裸のヤコブ

・・・ ・・・・

【S】 small axe (2)

2006年10月31日 | small axe

 なんだか臭い。嫌なにおいがする。煙草を吸わないことで嗅覚が冴えているからではないはずだ。確実に、嫌なにおいが立ち込めているのだ。


まず、最近加熱しているいじめによる自殺の問題。


ここより画像をお借りしています。
問題があればご連絡ください。



 あやふやで信頼されるわけがない学校側の対応は攻撃されるに余りある情けない動きだ。中でも岐阜県の中学校2年生女子の部活内いじめについては、学校側の証言が二転三転するなど、遺族の側からしてみると「いいかげんにしろ!」と憤りを隠せない内容だろう。


 
しかし、なのだ。毎日のマスコミの報道を見ていると、なんだか違和感を感じるのだ。

     学校の対応がまずい!
     どうして学校はいじめの事実を隠したがるのだ!
     いじめがあったことを素直に認めたらどうなんだ!
     こんな学校の体制になったのは何が原因なんだ?
    (暗に教育基本法のことを言っている場合が多い)

などなど…

 
報道の、マスコミ人の心の奥底に、「子供達を大切に思う気持ち」があるのだろうか。子供達、あるいは学校と直接対峙している家庭にとって最良の方法は何なのかという一番大切な部分が欠落したまま、ただ問題を大きくするような報道に終始しているように思えるのだ。

 
 
いじめを容認するわけでもなく、いじめられた(られている)子供達を突き放すような考えでもなく、純粋にいじめに憎しみを持つ一人の親として言わせてもらうと、「いじめがあったんだから素直に認めろ!」との報道を、遺書に名前のあったいじめを行っていた子供ならびにその親はどんな思いでそれを受け止めるのだろうと考えてしまうのだ。まともな親なら「うちの子があの子をいじめて死に追いやってしまった…」と真剣に考えるだろう。おかしな親なら「学校が悪いからうちの子があんなことをしてしまったのよ!」と責任転嫁するのかもしれない。そうなることが、これらの問題を解決する最良の方法なのだろうか。学校側に対して「世論」という正義を振りかざし、恐怖政治のような方法で「いじめを無くそう」という学校としてのスローガンだけ立てさせること、それがいじめを根絶やしにする最良の方法なのだろうか。



私はそうは思わない。



 
いじめをはじめとした人間関係のトラブルを解決するには、もっともっとハートフルな教育が必要なのではないだろうか。いや、教育という“くくり”ではないな。ハートフルな世の中、大人達の関係が温かいものにならなければならないのだと考えているのだ。何かあると必要以上に問題視され、マスコミに「世論」と「報道の自由」をたてにいじめられる世の中。それを「正義」だと胸を張って言うマスコミ人。「は?」である。


 
しかも(ここからがにおいの話になってくるのだが)、今の学校の問題がここまで大きく取り扱われているその後ろに、政治的なにおいがするのだ。表向きの正義の裏に、政治の黒い影が見え隠れするのだ。安倍内閣の大きな方向性の中に「教育基本法の改正」というものがある。あの「愛国心」を取り入れるか取り入れないかとかで話題になったものであるが、2005年1月の新聞に改正案原案が掲載された当初は、唐突な改正案ということでかなりの反発もあったように記憶している。しかし、最近になって、いや、安倍内閣発足後、「学校がよろしくない状況になっているんですよ=何か手立てをこうじないと大変なことになりますよ=ほ~ら、改正した方が良いでしょう!」的な流れを感じるのだ。そうじゃなければ、ここ最近の学校問題の露呈はタイミングが良すぎるじゃないですか!いじめに限らず、高校の履修科目の話であるとかも含め。


 
教育基本法改正については、私個人まだまだ勉強が足りないので「絶対反対!」と声を大にして言うべきではないと考えている。しかし、改正するにせよしないにせよ、その法律にとっては「子供達が主人公である」と言う考えを持って話し合いがなされるべきだと思うのだ。




