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ハイサイ!! うちなぁぐち vol.4  比嘉光龍

2009年04月20日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん



 前回は、私の生い立ちを書きましたが、今回は私の現在の活動について書きたいと思います。
 光龍さんは普段何をやっている方なの?と質問をされることがあります。それには「唄三線者です」と答えます。聞きなれない言葉かもしれませんが、要するに、「うちなぁ(沖縄)」の三線を使い、「うちなぁぐち(沖縄語)」で唄を歌う。そういう人をちまたでは、「民謡歌手」と言っています。
「民謡歌手」という言葉には、少し抵抗があるので、造語ですが「唄三線者」と言う言葉を作ってみました。
 三線に始めて触れたのは24歳、うちなぁの唄を歌って行くうちに、言葉の意味、唄の歴史、ひいては、うちなぁの歴史にも興味をもつようになりました。そして、うちなぁの歴史を深く知れば知るほど、悲しい過去の事実を知ることになりました。例えば、1609年に薩摩が琉球を侵略したとか、1879年に日本が琉球王国を滅ぼしたことなど。
 それからは、うちなぁの独立うんぬんも考えたこともあるのですが、独立運動と言うのは、国とか国家などという概念に捉われてしまう感じがし、私には重すぎます。それよりは日本という国家の枠組みにいながらも文化的独立を果たせれば良いのではと考え、現在ひたすら「うちなぁぐち(沖縄語)」の普及、講義講演活動にいそしんでいます。
したがって、私は基本は唄三線者ですが、その他に、現在5つの顔をもっています。
1・ラジオ沖縄「民謡の花束・光龍ぬピリンパラン日曜日」のラジオパーソナリティー
2・琉球新報や沖縄タイムスにてうちなぁぐちのコラムを執筆。琉球新報で書いたものがhttp://ryukyushimpo.jp/news/storytopic-129.htmlで読めます。
3・うちなぁぐちの講師を大学(ドイツの大学でも教えてきました)や、現在は那覇市にあるウェルカルチャースクール(http://www.well-culture.jp/pages/course02-24.html)で教えています。
4・老人会や各種団体、企業や大小色々なイベントなどで、唄三線と「ゆんたく(トーク)」というスタイルで講演をしています。
5・結婚式や「年日(とぅしびー)」、つまり「生年祝(せいねんいわい)」の司会業もつとめています。




写真は、結婚披露宴後、新郎新婦と記念撮影したもの。2人はプライベートでも知り合い。私が結婚式の司会をつとめることを知って、お願いされました。


text:比嘉光龍





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2 コメント

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Unknown (coco)
2009-04-20 17:59:23
なるほど。
そして、光龍さんがうちなーぐちのエキスパートとなったのはどういういきさつで???
こんどはぜひ、そのあたりのお話を!

ところで「光龍」というステキなお名前は本名なのですか?
コメント御拝(にふぇー)でーびる (光龍やいびん)
2009-04-22 09:16:07
うちなぁぐちの研究にいそしむようになった理由ですか、分かりました。ネタ提供御拝(にふぇー)でーびる(笑)次回はそれについて書きますので是非、読んで下さい。

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