一昨日の朝、興浜墓地の前を通った時の事である。
興浜墓地には明治30年に95坪の土地を寄附した村上瀧造氏の石碑と、昭和初期に火葬場を改築する為に大覚寺が500円を寄附した石碑が六地蔵さんの横に建っている。
いつかは記事にする為に何度か写真を撮っていたが風化が激しく全ての文字を解読できていなかった。
石碑は天候や見る角度、雨に濡れた状態等で読めなかった文字がふと読める時がある。
その日の朝陽を浴びた石碑を見た時、ふと車を止めて驚いた。
「一金五百円 大覚寺住職 孝橋真道」とある。
大覚寺において去年の春に檀信徒会館の基礎工事、今年の正月からは石畳や境内の整備工事をさせて頂き、それとタイミングよく大覚寺に功績があった渡邊鼎氏の事をこのブログで記事を書いている最中だけにこの偶然の出来事には驚いた。
さて、孝橋真道住職についてであるが、2月24日に投稿した、渡邊鼎その7新舞子での写真において唯一興浜在住者では無いのではと書いた方である。
この場を借りてお詫び申し上げます。
孝橋真道住職
『鶴立山大覚寺-本堂・観音堂・荒神社修理工事報告書-』によると
明治43年(1910)大覚寺38世正空真道上人入院、昭和13年(1938)12月9日寂とある。
まさしく正空真道上人は孝橋真道住職である。
この写真は大正14年に撮影されたものである。
左が渡邊鼎氏、右が孝橋真道住職
興浜墓地六地蔵の横に建つ石碑
僕もヒマがあれば見てますが、見えないのと難しい字でさっぱり読めないですね。
11,12日と興浜金刀比羅神社の春祭りですね。
貴殿のブログの金刀比羅神社の事ですが、刀の字が抜けています。
普通に変換するとそうなるのですが、これから気をつけましょう。
春祭りは一眠りしてから行きます、今日は夜勤明けなので…。