 
いつの時代も、大人の勝手な都合に振り回されるのは子供達だったりするのだから…。





 
自戒の意味もこめて。



ONE LOVE



追記:皆様からのお言葉のおかげであいかわらず離煙は続いております。ありがとうございます。(今日で3週間です)


【あ】 意志の強さ(2)

2006年10月26日 | ある日の戯言

  こんなのを作るのも
       気を紛らわすため・・・


 すごいことになっている。まるでTVなどでよく目にする薬物中毒患者の浄化プログラム中の患者のようだ。煙草って思っていた以上にすごい奴らしい。だてに長い歴史を持っていないんだな。キーボードを打ちながらも意識の統一がない状態で、集中力のかけらもない。文章もおかしいのかおかしくないのか判断さえもつかない。まぁ、そんな状態の文章もあとから読むと笑えるだろうと思いながら、何かの気を紛らわすために打っているような感じだ。



禁断症状・・・。初めての体験。この苦しさから考えてもやはりナチュラルじゃないものなんだな。生えている植物に薬をかけているだけのことはある・・・。



 離煙を始めたきっかけは(1)のときに書いたとおり「どれだけ意志が強いのかを確かめる」という、いたって単純な動機だ。まぁ、その前から健康のことや家族のこと、自分とレゲエとのスタンス、食と自分とのかかわりなどなど、煙草との付き合い方を考えてはいたのだが。自慢できるような理由ではないながらも、離煙してみてわかったことがある。それは今までの自分は「ニコチンの奴隷」だったということ。そして今も。間違いなく今も“奴隷“である。

 吸煙しなくなってから2~3日。まず眠い。そして頭にもやがかかったかのような、人と接していてもその間に透明な幕があるような感覚、それが始まった。この間はタバコが吸いたいという肉体的欲求にかられていたが、単純に「吸いたい」と思うだけである。自分にとってかなりつらかったが、今思うと鼻くそみたいなものである。ガムをかんだり、何かを飲んだり、気を紛らわすことで「吸いたい」のをごまかすことができた。その欲求をごまかし続けていると、今度は”休憩時間”を欲するという欲求が出てきた。仕事をしていても、家で子供と遊んでいても、喫煙を吸うという5分間は「自分の時間」を確保することができたのだが、それを24時間毎日毎日放棄してしまっているという事実、その事実を受け入れることができないのだ。煙草を吸っている人は吸わない人よりも仕事量が少ない=休憩時間が多いと思う(自分比)。

 そんな感覚も、1週間が過ぎるころにはだんだん薄れ「意外と簡単じゃないですか」と勘違いしそうになっていた。「ニコチンの奴隷になんてなるもんか!」などと偉そうに意見していた。吸いたいと思う欲求もそこまで強いわけでもなく、休憩時間が少ないのにも慣れてきていた。友達が煙草を吸っているのを見てもなんともなかった・・・はずだった。


 しかし、現実はそう甘いものではなかった。風邪をひいたこともきっと大きいのだろう。薬を飲んだことも。そして、仕事中の大きな怒りも引き金だったのかもしれない・・・・


(いつかどこかへつづく)





ONE LOVE

【あ】 ビバ!ぶどう狩り!・・・の、はずが・・・

2006年10月23日 | ある日の戯言

 仁木町(余市町のそばにある町:札幌から車で1時間半くらい)の、友人の一族が所有する果樹園にぶどう狩りに行ってきました。土曜日から1泊2日で。この日、友達が集まるのが夜ということで、我が家では夕方に出発し、小樽で少し遊んでから仁木町へ入りました。夜ということもあり、果樹園内のバンガローに一泊してから翌朝さわやかな光の中ぶどう狩りを…の予定でしたが、近頃の北海道はかなりの冷え込みを見せ(今日でさえ、札幌の予想最高気温は10℃!)、果樹園に霜が下りそうだということで、我々が到着する前に全てのぶどうの収穫を終えてしまっていたのでした。残念。


ナイヤガラ?


