裸のヤコブ

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【S】 small axe

2006年09月26日 | small axe

 丹波哲郎氏が死後の世界へと旅立ったということを気にする人もいる。幼稚園児の散歩中に車が突っ込み、2名の幼い天使が空に舞い戻っていったことも大問題だ。そして安倍晋三政権。今日はちっぽけな斧が大木に立ち向かってみようと思います。(こんなカテゴリーなのにまじめな話ですよ)。お題は「教育」。





 安倍晋三氏の、政権公約の柱は教育改革。その改革の中で英国サッチャー政権の過激な学校作りを模倣しようかな…と考えているらしいのです。サッチャー政権時代の教育っていうのを簡単に書くと、学校の独自性を廃し(国が管理)、国の権力の元、学校を調査し、学校の評価を公表…というもので、その結果「基礎学力の低下」「教育機会格差の拡大」「退学者の続出」「彼らによる犯罪の増加」という結果をたどっていったらしいのです(いろいろなところに書いてありましたが、因果関係については調査中)。なんだか、今現在の“学校=子供たちの現状”とあまり変わらないように思えますよね。このような状況をイギリスの真似事で切り抜けられるとは到底思えないのです。イギリスではサッチャー時代の反省を元にブレア首相が社会保障費を削ってまで教育予算を3割増やし、「落ちこぼれを出さない教育」に力を注いでいるそうです。


それなのに!です。


 入閣が確実と思われる某政治家は、あるTV番組でこんなことをのたまっていました。

「公務員、特に教師の給料を大幅に削減すべきだ!」と。

 そこで終われば「何だと~!」と攻撃の対象になるのですが、そこが政治家!「削減した分を子供達のために使うようにしなければならない!」と逃げ口上をしっかりと用意していたのです。これを見たあまり真剣に子供達の将来を考えていない親達は「そうだそうだ!先生なんて給料泥棒なんだからその分をうちの子達に使ってよ!」などと思ったことでしょう。

こんなことで良いのでしょうか。

 私はこう考えるのです。真剣に子供たちのことを考えるなら、教育はとても大切だと。その教育を担うべき先生の給料を減らすと、なりたいと思う人が減っていき、結局、教師に“しか”なれなかった人が子供を教えるようになるのです。採用される教師全員が無能だといっているのではありませんが、そうなると当然全体的な質が落ちてくるのは目に見えています。現にバブル期には「バブル採用」と言われるようにあまり苦労せず教師になれた人が多いらしく、その結果がTVで騒がれている学校(教師)問題につながっているじゃないですか。

 北海道では何年も前の「食の祭典」の大赤字や、新幹線の建設のための赤字がかさみ、北海道職員(教師を含む)の給料が大幅に削減されているそうです。しかも一人年間100万円近く。

 こんなので良いのでしょうか。これが「日本を大切にする」政策なんでしょうか。金を目的にした人材が良いというのではなく、有能な人間を集めるためにはある程度優遇しても良いのではないか言いたいのです。教師に“しか”なれなかった人にではなく、どうしてもなりたかった人に子供たちを任せたいな、と。

 昔、ある有名小説家が書いた本(雑誌かな?)で読んだことがあります。ロックは「学校なんてくそ食らえって音楽」で、レゲエは「学校を作る音楽」だと。これはジャマイカのラスタマンが学校を自分達のお金で作って、できの良い先生を雇って子供たちに勉強を教えてもらっている、という事実を受けての発言だったと記憶しています。映画「ロッカーズ」の中でもホースマウスが「教育は大事だ」と言っていたじゃないですか!


 子供たちに光を与える。いや、子供たちに光の見つけ方を教えてあげることが教育ではないのですか?政治家の皆さん。



ONE LOVE