興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

片岡家 一般公開 筑前琵琶演奏

2008年07月20日 | 歴史散歩

 

 姫路市網干区の網干商店街の土曜夜店が7月12・19・26日の3日間に行なわれている。

 その商店街の西の端のほうにある、300年以上の歴史がある片岡家が一般公開されている。

 その片岡家において19日と26日の2日間、網干区新在家在住の熊谷さん親子による筑前琵琶の弾き語り演奏会があった。

 うまく表現できないが、響きわたる弾き語りの筑前琵琶の音は、歴史ある大庄屋にふさわしい舞台であった。

 題目は『安宅の関』と『扇の的』

 来週の題目は『壇ノ浦』と『扇の的』

 筑前琵琶について詳しく調べていないのでこれ以上書く事はできないが、26日にも演奏があるので、このような機会はめったにないので、取り急ぎ皆さんにご報告します。世話人一同ひとりでも多くのご来場をお待ちします。

 筑前琵琶について熊谷さんに取材できれば詳しくUPします。


魚吹八幡神社 千灯祭

2008年07月15日 | 魚吹八幡神社

  7月14日と15日、姫路市網干にある魚吹八幡宮で千灯祭があった。
魚吹八幡宮の年間の祭礼の中でも重要な祭礼のひとつであるが、参拝者が少ないのがちとさみしい。

 楼門から入って拝殿前に茅の輪(ちのわ)が設けられている。
茅の輪とは茅草(かやくさ)で作られた人がくぐれる大きさの輪で、それをくぐると、正月から6月までの半年間の罪けがれが祓(はら)われる。
 確か八の字を書いてまわればいいと覚えていたので、八の字で一周してから拝殿にあがったが、帰ってから気になり調べてみると、これが大変。
 「水無月(みなつき)の夏越しの祓する人はちとせの命のぶというなり」という古い歌を唱えながら、左まわり・右まわり・左まわりと、八の字を書くように三度くぐるそうだ。

 

  
 拝殿に上がってお参りすると、舞殿と幣殿の両側に千個におよぶ灯明皿(とうみょうざら)のかわらけに、お宮の方と当番の惣代さんたちが、火をつけているところだった。

 かわらけに菜種油を少し入れて、そこからかわらけの口の部分に芯をのばし、芯の先に火をつけて灯りをつける。灯明は神仏に供える灯りだが、昔は一般でも使われていた。

 かわらけ:写真に写っている火のともされている皿。
       くわしくは、皿の形をしたくすりをかけていない素焼きの土器。
       つくり方にはふた通りあり、ロクロづくりと手づくねづくりがあるようだ。
       手づくねの方は、粘土をひじやひざにあてて丸みをつくるようだ。


               
無事7時に全てのかわらけに火がともされて神事が始まったのでしょう。


鶴林寺 国宝太子堂 檜皮ふき見学会へ

2008年07月13日 | 歴史散歩

  

 加古川市加古川町北在家にある鶴林寺では、国宝である太子堂が屋根修理工事を行っている。

 屋根の檜皮(ひわだ)ふき作業に入っており、今日と明日現地見学会がある事を知り行ってきた。

 聖徳太子創建の太子堂は1112年に建てられた。
26年ぶりのふき替えとの事で、約6万枚の檜皮(幅15cm長さ75cm)を使用し厚さは10cm近くなるとの事である。

 ちなみに興ちゃんが住む、姫路市網干区興浜にある金刀比羅神社の屋根は、明治25年に檜皮の葺き替えを行った記録がある。その後昭和26年の葺き替えは檜皮ふきではなく、銅版を張る屋根替えで今日に至っている。

  
すでに完成している軒先の部分。

        
左の黒い部分はまだ大丈夫なので葺き替えていないとの事。
古くからの伝統技法を守りながら、現在では軒の上に水切銅版を張り軒先の耐久性を高めていると、修理工事監督から説明があった。

        
使用材料である檜の皮ですが、この状態に加工されるまでには沢山の工程がある。

  
今日は横一列に並んで檜皮を張る作業を見学した。

        
檜皮ふきにはかかせない竹釘。
専門職人「竹釘師」により製造されている。
真竹を長さ3.6cm径3mmに裁断し、天日乾燥したあと焙煎するとの事。
見学をされた方は皆さんお土産にほしかったようですが、現場監督から貴重な材料なのでご遠慮下さいとの事であったが、興ちゃんは現場に竹釘が一本落ちているのを発見。あとはご想像にお任せします。
檜皮は30年~40年が葺き替え時期だが、この竹釘は傷みがないとの事。

        
水で濡らしておいた、檜の平皮を1.2cmほどの間隔で葺き重ね、竹釘を20~30本ほど口の中に含み、舌先で1本ずつ向きを揃えて選りだしては屋根金槌で打ち込んでいく。左手は檜皮を押さえ右手で竹釘を打つというこのすばやい職人技を見たかったのだ。  


市制百年記念町名選定碑

2008年07月06日 | 丸亀藩興浜陣屋

 

 姫路市網干区興浜の丸亀藩陣屋跡にこの石碑がある。

 表側の石碑の内容は、現在の垣内の中に点在していた、興浜・新在家・余子浜の3ケ村の小字が垣内自治会の中に入ったということだ。

 昭和50年代 網干区の大字に「垣内」が誕生
 昭和63年   垣内一帯に入り込んでいた、各の宅地を総括し「垣内」とする
               事に至る
 平成元年   姫路市より地名許可となり石碑の建立

 小字のふりかなは、田中早春先生の『姫路市小字地名・小字図集』を参考にした。

 石碑の中に喉ケ瀬と頓樋が旧余子浜字となっているが、田中先生の本では旧新在家字となっている。


姫路市網干土地区画整理組合作製 『網干区の字限図』より