巨砲?


よくわかっていませんが
こっちの方が大人の味で好みでした。
皮の裏の、あのおいしいところの味がするんですよ。


 しかし、さすがに現地で食べるぶどうはおいしく、濃厚な香りが口から鼻にかけて広がっていきます。幸せ。しかも、昨年は車で日帰りだったため口にすることができなかった『ぶどうサワー』を口にすることができました。とりたてぶどうを一房半、絞り器でジューってやって、それを焼酎に加えてハイ完成!といったシロモノ(写真にあるように2種類のぶどうの味を楽しみました)。激ウマです。贅沢です。酒を濃くしてもぶどうの味しかしないくらい香り豊かです。

 最高の数杯をいただきました。


ダッチオーブンで作った海老・ピラフ。激ウマ。


泳ぎだしそうなさんま。朝食。残念ながら見ただけで終了。

 が、実は昨晩から風邪気味で体調が悪かったのです。それに加えてこの寒さ。薪ストーブは心まで温めてくれるほどになってはいても、やはり風邪菌にやられた身体は抵抗力が弱まっているらしく悪化の一途をたどっていったのでした。


見たことありますか?薪ストーブ(上から)


見たことありますか?薪ストーブ(正面から)


やったことあります?
寝る前にフットバス。気持ちが良い。

 翌朝、すがすがしい朝の光に照らされて目を覚ますと、昨日はなかった頭痛が!やはり悪化してしまいました。友人達との楽しい朝食も、近くにある激ウマパン屋さんへ行くのもキャンセルして、ずっと布団の中にもぐりこんでガタガタ・ウトウト・ゴホゴホしていました。吐き気以外の風邪の症状が全員集合したこんな状態で札幌まで運転できるのだろうか…と思いながら寝ていたのですが、ちょっと薬が効き始め、楽になってきたので、これを逃す手はない!と即行で友人にお礼と謝罪とをすませて帰途についたのでした。無事に帰ってきた後は日曜日だったので当番医をしらべて病院送りに!注射と薬でやっとおさまったのでした。

 《この場を借りで…みんな、心配かけてごめんね。大丈夫だったよ。次に会う時はフルパワーでいけるように体調を整えておきます。本当、ごめんなさいでした。》



追伸:札幌でも「なんだか多いなぁ」と思っていたカメムシ。仁木町で大量発生!外が寒いせいか中に入ってくる。明るいところに集まりたがっているようで、ある部屋の蛍光灯にびっしりととまり、飛んではスイッチの紐にしがみつき、上まで上がってはまた飛んで、の繰り返しを何十匹というカメムシが行っている。かれらの遊園地になったかのようだった。朝になると、半数ほどが死んでいたが・・・・


 皆様のおうちのそばでも、亀ちゃんは大量発生していませんか?あ、虫が嫌いな方は、この後の写真は見ないほうが良いですよ。大丈夫な方だけどうぞ。




















































こんなもんじゃないんですよ!
陰にいるのが上手に撮れません。


リアル!よく見ると唐揚げででてきそう…タイの田舎で。


ONE LOVE


【あ】 意志の強さ(1)

2006年10月19日 | ある日の戯言


 日本のアイタル・フードについて書いたことを覚えているでしょうか(10月6日付け)。菜々ごはんとか。最後の「煙草はやめなくちゃ」という文章とか。あのブログについてコメントをいただいた中に「いやあ、さすがに食についてもいろいろ考えておられるんだんあと感心して読ませていただいたところ、あ、なんだ、まだ喫煙習慣をお持ちの方でしたかと、若干の拍子抜けなどしてしまいました。そりゃ、やめたほうがいいですねえ、タバコ。」というマリーナ号さんからのありがたいものがありまして、それに対して「意志が弱いわけじゃないんですけど、まだそこまでの意思を持てずにいるってことですね。」などとお答えしたのです。で、そのコメントを打ちながら「自分は本当に意志の強い人間なのだろうか…口ではなんとでも言えるが、本当のところ、どうなのだろう…」などと哲学をし始めてしまったわけです。そして意志が強いと言い張った自分に与えた課題が、『意志の強さでどれだけ煙草を我慢することができるか』だったのです。世の中ではそれを禁煙と呼ぶ人もいますが、自分はそういうつもりじゃないのです。結果的にそうなったらラッキーですが、ポイントは煙草を止めることではなく、意志の強さを確かめることなんです。


