時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

額縁から作品を解き放つ(5):「時代の眼」を試す

2022年11月12日 | 絵のある部屋

サンドロ・ボッティチェリ
Sandro Botticelli (Alessandro di Mariano Filipepi)
フローレンス,1445-1510
《コジモ・デ・メディチのメダルを持つ男の肖像》
1474年、テンペラ・板、 57.5 x 44cm
フローレンス、ウフィツィ美術館


赤い帽子が目立つ豊かな髪を持った若い男がメダルのようなものを両手で持って、こちらに向けて見せているようだ。若者の表情はなんとなく硬い。背景には取り立てて特徴があるとは思えない山と野原のような光景が広がっている。作品の主題は何だろう。一体どんな意味があるのだろうか。制作したのは15世紀後半、イタリア、フローレンスで活動したサンドロ・ボッティチェリという大変著名な画家である。ウフィツィが所蔵する《春:プリマヴェーラ》ca.1482という華やかな寓意画を思い浮かべる方もあるかもしれない。

この作品を見て、画家の描こうとしたものが何であるかを推理できるのは、イタリア・ルネサンス期の美術に大変詳しい方だろう。21世紀の世界に生きる現代人にとっては、作品を一見しただけでは、ほとんど無理なことではないか。

前回も記した美術史家のマイケル・バクサンドールは現代人は「15世紀イタリアのビジネスマンにはなれない」という卓抜な表現で、この問題を論じている。

しかし、現代人も然るべき努力をすれば、500年を超える時空の隔たりを縮小できるレンズを手にすることはできるかもしれないと述べている。

「時代の眼」を求めて
ここで、そのレンズになるかもしれない小さな探索の試みをしてみよう。実は上掲の作品は、画家ボッティチェリの有名な寓意画とされている。

時は、15世紀後半のフローレンス、ロレンツォ・デ・メディチの黄金時代に遡る。イタリア・ルネサンスの洗練され、平穏だが高揚した時期の作品である。

鍵は、この時代、貴族の間では貨幣(古銭、メダルなどの収集・研究)を行う「ニュマズマティックス」(Numismatics) という知的な楽しみが流行していた。

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* N.B.
Numismatics 貨幣(古銭、メダルなどの収集・研究)は、ルネサンス期の貴族などの間に流行した。皇帝の肖像が刻印された貨幣の全てを所有することは、所有者のギリシャ・ローマの古代についての洗練と愛を示すとされた。
メダルは政治的価値を付与され、外交官や訪れる賓客などに贈られた。制作は特別の技量を持った職工に発注され、画家もしばしばデザインや描画を行った。とりわけ、ピサネロの工房で鋳造されたメダルは、その創造性とデザインによって他に比肩し難いものとされた。

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若者が手にしている大きなメダルは表面の摩耗などから、画家が実際に存在したものを写したと考えられる。刻印されている肖像はフィレンツェの ルネサンス期における メディチ家最盛時の当主ロレンツォ・デ・メディチと考えられる。
このメダルは、実際に1465年から1469年にかけて鋳造されたもので、フィレンツェのバルジェッロ美術館に本物が所蔵されている。メダルには「 MAGNUS COSMVS MEDICES PPP(国父)」の文字が刻まれている。
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ボッティチェリは、フィリッポ・リッピの工房で1460年代に修業をし、1466年にアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房を共同で運営することになる。メディチ家の人々の肖像画を数多く描いたことは、彼がこのフローレンスの盟主の家に頻繁に出入りしていたことを示すと考えられる。
ボッティチェリはその後、1482年にはローマへ出向き、システィン教会堂の装飾のチーフ・デザイナーを務めた。フローレンスへ戻った後、ロレンツォ・デ・メディチ御贔屓の画家としてフレスコ画、祭壇画、聖人画を描いた。

フローレンスでは、1492年にはロレンツォの死とサヴォーナローラの峻烈な市政改革とその失策による1498年の焚刑があった。

ボッティチェリの晩年は、サヴォナローラの宗教的影響を強く受け、硬質的で神経質な表現へと作風が一変。人気が急落、ついには画業をやめるまでになった。最晩年は孤独のうちに65歳で死去した。

この作品でモデルとなっている若い男性については、名前が知られていない。さまざまな推測がなされてきたが、今日まで不明なままである。若者の表情は、硬く憂いのあるような容貌に描かれているが、これは当時の流行であったともいわれている。

背景に描かれている風景は、山と川からなる特徴のない平凡なもので、おそらく工房の助手、徒弟に描かせたものだろう。

画材から画家のスキル(技量)重視へ
この作品が制作された15世紀後半においては、パトロン(クライアント)と画家の関係にも変化が生まれていた。それまでの顔料・絵具(金、ウルトラマリンなど)、額縁枠などへの関心から、画家のスキル(技量)、画家の間の優劣へと重点が移行してきた。それと共に、パトロンに従属していた職人のような地位にあった画家たちの間に、自らのスキル・技量に立脚した画家としての自立の動き、画家間の優劣の意識が芽生えてくる。

見る目のある顧客が、絵画に充てる資金を顔料の金から画家の絵筆(スキル)へと振り返る方法は色々あった。注文した絵の人物の背景に、緊迫ではなく風景を指定することもその一例だった」(Baxandall, p.16)

スキルを気前よく買う顧客となるには、もうひとつ確実と思われる方法があり、それは15世紀中頃にはすでに定着していた。つまりどのような手仕事においても、それぞれの工房内で親方と助手が費やす手間の価値について、相対的にかなり大きな格差があったことである」(Baxandall, p.17)

例えば、フラ・アンジェリコの工房では、親方のアンジェリコと3人の助手の間には、年間の報酬に次のような差異があった:
フラ・アンジェリコ 200フローリン
ヴェノツォ・ゴッゾリ  84フローリン
ジョヴァンニ・デラ・ケーチャ 12フローリン
ジャコモ・ダ・ポーリ  12フローリン

工房が後にオルヴィエトに移った後では、この格差は維持されてきたが、ジョヴァンニ・デラ・ケーチャだけは、月収が1から2フローリンに倍増された。この大きな格差は親方が見たスキルの基準によるものであった。(Baxandall, p.20)

こうした史料からも推定できるように、上掲のような作品においても、アンジェリコなどの親方は、構図など重要な部分は自ら絵筆を振るったが、背景などについては、指示だけして助手に任せたと思われる。

この一点の作品の意味を推し測るだけでも、現代人は数世紀の時空を遡り、多大な努力をしなければならない。恐らく15世紀フローレンスの同時代の人々は、比較的容易に作品の含意、そして画家のスキルの優劣などを感じ取ったことだろう。

バクサンドールのいう「時代の眼」に匹敵するレンズを獲得するためには、現代人は多大な努力をしなければならないことが分かる。

ブログ筆者は「コンテンポラリーの視点」という概念で、かなりバクサンドールと近似した考えを抱いてきたが、専門の相違もあって同一の概念ではない。人生に残された時間が許せば、それらの点にも言及してみたい。


Reference
Michael Baxandall, PAINTING & EXPERIENCE IN FIFTEENTH-CENTURY ITALY, Oxford University Press, second edition, (1972) 1988

続く




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