大倉草紙

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【東京・港区】 赤坂氷川神社

2009年11月28日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月24日(土)
当日の行程: 【報土寺】【勝海舟邸跡】【赤坂氷川神社】【志賀直哉居住の跡】【久国神社】【勝安房邸跡】【日枝神社】 → (銀座線・溜池山王駅~上野駅) → 【皇室の名宝 ― 日本美の華 1期 永徳、若冲から大観、松園まで(東京国立博物館)】


天暦5年(951)の創立と伝わる。
創立当初は武州豊島郡人次ヶ原(現赤坂4丁目)に鎮座していたが、江戸時代、八代将軍徳川吉宗の命により現在地に社殿を造営、享保15年(1730)に現在地へと遷宮が行われた。


楼門


社殿
現在地に遷宮された際、徳川吉宗によって建立されたもの。


額堂
月岡芳年筆の「『ま組』火消し絵馬」や河鍋暁斎、柴田是真が描いた絵馬が納められている。
『ま』組は、赤坂・六本木界隈を受け持つ町火消しのことで、「『ま組』火消し絵馬」には、火事場に向かう火消したちの姿が描かれている。
ガラスが反射して、額堂の中は何も見えなかった。

 
氷川坂方面の鳥居の下に置かれた狛犬は、襲いかかってきそうな勢い。


大イチョウ


境内は森閑としている。
境内は、浅野内匠頭の夫人・阿久里(のち瑤泉院)の実家である浅野土佐守邸跡。


南部坂
『南部坂雪の別れ』で有名なこの坂は、赤坂氷川神社の近くにある。
大石内蔵助は討ち入り前に瑤泉院のもとを訪れたというストーリーであるが、実際はそうではなかったらしい。


四合稲荷神社
「四合」と書いて、「しあわせ」と読むらしい。
古呂故(ころこ)稲荷
地頭(じぬし)稲荷
本(もと)氷川稲荷
玉川(たまがわ)稲荷
明治31年(1898)、以上四社を合祀し、勝海舟が四合稲荷と称えたそうだ。
勝海舟筆の「四合稲荷社」という扁額が現存するようだが、社殿には掲げられていなかった。


西行稲荷神社


赤坂氷川神社の御朱印

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