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【東京・千代田区】 御即位20年記念特別展 (皇居東御苑)

2009年11月23日 22時00分00秒 | 旅 - 東京都

皇居東御苑で開かれている「御即位20年記念特別展」に出かけた。
今日が最終日。
お天気も良く、人出は多かった。


大手高麗門
大手門から入る。
迷うかも知れないと思い宮内庁のHPで展示場所が載っているページを印刷して行ったのだが、入口には展示場と展示内容が書いてあるパンフレットが置いてあった。


大手門渡櫓



昭和20年(1945)、戦災で焼失した旧大手門渡櫓の屋根にあった鯱。
頭部に「明暦三丁酉」と刻まれていることから、明暦の大火(1657年)の後に造られたものだとされている。


三の丸尚蔵館


三の丸尚蔵館では、御成婚50年・御即位20年記念特別展「両陛下―想い出と絆の品々Ⅰ 第3期 御日常にゆかりの品々」が展示されている。
御装束、新年の御膳、天皇陛下の御論文、皇后陛下のハープや譜面台、両陛下のテニスラケット等々。
美しかったのは、天皇陛下から皇后陛下に古希のお祝いに贈った桑の糸箪笥。
そこに置かれてあった糸が素晴らしかった。
志村ふくみさんが染めたものだという。
志村ふくみさんというと、教科書に載っていた大岡信氏の文章をいつも思い出す。
桜色の染料は、桜の花ではなくごつごつした樹の皮からとるのだという話。


同心番所


百人番所
甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が、昼夜交代で詰めていたそうだ。


「御即位20年記念 装束類ほか特別展」(百人番所内)
写真は、左が男性供奉員用の「束帯(そくたい)黒袍(くろほう)」、
右が女性供奉員用の「五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)・裳(も)」


「平成の大礼」映像上映(本丸中之門の脇)


大番所


中雀門跡


富士見櫓
明暦の大火で焼失した天守閣の代わりに使われた。
ここから将軍が両国の花火を鑑賞したり、品川の海を眺めたりしたとか。


松の大廊下跡
元禄14年(1701)、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央の刃傷事件があった場所。
江戸城で2番目に長い廊下だったそうだ。


『仮名手本忠臣蔵』に描かれた松の大廊下


茶園


富士見多聞


石室
内部の広さは約20平方メートル。
非常時に、大奥の調度品を納めたところだと言われる。
抜け穴だったとか、金蔵だったとかいう説も。


「平成の大礼」映像上映(本丸天守閣の脇)


桃華楽堂


天守台
「最初の天守台は、1607年、二代将軍秀忠の代に完成しましたが、その後大修築され、1638年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣が完成しました。外観5層、内部6階で、地上からの高さは58メートルありました。しかし、わずか19年後の1657年、明暦の大火(振り袖火事)で、飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。」(案内板より)


天守台から大奥跡を望む


「御即位20年記念 旗類ほか特別展」(本丸跡広場)


「御即位20年記念 雅楽器特別展」(本丸休憩所内)


展望台から


皇居正門石橋旧飾電燈


二の丸雑木林


二の丸庭園


諏訪の茶屋


「御即位20年記念 盆栽特別展」(二の丸諏訪の茶屋)


平川門渡櫓
城内の罪人や死人は平川門から出されたので、不浄門とも呼ばれるそうだ。
そんな説明を読んで悩んだが、他の門へ歩いて行くのも面倒になり、結局はここから出た。


平川高麗門


平川門を出てすぐ、「追慕の碑」が建っている。
これは、江戸城を築いた太田道灌(1432-86)の没後450年を記念して建立されたもの。

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