興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

網干公民館主催歴史ウォーク 網干区浜田を訪ねて

2009年04月26日 | 歴史散歩

 今日の9時30分から12時まで、網干公民館主催の歴史ウォークがありました。

 今年は『浜田地区』をまわりました。
コースは順に本町橋→義徳院→道祖神社→西方寺→行者道→旧渡し場→東芝引き込み線跡→旧三昧場→龍門寺→水準標→火の見櫓跡→龍源寺→稲荷神社→不徹寺→恵美酒神社→林松寺跡でした。

 網干公民館古文書学習会の生徒が各場所の説明にあたるという事になっており、私、興ちゃんは『義徳院』『林松寺跡』の説明担当になりました。

 興ちゃん担当の『義徳院』『林松寺跡』を中心にいくつかを案内しましょう。


義徳院に到着


盤珪国師初湯之井戸があります。


盤珪国師誕生之碑


境内はきれいに掃除されていました。

義徳院
 山号仁弘山(にんこうざん)、寺号義徳院(ぎとくいん)は、盤珪禅師の生誕地です。
 
盤珪は徳川幕府が開かれてから約20年後の1622年に徳島から流れてきた儒医菅原道節の三男として生まれました。
 
11歳の時に父を失い兄に育てられました。
 その後日本各地できびしい修行をし、「不生禅」を説き、龍門寺を開祖したという事です。 


参加者は60名以上だったようです。


龍門寺


龍源寺

       
       不徹寺では竹内住職の話と甘茶・菓子の接待がありました。
       竹内住職誠にありがとうございました。


不徹寺境内

    
 片隅にある四ツ目結紋が入った瓦。ここは江戸時代興浜と同じ丸亀藩京極家の飛び地であった。


揖保川の風景を3枚


林松寺跡

林松寺跡
 
11年前の平成10年6月までこの場所には現在八十大橋西側にある林松寺がありました。
 
林松寺は行基上人の開基です。
 
約1300年前の奈良の大仏をつくった聖武天皇の時代に、薬師如来・聖観世音菩薩を奉ったのが縁起です。
 
その後菅原道真公が自ら松苗を植え置かれたとのはなしもあります。
 
浜田の郷土史には、大きな松が一本あって木の高さは18m余り、幹の太さは8mほどもあり、直径2m50cmほどだったとあります。またその松のそばに瓦屋根の古い祠があり天満天神が祀られていたそうです。その松が道真公の松だったかは今になってはわかりません。
 
ここはその当時播磨灘に浮かぶ観音島という小島だったので人々の往来が無く寺の荒廃は進み、衰退の一途を辿りました。
 
その後昭和26年の揖保川河川改修工事を契機に伽藍を再興したのですが、平成3年に再度の河川改修工事において道路拡張計画の範囲に入ったので、平成10年に移転したという事です。


法然上人800回大遠忌お待ち受け法要前日

2009年04月09日 | 大覚寺

  明日は大覚寺において、大法要が行われるようです。

 境内が整備され、ガラッと変わった様子をご覧下さい。

 タイトル写真は、放生池の底をコンクリートにしたあと、夕方新たに噴水をセットした様子です。


興浜が誇る平成の石工である「植大(うえひろ)」施工の京風庭園。

 

   
鐘楼の東に新たに設置された、興浜の小川画伯が描かれた境内の案内図。

  

  

 
 整備された境内に桜が満開です。

 


祝 檀信徒会館「明法殿」 竣工式 その3

2009年04月05日 | 大覚寺

  竣工式に出席させて頂いた時に、中西住職に質問した時の話を書いてみようと思います。

 お経を唱えられ参列者が焼香をした後、工事関係者の感謝状贈呈、長澤総代の挨拶、全員で万歳三唱、記念写真で式典は終ったのだが、是非とも阿弥陀様を近くから見て下さいと言って頂いたので興ちゃんは祭壇に近づいたのだが、ここでタイトル写真である「竣工之疏(しゅんこうのしょ)」と書かれた巻紙が目に入った。

 中西住職に何か質問する時は30年以上前、ここ大覚寺の学習塾「月影道場」で勉学を習っていた頃にタイムスリップする。先生と呼ぶ癖がいまだに直らず「先生この字はどう読むのですか。」と読めなかった疏(しょ)の文字を中西住職にたずねた。先生は昔と変わらず丁寧に教えてくださった。

 興ちゃん流に解説すると魚吹八幡神社でよく見る祝詞(のりと)のお寺版のようだ。

 「竣工之疏(しゅんこうのしょ)」とは竣工に際しての仏様への口上書のようだ。確かに住職は儀式の一番最初に声高らかに「竣工之疏(しゅんこうのしょ)」を奉読されていた。

 疏(しょ)を『広辞苑』で調べてみると
 箇条書きにして陳述する事。また、その文書。
 官にたてまつる文書。上奏文。とある。


祝 檀信徒会館「明法殿」 竣工式 その2

2009年04月02日 | 大覚寺

 会館のご本尊である阿弥陀仏は、放生池南側にある経堂の中にあった仏様で約400年も前のもので製作者は慶派の仏師のようです。

 修復され新たに金箔でおおわれた優しい顔は皆さん必見です。


祝 檀信徒会館「明法殿」 竣工式 その1

2009年04月01日 | 大覚寺

 

 

 去年の4月に大覚寺檀信徒会館新築工事の記事に書いてから早1年が経過した。

 去年の4月9日に10日が雨という天気予報が発表され、4月9日に桜吹雪舞い散る中で4月11日に行われる地鎮祭の整地作業を暗くなるまで行った事を思い出す。

 昨日の3月31日駐車場の整備工事の最終作業である舗装が終わり、夜の7時にライン屋さんが作業を終了して、境内の整備工事はギリギリで終る事ができた。

 本日、檀信徒会館の竣工式に社長と共に出席させて頂いた。

 仏式での式典は始めての経験でこの一年を振り返りながら感無量の一日であった。

         

 檀信徒会館は明法殿と名付けられた。

 「かつてこの境内にあった西明寺と法華寺から一字ずつ頂き明法殿と名付けた。」と中西住職から説明があった。

 詳しくは大覚寺のHPをご覧下さい。