 結果から言いましょう。
 9日間、吸っていません。(今日で10日目です



 もともと吸わなくてもいい人だったんでしょう? いえいえ。1日最低ハイライト1箱半を吸う(ハイライト歴は15年以上でした)、一般的なスモーカーが年齢と共にきつい煙草がきつくなり、最近はハイライト・メンソールを1日一箱程度たしなむような、そんな人だったんです。海外に行くのは好きですが、そこにたどり着くまで煙草を我慢しなくちゃならないのが耐えられず、トランジットの空港では中学生のようにトイレに隠れて吸ったりするような、そんな男だったんです。だからアメリカから帰ってくる時なんか大変です!そんな感じなものですから、今これを書いていても吸いたくなってきます。DR.ZEEさんの18日のブログを見ても吸いたくなっちゃうのです。

 意志の強さを確かめるためですから、煙草をどこかに捨ててしまうことはしません。持っている煙草を吸い終わってからというのでもありません。灰皿も吸殻が残ったままの状態で、まるで時間が止まったかのようにしています。車に乗ればすぐ左手の届くところに煙草とライターと灰皿、自分の部屋には机の上に煙草と灰皿と空気清浄機とライターいっぱい、職場の秘密の場所にも煙草セット…。この状態で「吸わない」と決めた心だけで離煙しているのです。


 本当に吸わなくても大丈夫な状態になったら(もしかしたらもうちょっとしたら)、詳しく日を追って「煙の誘惑」をレポートしてみるつもりです。きっとそのときは“かなり偉そうに“書くことでしょう。

 最後に、何度も書きますがこれは禁煙ではありません。意志の強さを証明するためのものです。ですから禁煙したい方は参考にならないと思います。




追記①/意志の強さを自慢しているように見えますが、それは煙草を吸いたいと思わなくなるまで続けられたら「自慢しているんです!」と認めたいと思います。今認めても、結局煙草を吸ったら「誘惑に負けてるじゃないですか!」と言われちゃいますからね。もうひとりの自分に。

追記②/resource_martさん、ごめんなさい。同盟を組まずに「離煙」しております。




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【あ】 新しいお友達

2006年10月18日 | ある日の戯言
 独りでアコースティック・ギターを爪弾く。なんて優雅な時間なんだ。しかし、その実親指の爪は酸素透過性ソフトコンタクトレンズのような状態になってしまっていた。保護するためのコーティングもあまり役にはたたない。「これがサムピッカーの宿命さぁ」と気取っていた。



 きっかけはやはり、ローリン・ヒルのMTVだ。あの弾き語りライブを見て以来、ナイロン弦の優しいサウンドに魅了されていた。自分の声との相性は自信がなかったが、とにかくあの優しい音を奏でてみたいと思っていた。心の中では親指の爪の削れ方もだいぶ緩和されるだろうな、と打算的な思いもあったことは否めないが…。そんな思いを持ち続けていたのだが、先日とある中古楽器屋さんで出会ってしまったのだ、これに。


Ovationの6773。






  さすがにOvationだけあって、あの音だ。高音に特徴のある、あくまでも生の音に近くない、あの音だ。Ovationの鉄弦の音はレゲエの音源の中でよく耳にするが、ナイロン弦は聞いたことがなかったが、やっぱりあの音だった。でもサウンドがどうたらとか、あの丸いバックが弾きづらいとか、そんなことはどうでも良かった。「持ったときのネックの感触がとてもよかった」の1点に尽きる。それが購入の動機だ。購入といっても、手持ちの70年代のギター(買ったはいいがライブで使うことなく終わった、不幸なギター。当時のバンドの中では使いづらい音だった。)+αでの物々交換に近い形での入手だった。 最近家ではこのギターしか弾いていない。優しい音だ。



