興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

本町橋で候 その1 祝本町橋開通式

2014年11月09日 | 興浜道普請

 

 

 揖保川に新しく架かった本町橋の開通式が今日行われた。

 渡り初めに三代夫婦に加えて、興浜の檀尻が曳き出される予定であったが、未明から降り続く無常の雨の為曳き出しは中止となった。

 平成13年の魚吹八幡神社武神祭興浜当番の時を思い出させる、晴れ間続きの中をその日だけピンポイントに狙った雨である。

 浜田側から見学させて頂き写真を撮影。雨の中でもこれだけの渡り初め式は珍しいかもしれない。

 個人的には、浜田側も興浜地番なので都に上る方向で渡り初めをと考えるが致し方ない。

 住民の皆さんの渡り初めのあと、興浜檀尻に変わり興浜鐘檀尻が渡り初めを行った。

 


 

 揖保川の渡りについては、江戸時代は渡し舟であったが、今回新しく架かった本町橋の位置に明治26年5月に初代本町橋架橋、三代目は昭和32年3月に架けられた今まで我々が渡っていた本町橋、今回の新橋が三代目となる。

 明治26年(1893) ―60年― 昭和32年(1957) ―57年― 平成26年(2014)

 余談であるが、明治13年に架橋された本町橋があるようであるが、現在の本町橋より一本南側の大覚寺の筋に架かっていたようである。

 今回の開通式を機会に本町橋について書いてみようと思う。

 昭和32年3月の渡り初めの事が掲載された『広報ひめじ』昭和32年3月号

 

  

 


変わりゆく興浜の風景 本町橋たもと 

2011年03月21日 | 興浜道普請

 網干区興浜の本町橋西詰めの風景が少し変わった。

 家屋が解体されたのはいいのだが、石積みが現れて1.8mの高低差ができた。

 ちと危ないので、少し盛り土をしてガードレールを設置した。

 アスファルト舗装もしたので、少し広く感じるようになったかもしれない。

 

 
 3月3日の工事前の風景

  
 左:3月3日  右:3月5日舗装とガードレールで安心な状態

  
 左:3月3日  右:3月5日舗装とガードレールで安心な状態

  
 左:3月3日盛土工事  右:同じ方向から3月5日の様子

 
 栄町(浦町)筋に降りて行く道路に取り付けてあるガードレールには、「昭和44年3月」のシールが貼り付けてある。
 このようにガードレールや標識には施工年月日のシールが貼り付けられている。
 43年前の、昭和43年度の年度末工事に建てられたガードレールである。

 ちょっと変わったところで、ガードレールの柱の打込み状況を動画でどうぞ。
 ガードレールの土中式の柱は地面からは70cmしか出ていないが、土中には1.4mも入っている。自動車がぶつかっても折れて自動車が落ちてしまう事はないのでご安心あれ。

  

 


興浜道普請 網干96号線その2

2008年04月08日 | 興浜道普請

 姫路市道網干96号線 平成6年

 前回姫路市道網干96号線完成を書きましたが、平成6年の夏から冬にかけて興浜墓地から北側を工事した時の写真が出てきたので掲載します。今と違い非常にせまい道だった事がわかります。


平成6年夏 工事前の写真です
現在、井口食品『こもれび庵』から南を向いて


平成6年夏 工事前の写真です
興浜墓地から北を向いて


側溝築造の工事中写真(道路東側)


現在、井口食品『こもれび庵』の前、舗装前の工事中


右後方は、興浜墓地 輿(こし)倉が写っています
輿倉は平成19年3月とりこわされました
現在輿は縁あって船場本徳寺にあります


平成6年撮影 興浜墓地から北を向いて
正面向こうに大覚寺の屋根が見えます


平成20年3月撮影 上の写真と同じアングルで


平成20年3月撮影 興浜墓地側


興浜道普請 網干96号線その1

2008年04月05日 | 興浜道普請

 姫路市道網干96号線完成

 道路には、国道・県道・市道・農道・私道等管轄行政によって区別されている。
もちろん維持管理も国道なら国がするという事になっている。
ここ姫路市網干区興浜にある道路は、姫路市道がほとんどである。

 私たちが通称『浜国』と言っている道路は国道250号線である。
これと同じように姫路市道も番号を付けて維持管理されている。
日常生活ではこのような呼び方はしませんが、土木建設に携わる人は少なからず、覚えておく必要のある呼び方である。

 『興浜道普請』では、興浜の道路整備状態を記録していきたいと思っています。

 今回、姫路市平成19年度道路事業によって、平成18年度より興浜自治会が行なっている興浜墓地改修にともない、市道網干96号線が興浜墓地に面する部分の拡幅工事が平成20年3月に完成したので、着工前と完成後の写真を掲載します。


 市道網干96号線は大覚寺の南側、山田歯科から興浜墓地に向かう道路

 興浜に火葬場があった昭和50年代初めまでは、三昧(さんまい)に通じる道という意味か、三昧に行くしか用がない為なのか、三昧道(さんまいみち)と呼ばれていた。
長老たちは今でもそう呼んでいる。 
 
     興浜墓地南東から着工前と完成

 
     興浜墓地南から着工前と完成

 
     興浜墓地六地蔵前から着工前と完成
 
     興浜墓地六地蔵前から着工前と完成

 
 平成20年1月7日工事に先立ち大覚寺四十二世義空玄礼上人によって六地蔵 さんの抜魂式があり、そのあとすぐに播州石材さんが工事完成まで預かる為土台よりはずされました。

 
      加納土木による工事中の写真です 六地蔵前の道路拡幅工事中
 
  興浜墓地南側の桜の木は抜かれて、擁壁によってのりおこしされ、道路が拡幅されました。 

  
 道路が完成したあと、播州石材さんにより六地蔵さんの土台が新しくされ、もとの六地蔵さんが帰られました。