大倉草紙

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【東京・港区】 志賀直哉居住の跡

2009年11月29日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月24日(土)
当日の行程: 【報土寺】【勝海舟邸跡】【赤坂氷川神社】【志賀直哉居住の跡】【久国神社】【勝安房邸跡】【日枝神社】 → (銀座線・溜池山王駅~上野駅) → 【皇室の名宝 ― 日本美の華 1期 永徳、若冲から大観、松園まで(東京国立博物館)】


(港区六本木4-3-13)
後ろに見えるのは、ミッドタウン。
志賀直哉は、生涯で26回も転居したそうだ。
以前、高畑サロンと呼ばれる奈良の旧居を訪れたことがある。
奈良の文化財や自然への憧れが強く、そこへ移り住んだという説明が書いてあった。
なんだか分かるような気がする。

「志賀直哉居住の跡
 志賀直哉の父 直温(なおはる)が、家族とともにここに移り住んだのは、明治三十年(一八九七)、直哉十四歳の時でした。当時の屋敷は千六百八十二坪(五五五〇・六平方メートル)もあり、雑木林の趣さえうかがえる広大なものでした。
 直哉は、ここで青春時代を過ごしました。そして、この間、処女作である『或る朝』をはじめ『網走まで』『正義派』『大津順吉』などの初期の名作を生み出しています。作品の中には当時の父とのいきさつを扱ったものや、『剃刀』『自転車』のようにこの土地にかかわりのあるものがみられます。
 なお、当時の家屋は、昭和二十年の戦災で全焼しました。
  昭和五十三年一月(平成十八年八月立替) 港区教育委員会」