 まぁ何はともあれ、「やっぱり中古だろうが、新しいギターを手に入れるのは何だか気持ちが良いな」と何年ぶりかに実感したのでありました。



新しいお友達の話。




ONE LOVE

【あ】 七五三と観覧車

2006年10月16日 | ある日の戯言


父ちゃん…汚い…

 雨の予報にもめげず、行って参りました、七五三。今までこれ系のイベントには無頓着だった私だが、娘のかわいい写真は欲しいというのが親と言うもの。場違いと思われる場所へ行くことにしたのだ。

 写真屋さんの営業開始の朝9時に着物の着付けを予約していたにもかかわらず、「下手すると着たい着物がなくなっちゃうかも…」の心配もあって8:30ころ到着。しかしお店の人も慣れたもので早速着付け開始。この日の1番手となったのでした。残念だったのは写真の時よりも選べる着物が少なかったこと。まぁ、タダで借りられるものなんで仕方なし。

 着付け後、この町一番の大きな神社へ。きっとどこでもやっているだろうとは思ってはみても、実際じゃぁどこでと考えた時にやっぱりここになりました。さすがに朝一番だけあって駐車場への入場もスムーズ。大型バスで外国の方(おそらく台湾かと…)が観光に来ていて、写真をとられまくるわが娘。「まぁ、着物を着ている女の子の写真はめったに撮ることができないだろう。たくさん撮ってくれたまえ!」などと偉そうな気分に浸りながら受付を済ませ、しばらく待ってから儀式が始まった。特にこれと言って特別なこともなく、千歳飴をもらって終了。千歳飴。中はレインコートとスティッチのノートと、絵馬と…そしてペコちゃんの、あの、長いミルキー2本。ちょびっと興ざめ。ミルキーって…。



 晴れ男・晴れ女夫婦の力か、神社に向かうあたりからぽつぽつと降っていた雨も上がり、日差しが顔をのぞかせはじめるというおまけまでついて、七五三も終了。着替えを済ませて、かねてから気になっていた繁華街のビルの屋上に設置されている観覧車へと向かった。「まぁ話の種にいってみるべぇ」程度の心構えで。(ノベルサ。それが観覧車を支えている商業施設の名前らしい。)




NORBESAのホームページより引用
 「ノリア(スペイン語:観覧車)」は、直径45.5M、地上78Mにも達する札幌初の屋上観覧車。緑に囲まれた、美しい札幌の街並を遥か遠くまで見渡せます。ゴンドラは全部で32台、1周の所要時間は約10分。定員は4名様なので、お一人様はもちろんのこと、グループでもお楽しみいただけます。またゴンドラは全てバリアフリー対応ですから、車椅子のままでのご乗車も可能です。寒さに備え、ゴンドラ内のシートはヒーターを完備。これからの季節、暖かな空間で地上へと舞い降りる雨や雪の様子を眺めるのもお勧めです。ぜひノリアにて北の大地、札幌の空中散歩を体験してみませんか。




 娘はどんな状況でも外を眺めて大騒ぎ。こっちのシートからあっちのシート、こっちの窓からあっちの窓へ。しか~し、我々夫婦は違った。そもそもこの夫婦、高いところは嫌いじゃなかったはずだった。小樽マイカルの観覧車でもぜんぜん平気。それが沖縄・北谷のアメリカンビレッジの観覧車に乗ったときから、高いところが苦手になったような気がする。何かがあったわけではなく、それは突然…「怖いかも」と思っただけだったのにそれ以来ダメな時があるのだ。この日、この観覧車をなめてかかっていた。外から眺めた観覧車は、意外と小さく見えたからだった。しかしそれは、ビルの屋上にあるということを忘れていた。


