時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

至福のひと時:戻ってきた19世紀の音

2021年01月19日 | 午後のティールーム
辻井伸行Xパリ《ショパンが舞い降りた夜》

辻井伸行さんのYoutubeを探索していると、興味深い1本に出会った。パリ市内セーヌ左岸の古いピアノ工房を辻井さんが訪れ、修復された19世紀のピアノに接し、弾くことを許された場面である。

            〜動画は中段に〜

最高の贈り物
いかに優れたピアニストとはいえ、現代のピアノとは異なる古楽器を初対面で、しかも視力の障害がある身で直ちに弾くことができるとは普通では考えられない。かなりの試行錯誤の上で、すでに体得している平易な曲などを弾くことになると考えるのが普通ではないだろうか。

驚いたことに、この稀有なピアニストは手探りで鍵盤に触れたかと思うと、いきなりショパンのバラードを弾き出したのだ。ピアノが置かれた工房の片隅には、このピアノの修復再現を行なったピアノ職人が腕組みをして眺めている。着古した作業衣にエプロンを着け、いかにも気難しそうな職人気質の雰囲気が漂っている。自分の手がけたピアノの難しさは誰よりも承知の上だ。簡単ではないぞという思いがその様子にうかがえる。

普通のピアニストならば、最初は鍵盤の位置や配列、オクターブの範囲など演奏に必要な仕組みを手探りで調べた上で、練習曲などを弾くのだろうと思うのが自然なことだ。職人は、お手並み拝見といった顔つきである。

しかし、辻井さんがそうした職人の思いなどまるで感じないかのように弾きだすと、職人は次第に魅入られたようにピアノの側に引き寄せられてゆく。これはただものではない(実際そうなのだが)という受け取り方が、その動きや表情に現れて大変興味深い。19世紀の音に満たされた室内、没我の境地だ。最初のバラードが終わった時、拍手を送り、「このピアノでバラードを弾いたのは辻井さんが最初だ、素晴らしかった」と、一転感嘆の表情で感想を述べる。

続いて、《ラ・カンパネラ》を弾きだすと、職人はピアノの側に寄り添い、辻井さんの華麗な指の運びを見つめるまでになる。職人は曲に合わせて首を振り、この贅沢な時を楽しんでいる。自分が復元、修理したピアノの潜在価値を引き出してくれたピアニストがついに現れたという喜びと驚嘆の表情が率直に現れている。さらに、辻井さんは自ら作曲した《セーヌ川のロンド》まで弾きこなし、これまでの修復努力に応えている。職人にとっては、多大な努力が実を結び、19世紀の音を誰よりも早く楽しむことができた、まさに至福の時と言える。この職人さんは人生でも極めて得難い時を得たのではないか。

Source: 工房の雰囲気を感じていただくために、以下の動画はYoutubeからお借りしました。



Nobuyuki Tsujii performs ballad and Campanella on a 19th century piano



セーヌ左岸のピアノ工房の話
この動画を見ながら、かつて読んだパリのピアノ工房についての一冊を思い出した。

パリに住むアメリカ人の作家がセーヌ左岸 on the rive gauche の引っ込んだ場所にあるピアノ修復工房との出会いと経験を描いている。この工房は頑固な職人気質で古いピアノを修理、復元し、限定した顧客に売ることをしている。しかし、その職人気質が一筋縄ではないのだ。
    
一見の客であるカーハートは最初、店に入れてもらえなかった。その後、別の顧客の紹介などもあって、職人のリュック Lucに快く迎えられる時がくる。工房にはあらゆるメーカー、年代物のピアノが置かれていた。

フェルトが積み上げられた閉ざされたかび臭い洞窟の奥に、蠱惑的に光り輝く中古ピアノの黄金郷があった。

スタインウエイ、プレイエル、ファツィオーリ、ベーゼンドルファー、シュティングル、ヤマハ、ベヒシュタイン、エラール・・・・・果ては中国製のピアノまで。

カーハートは工房に通い詰め、まもなくもっとも歓迎される顧客の一人となる。そして自分のアパートへ一台、買い入れる決心をするが、リュックは簡単にはこれがいいという推薦をしない。彼はピアノは家族の一員のようなものと考えている。

リュックのピアノへの信じ難いほどの愛と熱意に惹かれ、カーハートはピアノのレッスンを受け、ピアノの歴史についての知識を習得する。

ニューヨークのスタインウエイのショールームや工場、さらにはイタリアのファツィオーリまで出かけることになる。

カーハートはピアノが持つ深い魅力に引き込まれ、忘れかけていた音楽の歓びを取り戻してゆく。ピアノとはいかなる存在なのか。

職人のリュックにとって、ピアノは単なる楽器ではない。命が宿った家族の一員のような存在なのだ。カーハートはリュックとの単なる職人と顧客という関係を遥かに超えて、ピアノそして音楽について実に多くのことを学んでゆく。特に明確なストーリーがあるわけではない。しかし、ピアノが好きな人には、本書はまたとない読み物であり、いつも手元に置きたい一冊となるだろう

分野は異なるが、ブログ筆者は17世紀の画家の世界に始まり、絵画作品が生み出される工房(アトリエ)の世界に格別の関心を抱いてきた(工房に関するかなりの記事が含まれている。時には北イタリアの家具や衣服のアトリエまで出かけたこともあった)。

このような形で、19世紀のピアノが修復、復元される一齣を紹介できることを大変嬉しく思う。


THE PIANO SHOP ON THE LEFT BANK: The Hidden World of a Paris Atlier by T.E. Carhart (T.E. カーハート(村松潔訳)『パリ左岸のピアノ工房』新潮社、2001年)

日本語のタイトル、惜しむらくは『パリ・セーヌ左岸のピアノ工房』であったらと思う。



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