興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

山本家住宅 (その8洗面所)

2017年07月25日 | 山本家住宅

洗面所をご案内します。
日本中探してもここにしか無いであろう、聚楽壁に埋め込まれた437枚の大和絵が描かれた貝が訪れた者を驚かせてくれます。
この大和絵が描かれた貝は、風聞では京都の美術商から購入したという事です。





離れ和室から洗面所に向かう時に突き当たる壁面にはステンドグラスがはめ込まれています。

このステンドグラスを洗面所内部から見たのが下の写真です。

洗面台は大理石を使用し、洗面部分は綺麗なマジョリカタイルが貼られています。
窓ガラスは、結霜ガラスです。


天井は、最も格式の高い、折上格天井(おりあげごうてんじょう)を照明の部分のみに施し、いっそう不思議な空間として演出されています。

 

鏡の枠は、桑の木を使用し、鏡の受けの部分は高級銘木の黒柿です。
このように、洗面所にまで素晴らしい手法を取り入れ、お客様をもてなす主人の心遣いが感じられます。

鏡の横のロウソクは電球が付くようになっています。

 驚くばかりの洗面所です。見学に来られた時はじっくりとご覧ください。

協力:網干歴史ロマンの会・あぼしまちボランティアガイド
    銘木関係:原匠江尻店長

※山本家住宅を見学された方はご存じのように、立ち入り禁止箇所からの写真が掲載されておりますが、山本家住宅を管理しております「網干歴史ロマンの会」の了解を得ております。見学の際は調度品等を傷めるケースがありますので、赤い絨毯部分のみからの見学にご協力をお願い致します。

※山本家住宅は、第1、第3日曜日の10時00分~16時00分に公開中です。


山本家住宅 (その7ステンドグラス・浴室)

2017年07月19日 | 山本家住宅

洋館部分の”応接室”・”書斎”と和室部分である”離れ和室”の動線上に水廻り関係の”お手洗い”・”浴室”・”洗面所”があります。
”お手洗い”を過ぎて天井を見上げると、おしやれな六角形のステンドグラスが現れます。
天窓(トツプライト)からの自然光を取り入れる構造となっています。
当時としては斬新なアイデアだったと思われます。
自然の光でぬくもりを感じる事が出来るようになっています。
この家を訪れたゲストの皆さんを驚かした事でしょう。
暗くなれば電球で明かりが点くようになっています。


(その5書斎)で山本家のステンドグラスは、大阪の宇野澤ステンド硝子製作所が製作したようです。と書きました。
この事については、ステンドグラスについて調べておられる方からも連絡が有りましたし、これから間違い無く明らかになる事でしょう。
再度説明を記載します。

※明治23年宇野澤辰雄がドイツ留学より帰国。帰国後東京でステンドグラス製作を開始。
  明治39年宇野澤ステンド硝子工場設立。(宇野澤辰雄・辰雄養父宇野澤辰美・別府七郎・木内慎太郎)
  大正5年木内慎太郎 大阪末吉通り4丁目に宇野澤組ステンドグラス工場大阪出張所を開業。
この木内慎太郎氏の作品でしょう。
舞子ホテル(旧日下部久太郎別邸)に山本家住宅と同時期に製作されたステンドグラスがあるので掲載しておきます。

          『舞子ホテルHP』より 

天窓(トツプライト)のステンドグラスがある廊下の横に浴室・脱衣場があります。
床と浴槽が大理石で造られています。
見あげて頂くと天井も素晴らしいつくりとなっています。

浴室の天井は、和風建築のシャンデリアとも呼ばれる唐傘天井(からかさてんじょう)という珍しい天井構造になっています。
唐傘天井は、古い旧家に今でも見ることが出来ますが、その技術を伝える人が少なく、新しく家を建てる際に取り入れることは殆どなくなってしまいました。昔も、庄屋・旅籠と言った、上層階級の人が住む家や、高級な旅館でしか取り入れられず、高い技術力が必要とされました。

中央の電球が付いたところから湯気を排出していました。
大理石でできた浴槽を良くご覧下さい。
現在は外で沸かした湯を循環させる構造に変更されていますが、当初は循環させる孔はあいておらず、使用人が外で湯を沸かして左側の扉から運び込んでいたそうです。温かい風呂になるまでは相当な時間がかかったそうです。

