウェイツ夫人、ウィンデット夫人、ブロックハート嬢、フェントン嬢、ヒル嬢、マビー嬢、マキーヴァ嬢、E. メンデルソン嬢、モリソン嬢、ソマン嬢、ティップル嬢、A. トリプラ嬢ー、ウィリアムソン=ジョーンズ嬢、ウルフ嬢

ダンサーたち:ハリス嬢、H. ハリス嬢、H. マキーヴァ嬢、マクウイリアムズ嬢、トリーズ嬢、ウィン嬢

水夫:S.J.バートレット氏、J.D.コリア氏、F. McD. コートニー氏、S.G. フェントン氏、フロガット氏、J. G. ギブソン氏、W. ヘイワード氏、J.カウフナー氏、A.C. リース氏、C.J. ロイド氏、G.セリア氏、R.シングルハースト氏、H.F. ソーター氏、W.B. スティール氏、S. E. ユナイト氏

海軍兵:A.R. カット氏、クロン氏、W.H. キルビー氏、H.C. マクノートン氏

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衣装はギブソン夫人の指導によるものである。

音楽監督はキャス・ソーン氏。

演奏はビージュ・オーケストラ。

ウィヴィル嬢が伴奏者として参加し見事な腕前を披露した。

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舞台美術はバスティン氏が担当した。

小道具はF.W. マキー氏、プロンプターはM.メンデルソン氏がそれぞれ務めた。

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制作員会は次の諸氏から成る。

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委員長G.G. ブラディ氏、名誉会計F.W.R. ワード氏、名誉事務長A.H.ウィンデット氏、ほかC.A.アスレット、Ch. バスティン、A.E. クーパー、C.H. ソーン各氏。

 

図版:絵葉書(ヨコハマ・アマチュア・ドラマティック・クラブによる『軍艦ピナフォア』於 東京・帝国劇場) 

参考資料:
The Japan Gazette, December 14, 1912
The Japan Gazette, December 16, 1912
・升本匡彦『横浜ゲーテ座―明治・大正の西洋劇場・第二版』(岩崎博物館出版局、1986)
・『軍艦ピナフォア または 水兵に恋した娘:第一幕(http://jazzsong.la.coocan.jp/hms_pf_1.html)
・『軍艦ピナフォア または 水兵に恋した娘:第二幕(http://jazzsong.la.coocan.jp/hms_pf_2.html)
・「ギルバート・アンド・サリヴァン」Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3)
・“HMS Pinafore (2005 Opera Australia)”(https://www.youtube.com/watch?v=2Q-8QhMAnAU)

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