噂の沖縄・北谷の観覧車



観覧車から大通方面を。


細長くとがっている赤いのがTV塔

 10分間がなんと長かったことか。特に真上に行くまでの、いや、真上からちょっと下り始めるあの瞬間まで…。


 高いところが大丈夫な方は、札幌にお越しの際はぜひここに足をお運びください。TV塔なんかに上るよりもはるかに気持ちがいいですよ。それから、数あるゴンドラの中にひとつだけ幸運の黄色いゴンドラがあります。どんな幸運に恵まれるのかは…来てのお楽しみですね。


ONE LOVE


【R】 アコースティックなレゲエ(3)

2006年10月12日 | REGGAE
 LORD BYRON Dはとてもお気に入りで、毎日の車の中であの太さに包まれながら通勤している状況だ。しかしながらアコースティック・ギターでレゲエといえば、やっぱりここに帰ってくるしかなさそうだ。(まとめに入るわけではない。今のところ周りを見渡して、いろいろ考えて、自分にとってやっぱりここが原点だと言うことである。)



BOB MARLEY and the WAILERS
         /GROOVING KINGSTON 12


ちょっと前に発売されていたBOXで、3枚目のCDの1~8曲目までが「アコースティック・メドレー」なのだ。



 昔、限定発売だった「Song of freedom」にあったメドレーの完全版といえる内容である。その時にも思ったが、WAILERSがアレンジを施したものと、原曲を聞き比べてみても、突拍子のなさってのがまったく感じられず、BOB MARLEYが一人で弾きながら歌っているイメージにとても近い印象を受けるのだ。それはソングライターとしての優秀さがあってのことなのか(曲が良いということ)、シンガーとして持っているリズムのせいなのか、楽器隊のアレンジの優秀さの賜物なのか(ファミリーマンの存在)、はたまたそのすべてを併せ持っているからなのか…いつ聴いてもそれらの答えを考える余裕すら与えられぬまま、ケツを叩かれてしまう。すばらしい作品群だ。

 それからCatch a fireの制作裏話DVDのバニー・ウェイラー。アコを爪弾きながら”スレイブ・ドライバー”を歌うシーンに鳥肌が立ってしまう。





 結局のところ、自分を明確に打ち出しているシンガーの歌が好きで、あこがれているということ。そんなシンガーの裸の歌が聞こえるという理由でアコースティック・ギターで歌うものが好きなのです。そして、いつかは自分も!と野望を抱いている毎日だったりしています。



ONE LOVE

【R】 アコースティックなレゲエ(2)

2006年10月10日 | REGGAE

LORD BYRON D
   / Revolution People

(違う曲ですが試聴できます)



 UKで話題沸騰!!だっ、誰だこのボブマーリーを彷彿とさせる声の持ち主は…ジョー・ギブス、リトル・ロイ、バニー・リーが聴き惚れ、『これぞレベル・ミュージック、ボブの魂の復活を感じた』と口を揃えて言わしめるUKルーツ・ロック・レゲエ界の新星、ロード・バイロンD!!世界を放浪する吟遊詩人のデビュー・アルバムが堂々と日本上陸!!もう全てがとにかく型破り、こいつはまさに革命家だ!!

 帯にこんなことが書いていたら、しかも店員さんのコメントに「アコースティック・ギターを弾いて…」などという文字も躍っていたら、もう即行で買わずにはいられない。まんまと社会のシステムに負けるかのように購入してしまった。