床は大理石・腰部分はタイル・壁の板は高野槇が使われています。

脱衣場より浴室の扉を閉めてご覧下さい。
扉の取手部分が黒く輝いています。ここにも高級銘木の黒柿が使われています。

浴室の扉のガラスと脱衣場の窓のガラスは「結霜ガラス」です。

天井をご覧ください。脱衣場の天井は、格天井になっています。

 

協力:網干歴史ロマンの会・あぼしまちボランティアガイド
    銘木関係:原匠江尻店長

参考文献:日本のステンドグラス宇野澤辰雄の世界(白楊社)

※山本家住宅を見学された方はご存じのように、立ち入り禁止箇所からの写真が掲載されておりますが、山本家住宅を管理しております「網干歴史ロマンの会」の了解を得ております。
見学の際は調度品等を傷めるケースがありますので、赤い絨毯部分のみからの見学にご協力をお願い致します。

※山本家住宅は、第1、第3日曜日の10時00分~16時00分に公開中です。


山本家住宅 (その6廊下・お手洗い)

2017年07月15日 | 山本家住宅

応接室・書斎の洋館から和室への動線部分の廊下のしつらえも見所となっております。
タイトル写真は、大正期独特のゆがんだ窓ガラスで、いま日本では作られていない貴重なものです。
桟も一つ一つ面取りをして、高級な仕上げとなっています。

明治時代に本格的に導入されたガラス戸は近代和風建築の重要な要素です。
ガラス戸越しに見える風景が新時代の風景であったのでしょう。
ガラスの表面の凹凸のせいで歪んで外の風景が見えます。
桟木と共にガラスも面取りされており、建具職人の丁寧な仕事がみられます。

天井も曲線に加工されており手の込んだつくりとなっています。


これからこのブログで御案内する部屋においても、建具・表具・天井のつくり・床の間のしつらえ等、全て違った仕上がりとなっておりますので、注意深くご覧下さい。




お手洗いですが、便器とタイルについては、当時のものでは無いと思われます。
陶器でできたスリッパの形をしたものは、男性が用を足す際の立ち位置を示すもので、これを履いて歩く事は無かったと思われます。


現在貼られているトイレのタイルは修復された一般的なタイルですが、(その8洗面所)で紹介する予定の洗面所等に貼られているタイルはマジョリカタイルという金型で花柄など凹凸のレリーフを施したタイルで、筆で一色ずつ数種類の色釉を載せるなど製造に手間のかかった装飾タイルです。文政年間に淡路島の南端、現在の南あわじ市で賀集珉平翁が始めた珉平焼を継承したというタイルメーカーの淡陶社(現ダントー(株))は日本で最初にマジョリカタイルを製造した会社です。『株式会社DantoTile』HPより

ですので、元々はこのトイレもマジヨリカタイルが貼られていたと思われます。
何かの理由で剥がされて貼り替える事になったのでしょう。
一連のシリーズが終了後、マジョリカタイルと大正時代の網干の建物について報告できればと考えています。
お楽しみに。

この山本家住宅は大正時代のいろいろな物が残されていますが、大正時代のガラスの代表と言っても良い「結霜ガラス」がたくさん残されています。まず、このお手洗いに登場です。山本眞蔵氏がお気に入りだったのでしょうか。これからも紹介していきますのでお楽しみに。

【結霜ガラス (けっそうがらす)】
(グルーチップグラス・Glue Chip Glass、フェザーグラス・Feather Glass)
すり硝子の上に膠(にかわ)の水溶液を塗り低温で加熱すると、収縮した膠がガラスの表面を削り取ることを利用した硝子です。
剥離したように削られた部分が透明に、その他が曇りガラスの状態で、結果、全体にシダのような、また鳥の羽のような模様がまるで「ランダム」にできます。
結霜ガラスは20世紀の初め、大正中期から昭和初期に多く使われました。
現在の型板ガラスの前身で、後には模様の付いた雌型を硝子にプレスして模様を付けるようになります。
明かりを採りつつ、見えそうで見えないガラスはこうしてできあがります。
当時日本のガラスの厚さは2mmと薄いのも特徴です。

協力:網干歴史ロマンの会・あぼしまちボランティアガイド

※山本家住宅は、第1、第3日曜日の10時00分~16時00分に公開中です。