興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

渡邊 鼎  その5 山陽鐵道會社用地掛員

2009年01月10日 | 興浜偉人傳

山陽鐵道會社用地掛員の写真
鼎さんは前から2列目の中央
明治39年12月1日鐵道国有法二依リ政府へ山陽鐵道買収ノ結果山陽鐵道株式會社解散の時の写真
前列の方々がムシロの上にあぐらをかいているのがおもしろい。

鼎さんの写真には下のような説明書きが付いているものが多い。
もちろん鼎さん直筆のものだ。
非常に読みづらいが、後にこのように公開される日を予測していたのかと興ちゃんには思えてならない。
 


山陽鉄道株式会社解散ノ□ 建築課長上山準之助君並雑務用地両掛員 □□

 

今回も渡邊鼎直筆の履歴書より年代ごとに追ってみる(青字は履歴書から)

明治22年2月1日 七級書記 山陽鉄道会社々長中上彦次郎
同日 建築課勤務(雑務掛事務擔任)

山陽鉄道会社建築課に勤務でさらに雑務係りの事務を担任されたようだ。

明治25年10月27日 三原出張所在勤
静子さんの聞き伝えによると、山陽本線の敷設の用地買収に係わっていたようだ。近畿地方はもちろんのの事、西は広島県まで担当していた。鼎さんはこれからは鉄道の時代だと思い網干沿岸に是非とも鉄道を敷きたかったようだ。哀しいかな地域住民から反対があった。山陽本線は現在のように海岸線ではなく少し北を通る事になった。

つづく



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