時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

額縁から作品を解き放つ(11):画家の思索の跡を追って

2023年01月14日 | 絵のある部屋


パオロ・ウッチェロ《森の中の狩》アシュモレアン博物館、オックスフォード


パオロ・ウッチェロの《森の中の狩》は、画家の最晩年の作品と考えられているが、しばしばいわれるような単に遠近法の技法を駆使しただけの作品ではない。そこには細部にわたり、画家の深慮が働いていることが分かる。前回に続き、画家の思考の跡を少し追ってみよう。


全体の構図を見ても、描かれている人物や動物などが、遠近法の消滅点(焦点)に向かって同じ行動をしているわけではない。画面の左側と右側では、描かれている人物や動物の視線、動きの行方も異なっている。右側の人物の視線は画面中心部の上方に向けられている。


上掲作品右側部分

この作品を仔細に検討したWhislterによると、ウッチェロは次のようないくつかの段階を追って、制作しているようだ。

制作に際して、画家の思考の推移の跡を辿ってみると、次のようになっている(以下のアルファベットは画材の板の該当部分を示す。Whistler 2010, pp.13-15)。


A. カンヴァスの小片を、画面中心、左上の画材(ポプラの板)の節(ふし)があった部分に接着する。

B. 石膏と膠を混ぜた下地(gesso)の層が、絵具を塗るために整えられる。

C. 遠近法の準備線と人物などの輪郭が描かれる。
D. 黒い下地の層が人物、動物、草花などのために塗られ、人物、動物などは白いシルエットとして残される。灰色の下地の層が空の下の空間部分に塗られる。遠方の人物などのために水平線が刻まれ、人物や樹木の幹などが描かれる。
E. 主要部分は卵白のテンペラが塗られている。
F. 人物と樹木のために絵の具がさらに塗られる:木々の葉が描かれる。木々の葉の光っている部分、あるいは陰影を表すために絵の具が加えられる。
G. 最終的に人物の顔など細部に筆が加えられる。画面手前の部分には光沢を維持するため緑色の銅の顔料が加えられる。
H. 木々の葉の形は全体に輪郭が不明瞭な集合として描かれ、金色の葉が画面の凹んだ部分付け加えられ、光を反射するように他の部分も同様に描かれる。




作品の部分、下地塗りの段階。Whistler p.14

現代の科学的な分析によると、この作品におけるウッチェロの顔料、絵具の選択は、当時の画家たちが採用していたものと同じだった。ウッチェロは、これ以前の作品《サン・ロマノの戦い》でも同様な選択をしている。

すなわち、黄色、赤、褐色の土性顔料(種々の酸化鉄)、鉛白、そしてウルトラマリン(粉砕したラピス・ラズリ)が空の部分に、その他の部分には安価なアズライトが使われている(高価なウルトラマリンを節約することが考えられている)。鉛・錫の黄色、ヴァーミリオン、赤色レーキ、カーボン・ブラックなども使われた跡がある。さらにマラカイト(孔雀石)を加工した緑色の絵具が木々の葉が集まった部分などの彩色に使われている。木の下の暗闇の部分などは、経年変化で暗褐色化して見える。

画面の多くの部分を占める部分は、一見すると変哲もない闇に覆われた森のように見えるが、ウッチェロは多くの顔料を用いて、濃淡、闇と光の複雑さを表現しようと努力したことが判明している。この時代、この作品のような木々の葉などに金色などを使うことは稀であったようだが、ウッチェロは大胆に使用して月光に光り輝く木々の葉の効果を上げている。

読者はもうお分かりと思うが、前回のQuizの答え(左上方をみる人物の視線の先)は、画面中央上部(ポプラ材)の節のあるところ(A)に小さく描かれた月なのだ。

《森の中の狩》は、月が上天に上った薄暮の下、月光が射しこむ《夜の森の狩》の光景であることが分かる。月光に輝く木々の葉には、大胆に金色が使われ、下方の地面を彩る草むらの緑との間でコントラストを見せている。




作品上部、月光に輝く木々の葉

画面に縦横に描かれた樹木と垣の中で、多くの人間や動物が活発に動き回る狩の興奮とざわめきが聞こえてくるようだ。そうした臨場感が、見事に計算された遠近法の仕組みの中に巧みに盛り込まれている。

人物や猟犬などの動きが、遠近法の消滅点へ向かっての単純化された印象を与えないよう配慮されている。そして、月光を求めて天を仰ぐ人物たちの配置と視線が、単調化しかねない画面に動と静のコントラストをもたらし、緊張感の中に森の静寂の漂う力作となっている。

作品はロジックとファンタジー、構図の明瞭さと装飾的な色づかいの中に描き出された傑作といえる。全体として、ウッチェロはヴァザーリが評したようなひたすら数学的な構図を追求した画家というよりは、「初期ルネサンスの数学的伝統を受け継ぎながらも、後期ゴシック美術の巧みに奇想を凝らした装飾的な伝統との間に生まれた稀有な画家」と考えるウイッスラーの評(Whistler p.30)は的を射たものと思われる。

続く
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