大倉草紙

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【大阪】 中之島・北浜界隈の近代建築めぐり ②

2009年11月06日 21時00分00秒 | 旅 - 大阪府
8月22日(土)
当日の行程:(大阪市営地下鉄・淀屋橋駅) → 【中之島・北浜界隈の近代建築めぐり ②】【水都大阪2009】 


高麗橋ビルディングから三休橋筋を北に向かい、3つ目の交差点を左に折れると、適塾がある。
国登録重要文化財。
適塾の中の様子はこちら


適塾の前の通りを堺筋方面へ行くと、左手に大阪慶應義塾跡記念碑が建っている。
この碑は、今年建てられたばかり。
大阪慶應義塾は、明治6年(1873)から明治8年(1875)までの間、この地に開かれていた。


堺筋に出て、ほんの少しだけ南へ行くと、新井ビルがある。
国登録有形文化財。


新井ビルには、お菓子屋さんの「五感」が入っている。
このビルが建てられた当初(大正11年)は、報徳銀行大阪支店だった。


堺筋を土佐堀川方面へ行くと、北浜の交差点近くに大阪俵物会所跡がある。
江戸時代、俵物と呼ばれるフカのひれ、干なまこ、干あわびなどは貴重な特産品で、幕府の厳しい統制下、会所で特定の商人だけが売買することができた。
俵物会所は、はじめ備後町にあったが、安永6年(1777)にこの地に移り、明治時代まで続いた。


俵物会所跡の目の前に建つのが大阪証券取引所


大阪証券取引所の建物の前には、五代友厚の像が建っている。


五代友厚の像といえば、大阪商工会議所の前にもあった。
左から、五代友厚、土居通夫、稲畑勝太郎の像。


土佐堀通りを天神橋方面へ。
北浜レトロは、英国風ティールーム。
建物は、国登録有形文化財に指定されている。
明治45年(1912)に株仲買商の商館として建てられ、戦後は商社が使っていたもの。


中之島公園から見た北浜レトロ


土佐堀通りを更に進むと、花外楼がある。
明治8年(1875)大阪会議が開かれた料亭。
「花外楼」の名付け親は木戸孝允。


入口には、大阪会議開催の地の碑が建っている。


土佐堀通りを戻り、難波橋を渡って中之島へ。


大阪市立東洋陶磁美術館の前に建つ木邨長門守重成表忠碑


淀屋橋方面へ歩く。
大阪市中央公会堂は、国指定重要文化財。


大阪市中央公会堂の敷地内に、大阪通商会社・為替会社跡の碑が建っている。


国指定重要文化財に指定されている大阪府立中之島図書館
明治37年(1904)、住友家の寄付でつくられた。


図書館の前にいた猫が可愛かったので一枚。

この日に歩いたのはここまでだが、翌日、大阪歴史博物館に行った帰りに、谷町から天満橋付近を歩いたときに目にしたものも加える。


大阪府警察本部は、故黒川紀章氏の設計。
平成19年(2007)12月に完成したばかり。


大阪府庁本庁舎は大正15年(1926)に竣工された。
最も古い都道府県庁舎である。
『華麗なる一族』をはじめ、ドラマのロケによく使われている。
府庁内に飾られた「須田画伯」(須田剋太氏)による『街道をゆく』の挿絵原画を見ていると時間を忘れてしまう。


府庁前には、臨時カフェがオープン。


入口の柱


こんな時計もあった。


こちらは、府議会で移転条例案は否決されたものの、ビル購入の予算案は可決されたWTC(大阪ワールドトレードセンタービルディング)。
あ、この近くではなく、以前撮ったもの。


大阪府庁の南側に隣接して大阪府公館が建っている。


大阪府公館の向かいには、大阪英語学校跡の碑が建っている。
明治7年(1874)、ここに大阪英語学校(第三高等学校の前進)が建てられたのだそうだ。


谷町筋を天満橋方面へ。
天満橋の交差点を左に折れ、永田屋昆布本店前に、三十石船の発着所として知られる八軒家船着場の跡の碑がある。


安藤広重『八軒家船着場の図』(「浪花名所図会」より)


現在の八軒家浜


南北朝時代、瓜生野の戦いに勝利した楠正行が、敵兵を川から救い、食を与えたのもこの八軒家浜。
大川沿いの通りには、小楠公義戦之跡が建っている。


小楠公義戦之跡の碑の傍には、クスノキが植えられている。


中之島公園の先端、堂島川と土佐堀川が交わるところには、「水都大阪2009」の噴水が。


天神橋の交差点付近の日本郵政グループ大阪ビル


ビルの前には、日本の近代郵便制度の創設者のひとりである前島密の像が建っている。

近代建築めぐりが、街巡りになってしまった。