興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

金刀比羅神社 その12

2008年03月30日 | 金刀比羅神社

 改築記念碑

 大正3年から行なわれた、境内本殿部分の地上げと本殿改築事業の完成を記念して建立された『改築記念碑』大正6年10月の刻印で境内西側にひっそりとたたずんでいます。手前にある石碑は合祀記念碑です。この石碑に関しては後日に報告します。


右側奥にあるのが、改築記念碑

 

 

 

 解読してみましたが、数箇所くずし字が入っていました。
燈籠寄進の有志の方の名前も見当たります。いずれにしろ当時としては大変な事業だったことが伺われます。

 石碑の文字はきれいな文字ですが、揮毫はやはり小野周文さんでしょうか。


金刀比羅神社 その11

2008年03月23日 | 金刀比羅神社

 燈籠 その7  異体字の巻

 小生、6年ほど前より網干公民館の古文書学習会に通っている。
覚えが悪く他の方に迷惑ばかりをかけているのが現実である。
古文書解読は『くずし字』が読めるようにならないといけないのだが、その他に『異体字』なるものが登場する。小生は習い始めた頃よりどうもこの『異体字』が気にいっている。

 今回はこの『異体字』を興浜自慢の拝殿前の燈籠の文字から、勉強してみましょう。

 『異体字』を広辞苑で調べるとこうある。
異体字:漢字や仮名の標準字体以外のもの。とある。


東側の燈籠の西面     

 文字が解りやすくなる様に、チョークの粉をすり込んで写真を撮ったものです。

 右から、野(しおの)為吉  ・  塩木(しおき)佐吉  ・  (しおの)辰之助とある。
一番左は見(みの)仁右エ門とある。

 は塩の、は野の異体字である。それぞれ家によって使う文字が違っていたのか、それとも当時の方々の遊び心なのかは、これらの家の方に聴き取りをする必要があるかもしれない。


東側の燈籠の北面

 右から、松(まつしま)由太郎  ・  松(まつしま)猪之助  ・  本(まつもと)重蔵
前田半七 ・ 村(まつむら)三代吉 ・ 松(まつしま)蔵 とある。

 は島の、は松の、は滝の異体字である。

 ・柗・梥の三文字は共に松の異体字で、 島にはの他に嶌・の異体字もある。

 

 上の写真は、網干公民館の古文書学習会で講師をされている田中早春先生から
この文字が読めますかとメールを頂いた写真です。 
 先生からのメールでは『兼田の地蔵さん』と『北原の石棺仏』を探索に行かれた時の写真とあったので、その付近のものでしょう。
 
 答えは 献主 吉田徳松 です。

 最後の松の字がわからず、辞書を片手に考えこみましたが、松の異体字である『枩』を上下逆にした文字遊びであるとひらめいた事を覚えています。


室津海駅館へ

2008年03月16日 | 歴史散歩

    

 本日、たつの市御津町室津にある『室津海駅館』で行なわれた、
『歴史講座 朝鮮通信使400年記念講演』に行ってきました。

 『朝鮮通信使400年、それから~』
   講師:京都造形大学客員教授仲尾宏先生

 申し込みの時に人数制限があり、50人程度でしたが、結構遠くからも来られている方もおられたようで、朝鮮通信使に興味を持っておられる方の多さに驚きました。ここ1年間にNHKで2,3本の特集番組が放送された事も影響しているようです。仲尾先生は朝鮮通信使の研究においては有名な方のようです。
 あっという間の2時間でしたが、その中でメモを取った事を発表します。

1.朝鮮通信使について中学校では教えてもらった記憶がないような気がしていましたが間違っていませんでした。仲尾先生は昭和55年くらいから教科書に登場したとの事です。ちなみに今年中学校を卒業する次男の歴史の教科書を見ると、朝鮮侵略の事とは別に短いですが載っていました。『朝鮮とは、家康の時代に講和が結ばれ、将軍の代がわりごとに400~500人の朝鮮通信使が来る慣例となりました。・・・』とあります。

2.『唐人雁木』『唐人踊り』『唐人人形』など朝鮮通信使が日本に伝えた事が多い話もして頂きました。参加者の方のなかに実際『唐人人形』をコレクションされている方が持ってきて見せて頂きました。最後に朝鮮なのになぜ『唐』なのかという質問がありました。仲尾先生の答えは、江戸時代は南蛮人・紅毛人・唐人の3種類の呼び名しかなかった。南蛮人とはポルトガル人の事をその後西洋人の事を言った、紅毛人とは紅い毛をしたオランダ人の事を言った、唐人とは東洋人全般をと呼んでいたとの事。だから朝鮮人も唐人なのです。

3.唐辛子は19世紀に日本経由で朝鮮に入ったのではないか。だから唐辛子で赤くて辛いキムチの歴史は浅いのではとの事。調べてみると、秀吉が朝鮮出兵の時に加藤清正が持って行ったか、朝鮮通信使が持ち帰ったかの、どちらかだろうとありました。


金刀比羅神社 その10

2008年03月13日 | 金刀比羅神社

 燈籠 その6 西側の燈籠

 東側の燈籠 西面11名・北面13名・東面13名

 西側の燈籠 東面11名・北面13名・西面13名

 拝殿内の額にあるとおり、有志者74名の名前が刻まれています。

 今回は西側の燈籠です。




東面

 




北面

 




西面


金刀比羅神社 その9

2008年03月08日 | 金刀比羅神社

 燈籠 その5 東側の燈籠

  拝殿内の額には、有志者74名とある。

  その方々の名前が燈籠に刻まれている。

  今回は東側の燈籠に刻まれている有志者の名前を紹介しましょう。




西面
 写真ではわかりづらいが、寄附者の左側に小さくイロハ順とある

 




北面

 




東面


金刀比羅神社 その8

2008年03月05日 | 金刀比羅神社

 燈籠 その4   
                                              

    
       東側燈籠正面                   西側燈籠正面
       献燈はむつかしい字の獻燈

       
        東側の燈籠                西側の燈籠
                         

下の写真(拝殿内の額)が表す、大正六年十月建立の文字が刻まれている
    
実物はもちろん、写真で見てもわかるように石工の前川氏による見事な加工である
       

       


こもれび庵オープン

2008年03月02日 | 興浜新聞

こもれび庵(井口食品)オープン

 本日10時、姫路市網干区興浜南新町で『こもれび庵』がオープンしました。
開店前から行列ができていました。 

 やはりお目当ては井口食品のリーズナブルなお寿司のようです。
あっという間に完売で、僕は1個50円の柏餅を買ってかえりました。

 お寿司の他には、果物、惣菜、お菓子、切干大根がありました。

 若い頃大阪で橋を架けていた時、スーパーで『井口食品のお寿司』をみつけて、ふるさと興浜を思い出して食べた事を思い出します。
その時の味は今も健在のようです。


お店から南に100m行くと、興浜墓地がある為か、
お花屋さんとタイアップしてお花も売っていました。


また、お寿司の取材もして、商品説明ができればと考えています。

営業時間は10時から14時になっていました。

みなさんも一度行ってみてはいかがですか。