 これ、正解!!久しぶりにアコースティック・ギターを爪弾く大物(世間的にではない)シンガーが登場したと言っても良いだろう。これから活躍するとはあまり思えないシンガーでもあるが。レゲエのコーナーに置いていて、しかも帯にはルーツ・ロック・レゲエと書かれているのに、良い意味でレゲエの枠には入らないシンガーだ。レゲエをはじめとしたカリブの島々の音楽やアメリカの音楽、そして黒人としてのアフリカの音楽がひとつの曲の中にごちゃ混ぜになっている感じだ。そんなことよりも、このぶっとい歌の存在感!! アコースティック・ギターがメインのトラックばかりだが、それを爪弾いているとは思えない太さ。そんじょそこらのサーフ・ミュージックを聴いている人には、耐えられないであろう太さだ。そこには波の音はない。あるのは「貧困に立ち向かう革命家の強さ」と、「愛を渇望する男の切実さ」。一聴した限り「ンチャカンチャカ」のリズムはない。でもルーツ・ロックを真剣に聞いている人にはわかってもらえるだろう、あの感覚が存在しているのだ。

大石始氏の解説から文字を拾ってみると…
 ロード・バイロンD。ニカラグア出身。40歳でデビュー。母親に捨てられた後、拉致され奴隷にさせられる。牧場や過酷な肉体労働に耐え切れず何度も主人のもとを逃げ出すが、再び拉致。今度は反政府軍の兵士に仕立て上げられる。このような「拉致→逃亡」を経て、偽造パスポートを手にスペインへと渡り、ホームレスのような生活をしながらフランス、イギリスを転々としていた。公園やストリートでの音楽活動をダウンビート・レコードのオーナー:アンディに見初められ、40歳にしてのデビューとなった…とある。こんな人である。



そりゃ太いよなぁ・・・と、一人唸りながら聴いてしまった。


気になった人はぜひ聴いていただきたい。レベル・ミュージックとしてのレゲエがわかる方なら大正解の1枚になるはずだ。


(2005年発売。P-VINE。)




ONE LOVE



最後にアルバムタイトルとなった曲“REVOLUTION PEOPLE”の訳詞の一部を紹介して終わろうと思う。



REVOLUTION PEOPLE

革命家よ
真実を知る者よ
革命家よ

真の革命には
真の教育を受けた人間が必要だ
進化、革命に武器は不要だ
子供達は
殺戮なんか望んじゃいない
今こそ新の革命が必要だ
議論している時間がもったいない

知識を得ることや発展は弊害でしかない
現実を見よう
今こそ革命を
立ち上がるべき時が来た
人種を超えて
手を組むべき時が来た
争うことはやめろ

  :
  :
  :



※歌詞や解説の引用について問題がございましたらご連絡ください。


【あ】 日本のアイタル・フード

2006年10月06日 | ある日の戯言



なんて忙しさだ。まさに激務。寝ても寝ても前日を引きずったままだ。こんなとき・・・。

①サプリメントで栄養補給。明日からまたがんばるぞ~。

という人と

②おいしいものでも食べて元気でもつけるか~。

という人がいる。(あくまでも何かを口に入れることが前提の話。) 自分は間違いなく②のタイプだ。口にするもので体調も変われば考え方すら変わっていくと考えているからだ。別に菜食主義者だということではないのだが、「食を大切に考えている」と思っていただいてかまわない。“健康のために”というよりは“心の平和のために”ってのが30%、“だっておいしいんだもん”ってのが70%くらいだ。食べるもので身体に影響があるのは、簡単なのところでは、「脂っこいものを食べた翌日はふきでもの(若い人ならニキビ)が出やすい」等で体感できるが、食と心の平和のつながりってのはなかなか意識しないと見つけにくいものだ。

 それはさておき、食事について考えるようになったのは大昔にアイタルフードの存在を知ったことと、「安全なものを子供の口に入れたいな」と嫁が言いだしたことがきっかけだ。そして「和食=古くからある洗い方や切り方、調理法まで」にたどり着き、ルクルーゼなる魔法のなべを購入したことでその勢いは加速していったのだった。

 和食最高!

