シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

聖大土曜日(聖大スボタ)

2007-04-07 22:41:01 | 正教会及び宗教全般
画像は16世紀末にロシアでつくられた眠りの聖像。
この日にはハリストスの葬りと、主の黄泉降りが記憶される。
金曜日の夕方に行われるスボタの早課では、ハリストスの葬りをかたどるために喪服もしくはそれに準ずるような服装で(決まりじゃないんだろうけど東京でもそうだった)通常埋葬式で出棺の時に歌われる「聖天主」を歌いながら眠りの聖像と共に聖堂を回る。昔2ちゃんにも書いたけど、この行列に参加するとハリストスに付き従っていた女性たちの気分になる。
「ああ、悲しいかな我が子。
ああ、悲しいかな我が光。
我が至愛の胎よ。
昔シメオンが神の宮に予言せしことは、
今かないたり。
剣は我が心を貫けり」
生神女の心の痛み。
でも「大斎の意味」によれば『それでもこれは埋葬式の行列ではない。
神は十字架上で死んだが、それでもなお死んだのではない。
死んだ神・「神言葉」は、彼自身が聖なる永遠なる生命である。
つまり、その夜の中を行く我々の行列は、神が今、地獄の闇の中へつき進んでいることを意味している。
そして主は、アダムとすべての死者に、来るべき主の復活と彼等もまた復活に与かることを告知する』のだ。
眠りの聖像は花々に囲まれて、やがて来る復活の時を待っている。

聖大土曜日の午前から午後早くにかけて、晩課に続いて聖大ワシリイの聖体礼儀が行われる。
晩課では旧約聖書の十五箇所の読みがある。テーマは「過ぎ越し」「復活」「洗礼」(昔は復活祭に洗礼があった)。
いつもは十五を何人かで分けて誦む。
今年は参祷者も少ないし全部一人で誦んじゃおう~と思ってたけど十を越すとさすがに喉に堪えるなあ、と思っていたら執事長さんがとんとんと肩を叩いて次は誦むよの身振り、やれ有難やと十四番目でタッチした。
だが、執事長さんは忘れていたのだ。

十五番目の誦読箇所が一番の難関と言ってもいいことを(爆

この箇所はダニエル書の3章1節~23と、ダニエル書補遺(旧約続編)の「アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌」なんだけど(賛歌は聖歌隊と掛け合いになるんだけどね)ナワゥホドノソル王(ネブカドネザル王)だのセドラフ・ミサフ・アウデナゴ(シャデラク・メシャク・アベデネゴ)だの噛みそうなカタカナは多いわ、振り仮名はついてるけど簫だの篳篥だの読みにくい漢字多いわで、毎年みんな受け持ちたがらなかった場所なのだった。
というわけで来年もぜひ宜しくお願いしたいものだとw

今年は日曜日の午前中に復活祭だから、午後と夜でクリーチとパスハをこしらえた。
パスハは元祖レアチーズケーキみたいなものだから混ぜ混ぜして型に詰めて重石して冷やせばいいけど、クリーチがなあ…毎年生地がなかなかまとまんなくて。
来年こそはレシピ替えねば…