On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

■英国皇太子の山手訪問

2016-06-30 | ある日、ブラフで

横浜・山手の外国人墓地の正門を入ると、そびえ立つ楠の大木の左手に四角い銘盤が嵌め込まれた石造りの記念碑がある。

月桂樹の葉模様で縁取られた青銅の板には、イギリス、アメリカ、フランス各国人の氏名に続いて、軍隊での階級と部隊名、日時、それに地名がアルファベットで整然と刻まれている。

注意深く見れば、それは、これらの若者が命を落とした戦場を示したものであることが分かる。

横浜港から戦地へと赴き、帰らぬ人となった第一次世界大戦同盟国戦没者の慰霊碑である。

§

1922(大正11)年4月22日土曜日。その日、山手の外国人住民らは朝早くから準備に余念がなかった。

家々に掲げられた旗は春風に優雅にはためき、谷戸坂のふもとから英国海軍病院を過ぎ、米海軍病院を経て墓地の記念門に至るまで、旗と提灯が整然と切れ目なく道の両側にさげられている。

記念門の両側の壁の銘板の上には、左側はユニオンジャックすなわち英国旗、右側には米国とフランスの国旗が掛けられ、周囲には戦死者の遺族や関係団体から贈られた美しい花輪が並べられていた。

§

記念門の右手に設けられた特設会場は白と紫の旗布で覆われており、朝8時頃から参列者達が続々と集まり始めている。

ボーイスカウトや英国退役軍人らが米海軍病院の前に位置し、通りの反対側には米国とフランスの退役軍人会が整列した。

全て前日の予行演習の通りである。

皆、少し緊張気味な中にも誇らしげな表情を浮かべている。

一般の居留民も含め、参列者の数は2千人余り。

やがて日本の陸海軍大臣、同盟国の大使らも到着し、今や主賓を待つばかりである。

§

9時50分、真紅の上着と白のヘルメットに身を包んだ英国海軍楽隊、海軍儀仗兵に続き、1台の車が一同の前に止まった。

海軍大佐の正装に右手に身を包み、白の手袋を手にして車から降り立ったのは、裕仁親王の訪欧の返礼として折から訪日中の英国皇太子エドワードその人である。

§

英国海軍楽隊による国歌演奏を合図に儀仗兵が捧げ筒の姿勢を取り、エドワード皇太子が式場に入るといよいよ戦没者記念門の除幕式が始まった。

横浜ユニオンチャーチ、クライストチャーチ、カトリック教会の聖職者による祈祷につづいて、1867年以来半世紀に亘り横浜に居留し、モリソン商会の代表を務める記念門建設委員長J. P. モリソン氏が英国人住民を代表して式辞を述べた。

彼もまた息子を戦場に送り出した一人である。

§

今日は横浜の歴史において記念すべき日となることでしょう。

それは私どもにとってだけでなく、私どもの次に来る人々すべてにとっても同様です。

いま誇らしくも思い出すのは、1881年、殿下の偉大なる父上である国王殿下とクラレンス公が軍艦バッカンテにて横浜に来られたことです。

また幾人かにとっては1869年エディンバラ公が訪れたことも喜ばしい思い出でしょう。

1890年のコンノート公夫妻のご来訪もまた同様です。

アーサー・コンノート王子のご来訪はさらに記憶に新しいところであります。

しかしながら、今日殿下はこれまでで最も厳粛なる役目を務め、私どもに栄誉を与えて下さる。

そのことに衷心より感謝申し上げます。

英霊に捧げる記念碑の除幕を謹んでお願い申し上げます。

このすばらしい場所、私どもの多くにとって神聖なる記念の場所が選ばれた理由、それは、眠りの園への出入り口こそが、異国の地に憩うこれらの勇者のためのモニュメントを建てるにふさわしい場所だからであります。

そして『彼らの名は永遠に生きる』のです。

§

次いで皇太子が記念門前の壇上に進み、遠くにいる者にも聞こえるはっきりとした力強い声で次のように述べられた。

§

このような国際的な記念碑が、この大いなる港に建てられるのは誠にふさわしいことです。

この地を訪れる後世の人びとが同胞の名を目にし、全世界において戦争が終結することを望みつつ犠牲となった人々の残された記録を見出す、この港がそのための役割を果たすであろうと私は確信いたします。

願わくは彼らの死が無駄にならぬことを。

§

感極まった50余名の遺族の間からすすり泣く声がもれる中、答辞を終えた皇太子がモリソン氏の先導で壇を降り、記念門中央の絹の紐を引くと、英米仏の国旗が翻り、戦没者の名前が刻まれた銘板が現われた。

“永久の眠り”の曲が流れ、一分間の黙祷の後、“目覚めよ”の曲で式典は閉幕した。

§

翌1923年9月1日、関東大震災により横浜は壊滅的打撃を被り、記念門もあえなく倒壊する。

しかし銘板はかろうじて残り、戦没者らの名前を今に伝えている。

 

写真(上から):
・第一次世界大戦同盟国戦没者慰霊碑写真(横浜山手外国人墓地)筆者撮影
・『大英國皇太子殿下御来朝記念寫眞帖』所収(郁文舎出版部、大正11年7月20日)
・エドワード英国皇太子横浜外国人墓地訪問写真(1922年4月22日)筆者蔵

参考資料:
The Japan Gazette, April 22, 1922
・『横浜貿易新報』大正11年4月22日、同4月23日

 map 92-95

All rights reserved. No reproduction or republication without written permission. 掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
« このサイト "On The Bluff" ... | トップ | ■ウィーラー医師の銀婚式 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。