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ブラフ中の話題をさらった“サン・トイ”上演後の週末、ジャパン・ウィークリー・メイル誌は実に2ページにわたってその様子を伝えた。
その翌週にはさらに劇評が掲載されたので、それをここに紹介する。
作品の出来栄えの素晴らしさを一層強調するために、記者はまず演目について極めて辛辣な言葉を浴びせかけることを思いついたようだ。
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“サン・トイ”は最も愚劣な劇作品である。
最初から最後までくだらないナンセンスの繰り返しで、真のウィットもユーモアも欠片すら見られないだけでなく、作者らの画一的な馬鹿馬鹿しさは言い訳のしようもなく、まるでありえない状況が全くのご都合主義で解決され、涎を垂らした保育園児レベルにも達しえない情緒が極めて俗悪な放蕩の糸によって一つに紡がれている。(中略)
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今回の“サン・トイ”の上演においては、原作の欠点よりも制作の上での努力が上回ったものといえるだろう。
横浜には、これまでの喜ばしい体験からも明らかなように、音楽と演劇の才能が多数結集している。
“サン・トイ”を横浜で上演するなど数年前には到底無理だと思われたであろう。
今回それが成し遂げられただけでも特筆に値するが、出来栄えの素晴らしさには更なる驚きを禁じ得ない。
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称賛の祝杯は、まず舞台主任であると同時にこの舞台の背景画家も務めたE.バート氏に奉げられるべきであろう。
“サン・トイ”を全く素人だけの配役で上演するだけでも大したことだ。
しかしながら絵画的であると同時に写実的な背景を製作したこと、そしていわゆる「コメディ」にありがちな退屈さを、場面とセリフの巧みな対比や、身振りとモチーフの極めてユーモラスなずらし方で回避したことは、天才的な技である。
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もともと「中国人の踊り」は必ずしも滑稽でもないし、キイキイ声を上げる女房達の群れが笑いを誘うとも限らない。
しかしバート氏はこれらの公式通りのおふざけと風変わりな女房ぶりをユーモラスに表現するには、パントマイムを用い、ありきたりのやり方を打ち破らなくてはならないということを理解した上で、驚くべきコミカルな身振りと姿勢を考案し、それらはこの劇に欠如している活気と新鮮さを生み出したのである。
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察するに少なくとも衣装の調達も彼の功績で、それは正しい時代考証に基づいているばかりでなく、舞台衣装が無尽蔵であることを示している。
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“サン・トイ”の最後の場面の衣装は言うまでもなく、目録に特記すべきものであり、特注品であることは疑いようがない。
女房、少女、中国人、近衛兵、その他、多くの出演者(69名ほどの集団)全員が、完璧な衣装を身に着けていた。
男女の俳優の衣装が生み出した、豊かで変化に富み、かつ調和した色彩の輝きが絶大な効果をもたらし、舞台上に完璧な幻影を映し出して見せたのである。
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加えて特筆に値するのは、顔の「装い」もまた一様に優れていたことである。
素材の素晴らしさによるものであることは間違いない。
かくも若々しく美しいご婦人方の顔は塗ったりはたいたりしなくても十分魅力的であるのに、さらに極めて巧みに化粧が施されていた。
残念ながら横浜ではこれまで、このような素晴らしいメイキャップは見ることができなかった。
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主役のサン・トイを演じたモリソン夫人は本作における至宝といえる。
彼女の歌が素晴らしいことは或いは予測されていたかもしれないが、彼女が完璧な女優であることを見出すとまでは期待されていなかったであろう。
その合唱は喜びに満ちた思い出を残すものであった。
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共演者もまた彼女に匹敵するメンバーであった。
メイトランド夫人によるダドリー(英国領事の娘ポピーのメイド)は、すばらしく優雅で無邪気そのものだった。
オンダードンク夫人のポピー(英国領事の娘)は、ダドリーとは対照的な役柄だ。
彼女は驚いているような、そして不合理な状況に対してほとんどすねて抗議しているような雰囲気を漂わせ、奔放な登場人物たちとは対照的な魅力を見せている。
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G. G. ブラディ氏によるリ(役人イェン・ハウの秘書)は、いつもの彼の演技通り、まねのできないおどけぶりだった。
気迫に満ちた演技で常にあわただしく事を運ぶが、E. W. メイトランド氏演ずるところの役人イェン・ハウに対してはそうはいかない。
彼はいかなる事態や状況によるショックにも動じることのない不動の心の持ち主だからである。
ブラディ氏はしかし栄冠を独占したわけではない。
英国領事役のI. ケナード・デイビス氏もまた素晴らしい演技で観客を魅了した。
サン・トイの恋人である海軍大佐ボビー役のN. G. メイトランド氏は、ブリキのトランペットのような叙情歌マザーランドをトミー・アトキンスに代え、その豊かなバリトンは流行歌に素晴らしい効果をもたらした。(後略)
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ジャパン・ウィークリー・メイル誌によると主な出演者等は以下の通り。
英国領事 ビンゴ・プレストン卿
海軍大佐 ボビー(英国領事の息子):N. G. メイトランド氏
中国の役人 イェン・ハウ:E. W. メイトランド氏
リ(イェン・ハウの秘書):G. G. ブラディ氏
皇帝:C.J.ホイットニー氏
ポピー(英国領事の娘):オンダードンク夫人
ダドリー(ポピーのメイド):メイトランド夫人
サン・トイ(イェン・ハウの娘):モリソン夫人
音楽監督:カール・ヴィンセント氏
舞台主任:E.バート氏
その他、出演者リストには横浜文芸協会の役員で、後年、関東大震災の記録「古き横浜の壊滅」を著述するO.M.プール氏やウィーラー医師の名前も見える。
図版:素人芝居の写真(Petter Dobbs氏所蔵)サン・トイとは別の折に撮影されたもの。
左端がウィーラー医師。
中央の椅子に座っている男性はモリソン氏に酷似している。
参考資料:
・The Japan Weekly Mail, March 23, May 25, June 1, 1901
・増井敬二『日本のオペラ 明治から大正へ』(耕文社、1984)
・San Toy Wikipedia (https://en.wikipedia.org/wiki/San_Toy)