興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

渡邊 鼎  その2 士族二編籍申付候事

2008年12月16日 | 興浜偉人傳

渡邊 鼎(わたなべ かなえ)
士族二編籍申付候事(しぞくにへんせきもうしつけそうろうこと)
明治6年3月  飾磨県
渡邊家が元丸亀藩の士分の家柄であった事がわかる。
『広辞苑』で士族を調べると、明治初年、維新前の武士の家系に属する者に与えた族称。華族の下、平民の上に位する。法律上の特典は全く無かった。現在は廃止。とある。

これから渡邊鼎直筆の履歴書より年代ごとに追ってみる事とする。 
(青字は履歴書から)

兵庫縣士族 播磨国揖東郡興濱村 渡邊鼎
渡邊鼎 嘉永元年(1848)12月12日生まれ
渡邊恒治であったが、明治5年に鼎と改名とある
明治2年10月5日 結婚 

明治6年3月5日 等外三等出仕申付候事 飾磨縣
同日 租税課雑税掛申付候事
飾磨県に勤め始めて、租税課雑税掛に配属

明治10年2月3日 任七等属 兵庫縣
同日 租税課雑税掛申付候事
飾磨県が兵庫県に変わり七等属の階級を賜わり租税課雑税掛に配属

明治12年1月21日 任六等属 兵庫縣
六等属に昇進

明治12年8月6日 任六等属 大阪府
六等属のまま大阪府に勤務

明治12年9月27日 雑税課長心得申付候事 大阪府
大阪府の雑税課長に昇進

明治13年11月2日 任五等属 大阪府
五等属に昇進 

鼎さんは几帳面だったようで、写真や文書を自家製の封筒に入れて細かく説明書きを添えている。写真や文書と同じ大きさの封筒の為、出し入れしにくいのが難点である。
下の写真は説明文が無い写真の為どの時代か不明であるが、兵庫県か大阪府に勤務していた頃の写真であろう。

  
  前列左から2番目が鼎さん


飾磨県について調べてみた。
廃藩置県が行なわれたのは、明治4年7月14日。
その時日本は3府302県。

その時、姫路藩は姫路県に、興浜は丸亀藩だったので丸亀県に、新在家は龍野藩だったので龍野県にあいなった。

明治4年11月2日に姫路県,明石県,龍野県,林田県,赤穂県,山崎県,安志県,三日月県,三草県,小野県が合併して姫路県となりわずか7日後の11月9日に飾磨県とあいなった。


『飾磨県布達』には、姫路県飾磨県と被改候事 辛未11月 太政官 とある。(明治4年11月に姫路県から飾磨県が成立したという事だ。)

その後、明治9年8月21日に飾磨県全域は兵庫県に統合された。

興浜は丸亀藩であったので『丸亀市史』で丸亀藩について調べると
明治4年4月10日 丸亀藩が廃され、丸亀県が置かれる。
明治4年4月12日 京極朗徹が丸亀県知事に任じられる。
明治4年8月    丸亀藩領地の管轄替えが次のように認められる。
          播磨国揖西郡は兵庫県に管轄替えす。

兵庫県に管轄替えするとあるのは、明治4年8月の時点では姫路県に管轄替えするの間違いではないだろうかと、興ちゃんは考える。

つづく



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4 コメント

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いろんな県名だったのねえ (みー@)
2008-12-19 21:59:23
あまりに複雑すぎて・・・

そんな県名になったことを知らずに
庶民は生きていたのかしら・・・

写真に、写真館の刻印とか押してないの?



日めくりカレンダーが面白いね。
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どうでしょうか (興ちゃん)
2008-12-19 22:31:03
 想像するところ、生きていくのが精一杯の時代、一般庶民にとって県名などどうでもよかったのかなと思います。

 興ちゃん個人の意見は、興浜はうどんのおいしい丸亀県のままがよかったのですが。

 大久保利通さんががんばっていた時代ですね。

 写真をじっくり見せてもらうのをうっかりしていました。又の機会があればよく見ておきます。古い写真が好きなもので、ついつい写真ブログになってしまいます。

 日めくりカレンダーを早速発見して頂きありがとうございます。
 

 
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えっ (英ちゃん)
2008-12-20 23:30:46
302県!?もあったんですね。

明日は津の宮大掃除に参加させていただきます
よろしくお願いします。
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そのようですね (興ちゃん)
2008-12-21 08:27:28
 江戸時代の藩の数だけあったのでしょうか。
もう少し調べてみないとわかりませんが。

 今日の掃除は天気が心配です。
無時終わり、よい年を迎える準備ができればと祈念します。

 ご協力よろしく。
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