時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

コンスタブルの空と雲

2021年04月16日 | 絵のある部屋


Mark Evans, Constable’s Skies: Paintings and Sketches by John Constable, Victoria and Albert Museum/Thames & Hudson, 2018、cover


ジョン・コンスタブルの作品を見ていると、風景画の定義について改めて考えさせられる。この画家については、これまで、かなりの数の作品を見てきたつもりだが、コンスタブルの研究者でもなく、到底全ての作品や遺稿に接したわけではない。

一般に「風景」というと、空は背景で、中心を構成するのはその下に広がる山や森、野原、田園、町など地表に広がる部分と考えがちである。イギリス風景画に大きな影響を与えたティティアン(c.1485-1576)、サルヴァトール・ローザ(1615-1673)、クロード・ロラン (ca1600 - 1682)、ジョシュア・レイノルズ(1723 – 1792) の作品などを見ていると、その思いは格段に強まる。例えば、ロランの作品を見る限り、地上の光景には多大な努力が注がれているが、空の光景は概して平穏で背景の役割に徹しており、コンスタブルの雲のような多様さと動態は感じられない。

他方、コンスタブルの作品の中には空だけを描いたものもかなりある。画面で地表の占める部分の比率が10%程度の場合も極めて多い。コンスタブルの風景画と空の描写は分かちがたい。空がない風景画はないのだ。空が全体の9割近い作品もある、しばしば空だけという作品も多く、こうなると風景画というより、「気象画」「空絵」とでも呼ぶべき新たな範疇を設定した方が良いのではと思うほどだ。

コンスタブルの空の変化、気象に関する研究意欲と関心はきわめて並大抵ではないことは良く知られている。後世、それについての研究書、論文の数も数多く刊行されている。今回はその中から、筆者が最近興味を惹かれた一冊を題材にコンスタブルの世界を紹介してみたい。ここで紹介する作品は、著者の所属の関係もあって、Victoria and Albert Museum 所蔵のものが多いことをあらかじめ注意しておきたい。


Mark Evans, Constable’s Skies: Paintings and Sketches by John Constable, Victoria and Albert Museum/Thames & Hudson, 2018

ジョン・コンスタブルはイギリスの天候、気象についての偉大な画家の一人である。彼の空の描写はこの画家の風景画における必須の構成要素となっている。例えば有名なThe Hay Wain/ and /Salisbury Cathedral from the Meadowsに始まってHampstead Heathについての多数の雲の研究は、絶えず変化する空を前提にした上で展開する地上の世界につながっている。



空の研究に専念した背景
コンスタブルの作品研究の権威Mark Evansの上掲の著書Constable’s Skiesは、画家の生涯を通してイギリスの気象の描写とその魅力、陶酔とを結びつける。コンスタブルは気象日誌をつけ、記録は絶えることなく続けられ、その変化に魅せられてきた。

コンスタブルのこうした考えは、当初は製粉業者の息子(次男)としての環境から生まれ、職業知識として必要不可欠なものだった。天候状態の変化は、農業地帯における風車などの運用に重要な意味を持っていた。経験的にコンスタブルはすでに若い頃から雲の変化について該博な知識を持っていたと思われる。

空はその性質において光の源であり、全てを支配している」 とコンスタブルは述べているが、彼にとっての雲は、17世紀画家のラトゥールにとっての焔のような存在だったのかもしれない。雲なくして作品は成立しないのだ。


コンスタブルは、1821年に友人のジョン・フィッシャーJohn Fisher, Bishop of Salisburyに宛てた手紙で、空を構図の不可欠な部分と考えない風景画家は、制作にとって極めて重要な要素を活用していないことになると述べている。空が作品の基調でもなく、作品構図の標準あるいは情緒の主要な根源ともなっていない風景画家は、風景画にとって最も重要な要素のひとつを十分活用していないことになるとも記している。

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N.B.
コンスタブルが制作に際しての関心と考察は、当時の気象学の発展からも大きな影響を受けたと思われる。
1923年には気象学の月刊誌が創刊され、気象学の父といわれる科学者Luke Howard(1772-1864) 及び自然科学者 Thomas Forrester(1772-1860)が中心となり、気象学の発展を目指す人々に向けて開かれていた。会費は当時の通貨で年間2ギニー(1971年以降は1ギニー10.5ポンド)の前払いであった。コンスタブルは熱心な読者であった。

1821-1822年には、コンスタブルは自らの考えを実践する上で、’skying’ campaign に乗り出し、毎日変化する雲のある空 ’cloudy sky ’ のスケッチを行い、その時の時間や気象条件を詳細に記している。油彩でのスケッチは1850年まで続け、その後は水彩に切り替えている。

印象派の時代には、コンスタブルのスケッチは、’faithful and briliant’ とされ、1937年画家の没後100年祭 CENTENARY には「抽象画とシュールリアリズムの先駆け」との賛辞も寄せられた。

さらに、コンスタブルは自分の作品に価格付けをし、展示に際しての作品評価の資料としていたともいわれる(Evans p.10)。

オランダ画家からの影響
さらに、コンスタブルは当時の気象学の研究から大きな影響を受けたばかりでなく、17世紀のオランダ画家の作品からも影響を受けたと考えられる。

なかでも17世紀の著名なオランダ画家 Jacob van Ruisdael (1628/9-1682: ヤーコプ・ファン・ロイスダール、最近ではラウスダールと呼ばれることも多い) の作品からも影響を受けたようだ。コンスタブルは1836年6月9日の講演でこの点に言及している。

コンスタブルは、1936年のHampsteadでの講演で自分の観察結果を話す予定だったようだ。ライスデールの模写がほぼ完成に近づいた時、コンスタブルは作品を長年の同僚でもあった友人のジョン・ダンスローン John Dunthrone に見せていた。彼はコンスタブルの試みに深い理解を示していたようだ。しかし、数日後ダンスローンは突如急死してしまった。コンスタブルにとって大きな悲しみであった。

しかし、コンスタブルは、1837年の夜、予期せぬ死を迎えた。



JOHN CONSTABLE. /A WINTER LANDSCAPE WITH FIGURES ON A PATH, A FOOTBRIDGE AND WINDMILLS BEYOND (AFTER JACOB VAN RUISDAEL. 1832.
ジョン・コンスタブル『路上の人、歩道橋及び後方の水車がある冬の光景:』(Jacob van Ruisdaelの作品に倣って。1832)

コンスタブルは友人の死を深く嘆き、ライスデールの作品に倣っての上記作品の制作にさらに傾注することになった。彼はこの作品の背後に、次のように記している:
“Copied from the Original Picture/ by Ruisdael in the possession of Sir Robtt Peel, Btt by me / John Constable RA / at Hampstead Sep. 1832 / P.S. color (…) Dog added (…) only (…) Size of the Original (…) and Showed this Picture to Dear John Dunthrone Octr 30 1832 (…) this was the last time I (…) Poor J Dunthorne died on Friday (all Saints) the 2d of November. 1832-at 4 o clock in the afternoon Aged 34 years.”
(Evans, p.11 あえて、原文のまま)

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この光景は時の経過に関連している。冬は過ぎ春が来る。そして死者はそこで新生する。コンスタブルにとって、ライスデールの作品に倣ったとはいえ、この光景は1832年秋の深い心の悲しみを写す格好の題材だったのだろう。
 
本書はジョン・コンスタブルの作品、とりわけ空の雲の観察と描写に大きなエネルギーを注いだ画家の作品と生涯を知るに、きわめて適切で心温まる一冊である。

(以下:本書所収のコンスタブル作品から)





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