 そんな食生活(和食以外ももちろん食べますが…)が続いていたある日、食卓で私のビンギドラムの師匠であるティーバ(ジャマイカ在住のラスタマン。ミュージシャン。画家。)の話題となり、「もし日本に来ることがあったらうちに泊まりに来れば良いのにね~。でもアイタルフードしか口にしないなら、なにをご馳走すればいいんだろう。これ(魔法のなべで作ったシンプル煮物)でも味濃いんでしょう?」「濃いと思うよ。後で塩をかけれるようにすれば良いのかも…でも、本当に何がいいんだろうね~。」などとかなり実現が難しいことを夫婦そろって一生懸命話をしていた。

 翌日、家に帰ると「こんなの買ったさ。ティーバが来てもこれなら食べられると思って…」と嫁が出してきたのが写真の本、“菜菜ごはん”。肉は使わず、調味料も極力少なめに、野菜本来の味を楽しむためのごはん。まさにアイタル・フード。日本にもこんな食事があるんですよね。欧米の食事ばかりに目を奪われずに昔からの伝統に目を向ければ、しっかりとしたJA-JAつながりを見つけることができるようです。



 ネパールなどの寺院では、断食を体験できるようなところもあるらしいですが、断食のあとの食事では、素材そのものの味がしっかり舌に染みわたり、特別な調味料は要らないと思えるほどに舌の感覚が戻っていると聞きます。うちの娘も、私にはわからない味の違い(メーカーによるちくわの味だとか…)を食べ分けます。口に入れても良いものが本来持っている色々な味をしっかり味わって、なおかつ楽しめるような、生物としての本来の舌の機能を復活させたいものです。




 そのためにも、煙草はやめなくちゃ…




ONE LOVE


【R】 アコースティックなレゲエ

2006年10月03日 | REGGAE

歌を歌う。

 レゲエ・シンガーならトラックに合わせて歌うことが多いのだろうか。自分の場合も7インチの裏を使ったり、自分の曲に関しては作ったトラックを使うこともある。でも、手っ取り早く歌うには自分で伴奏をしてしまうことだ。エレピを買ったはいいがまったくと言って良いほど弾けない自分にとって、“伴奏楽器は”やはりギターだ。まぁ、エレピは娘用なのだが。ギターと言ってもエレキ・ギターじゃなく、アコースティック。いわゆるフォークギターを爪弾きながら歌うのだが、ピックを使わない私は親指の爪がペラペラになってしまって何か対策を考えているところだ。



 そんな指の状態はさておき、ポロポロと爪弾くのはレゲエであることことがほとんどだ。当然バンドでのギターの役割とは違い、ンチャカンチャカやっているわけにはいかない・・・事もないのだろうが、やっぱりジャカジャカ弾いてしまっている。色々なDVDなどを見てみると、指でジャカジャカやっている人が多い。とりあえず自分もそうやっているところだ。

 そんな時偶然見つけたCDがこれ。



“A SWEET SERENADE”。帯には「アコースティックギターでスカやレゲエをやっている」といったことが書かれていた。「お~!これで~す!」と外国人ちっくに驚いたことはどうでもいいが、参考音源として聞いてみるのも悪くないと即購入。聞いてみると…「またやってしまった」のである。10年近く前、TUFF GONGが大々的に売り出そうとしていたYVADの1st(写真2)で失敗したとおりの展開だった。やはりアコースティック・ギターを中心にレゲエなどのリズム音楽を奏でるのは相当難しいらしい。唯一、ローリンヒルのMTVでの“ソー・マッチ・シング・トゥ・セイ”が成功と言えるのかな? 曲の良し悪しも影響しているのだろうが、やっぱり難しいのだろう。まず、歌でレゲエを奏でていないといけないのだから。

(写真2)




 どなたか、アコースティックギターでみごとにレゲエを奏でている人をご存知でしたら、教えてください。



 だらだらと、日夜奮闘中の僕の部屋の中をお見せするようなブログになってしまった。何はともあれ、うまい下手はさておき、歌を歌うというのはなんて気持ちの良いことなんでしょうね。



ONE LOVE