興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

勲章で候

2011年01月30日 | 歴史散歩

  知り合いの方の家から勲章が出てきたが、何の勲章かわかりますかとの問い合わせがあった。

 珍しいのでちと調べてみた。ブログに使わせてもらっていいとの事だったので、掲載する事にした。

 タイトル写真は下の「支那事変従軍記章」の裏面である。右側から「支那事変」と書かれてある。

支那事変従軍記章:支那事変に従軍した日本軍人に与えられた従軍記章。
章は青銅製。
表面に菊の御紋・やたカラスに軍旗・軍艦旗が交叉し、背景に瑞雲と光。
裏面は山、雲及び波の図、中央に支那事変と刻印。
従軍記章(じゅうぐんきしょう)は日本が参戦した戦役・事変に関わった人物へ、これを顕彰するために日本国から贈られた記章である。
支那事変記念章令昭和14年公布。
昭和21年3月29日勅令177号を以て廃止。

   

日本赤十字社社員章

   

 
写真上の勲章裏側の文字は、明治二十一年 日本赤十字社とある。

勲八等白色桐葉章 
戦後に叙勲された日本の勲章のようだ。

   

 
この文字が読めなかった。残念で候。


金刀比羅神社 御祭神は大国主命

2011年01月02日 | 金刀比羅神社

 昨日、毎年正月に恒例としている、興浜金刀比羅神社の初詣と写真撮影に行った時、ばったり英ちゃんと出会った。

 ブログネタですか?との問いに、いい加減な答えをした。

 今日の朝雪が積もった金刀比羅神社の写真を写し、記事にしようと行ってみたが雪はなかった。「まる万」の稔君に聞いてみると陽が昇った時は金刀比羅神社に雪はなかったとの事。残念である。タイトル写真は今日の朝のものである。

 興浜金刀比羅神社を「こんぴらさん」と呼ぶ事に問題はないが、御祭神は「こんぴらさん」ではなく「大黒(だいこく)様」である。この事を書いてみる。
 
 興浜に鎮座する金刀比羅神社は安政七年(1860)四月八日に勧請されたと、魚吹八幡神社が氏子の神社を明治時代から記録している神社明細帳にある。

 本殿に祀られている御神体は①大己貴命(おおなむちのみこと)・②倉稲魂命・③(事代主命(ことしろぬしのみこと)・大國主命(おおくにぬしのみこと)
・④猿田彦命・⑤菅原道真・⑥(日本武尊・天照皇大神)が鏡で、⑦恵比寿(えびす)・大黒(だいこく)が木像でお祀りされている。いずれも金刀比羅神社西側の元丸亀藩陣屋跡に建つ陣屋門資料館に写真がある。

 もともとの御祭神は①大己貴であるが、大己貴命は大国主命の別名である。
③(事代主命・大國主命)についてであるが、事代主命は国主命の長子である。同じ御神体が祀られているのはなぜかという疑問がのこるが、興浜金刀比羅神社の御祭神は「大国主命」である。
 「大国主命」は、中世以降、インド生れの仏教の守護神である大黒天と習合し、「大黒(だいこく)様」と呼ばれるようになり、のちに民間信仰の七福神のなかの大黒様と同一視されるようになった。
⑦恵比寿・大黒が木像でお祀りされているのは七福神信仰からだろうか。

 大己貴は「神々の中でも最も偉大なる力を持つ神」という意味の神名であり、海陸安穏・五穀豊穣・万民泰平、国や人々に平安をもたらしてくださる神様だ。