日々精進生活

日々、自己反省をしながら、思うことを綴る日記。

インフルエンザ?!

2006-01-30 13:20:03 | 普段の生活より
昨日から旦那と次女が39度の熱でダウン。
検査の結果、旦那はただの風邪で次女はインフルエンザだった・・・。
私も、昨日から咳がひどくて、今日は関節がおかしい・・・。
熱は、36度9分で微妙><

私も、ただの風邪でありますように!!!


私が求めていたものは・・・

2006-01-28 22:48:58 | 普段の生活より
約2年前ほどに、どん底状態になった体調。
それ以前から、ずっと兆候はあったのです。

普段から運動不足だった私は、ちょっと階段を駆け上がったり
自転車を必死にこいだりすると吐き気がしていました。
約3年前に健康診断に行った時に、内科の先生に相談してみたところ、やはり「運動不足からくる症状だろう」と言われました。
心肺機能が衰えてきているから、急に運動をすると血液中の酸素不足で吐き気が起きるんだとか・・・。
私は、運動不足という自覚もあったし、先生の言われることを疑いませんでした。
が・・・。
吐き気は、どんどんひどくなるばかり。
掃除機をかけただけでも、洗濯物を干す作業をしただけでも、ちょっと動いただけでも吐き気が・・・。
一日中、オエぇ~オエェ~って。
あまりにも、オエェ~ってやってるから娘達も、私の体調がおかしいことに気付いたくらい。
私に無関心の旦那でさえ気付いたくらい・・・。
普通に運動不足なだけで、こんなに吐き気があるなんておかしい!!
旦那の親からも、早く病院で検査をしてもらえと言われて近くの総合病院で、いろいろと検査をしてもらいました。
血液検査・尿検査・エコーに胃カメラ・・・。
検査では、どこにも異常は見つからず。
薬を飲んでも症状は落ち着かず。
薬も、利かないので、いろいろと変えて飲まされました。
でも、やっぱり症状は落ち着かず。
こんなに薬をいろいろ飲んでも治らないのなら・・・と薬を飲むのも止め病院に行くのも止めました。
結局、吐き気の原因はわからずじまい。
それから、しばらくして、スピリチュアリズムと出会ったのです。

半年に1度ペースでしか行かない美容院で、手に取った雑誌に江原さんが載っていたんです。
私は、江原さんにとても興味を持ちました。
そして、江原さんの講演会に行き、本を読み・・・。
「原因不明の吐き気は憑依されていることがある」と知りました。
「憑依」
江原さんの本に、憑依されていると、自分の顔を鏡で見た時に違和感を感じることがあると書かれていました。
思い当たる節がありました。
当時、鏡に映る自分の顔を見て「私の顔って、こんなだったっけ??」と時々、思うことがありました。
今まで見ていた自分の顔とちょっと違っていたんです。
不思議に思いながら、軽く流していました。
が、江原さんの本を読んで私の波長が低くなっていたことに気付きました。
(波長の法則で、波長が低くなっていると、同じ低い波長の霊に憑依されると言われています。)

当時、私は人間関係が煩わしくなっていてプチ引きこもり状態になっていました。
特に誰かに悪口を言われたとか、いじめられたとかはありませんでした。
ただ、とにかく忙しかった!!!
週に3日、3時間ほどパート勤めに出ていたけれど、あみだくじが大当たりで、
当時幼稚園だった次女の役員をもらい、住んでいるアパートの役員(会長)も、もらい・・・。
娘二人の習い事への送り迎えもあったし、旦那の夜勤の週なんて、夕方がパニックになるくらい忙しかったし。
昼間も、夜も、バタバタと家を出ることが多かった。
時間に追われ、時間に縛られ・・・。
「忙しい~!」と旦那に愚痴をこぼそうものなら、
「お前が勝手に忙しくしているんだろうが!!」と責められて。
「忙しい!!自分の心を解放する時間がない!!誰も私の忙しさをわかってくれない!」ということにストレスを感じていました。
そうしたら、段々、人に会うことがおっくうになってきて。煩わしくなってきて。
人に会いたくない。一人で家に居たい。
そんな思いから、プチ引きこもりになっていきました。

でも、江原さんの本に救われました。
全ては自分の気持ち次第。
私が今まで出会った宗教や倫理の会では納得できなかったけれど江原さんの本に書いてあることは納得できたんです。
「私が求めていたものは、これ、スピリチュアリズムだ!!」
そう瞬間的に思いました。
それからは、波長を高く持つように心がけました。心を明るく、前向きに。
そうしているうちに、吐き気はピタっと嘘のように治まりました。あんなに薬を飲んでも治まらなかった吐き気がピタっと!!

ここからです。私がスピリチュアリズムの道へ深く??ハマっていったのは・・・。

「人生に偶然はない。あるのは必然のみ」

私がスピリチュアリズムと出会うことも偶然ではなかったとしたら。
この、吐き気という症状も、スピリチュアリズムと出会うための大切な経験だったのでしょう。
自分の心の持ち方次第で、辛く苦しい状態になったり、明るく楽しくなったりするということを身をもって気付くことのできた大切なプロセスだったのでしょう。
スピリチュアリズムとの出会えて良かった。心からそう思えます。^^
でも、出会えただけじゃ、ダメですよね。普段の生活の中に活かさなくっちゃ。「愛」を持って接することのできる人を目指して今日も頑張ります~!!


イメージ、イメージ・・・

2006-01-27 11:45:52 | 普段の生活より
最近、私の心、ギスギスしているなぁ。

江原さんの本に書いてあった呼吸法。
以前、「オーラの泉」でも美輪さんも言っていた呼吸法。

簡単に説明すると、鼻から息を大きく吸い込んで、ゆっくり吐くというもの。

私は、精神統一というか、自分を見つめるという思いでしている。

だけど、ここ最近は、心がギスギスしているので
私の心に愛をいっぱい注ぎ込んで、温かな色に変わっていく自分をイメージしながら呼吸法をしている。

毎日、毎日、自分の心が温かくなるイメージをする。
愛を忘れないようにするために。

さぁ、今日も「心に愛」を忘れないよう頑張ろうっと!!

天職探し

2006-01-26 13:13:15 | 普段の生活より
夢も希望もない、ただ生活費を稼ぐためだけの仕事・・・。
そう言っても、性格的に向き不向きがあるから、やっぱり自分の性格に適した仕事を選ぶようになるんだろうから、やっぱり、「適職」なんだろうね。

では、では、昨日の続きとまいりましょう。

10代の頃は、プロになりたい一心で、いろいろと努力もしていたし、自分で言うのもおかしいけれどキラキラしていたと思う。
やりたいこと目指して頑張っている時って、輝いていると思う。
でも、夢も希望もなくなってからというもの、目が死んでいたかも。
そして子育てのストレスから、私の波長は、どんどん下がる一方だったかも。
そんな中、いろいろな宗教や倫理に出合った。でも、私を納得させるものと出合うことはできなかった。

私は、子育てをしながらも、何か物足りない気持ちを持ち続けていた。
元来、心理学や哲学に興味があるタイプなので、「生きる」とは何故なのか、何のためなのか、時々ふと思うことがあった。
私は、何をすればいいのか・・・。
私は、このままでいいのか・・・。
私は、何が好きなのか、何がやりたいのか・・・。
この気持ちを捨てきれずにいた。

そして、いつの頃からか、「カウンセラー」という仕事に興味を持つようになっていた。


結婚して子育てに追われながら今まで、ちょこちょこと独学で勉強をし資格を取ってきた。
でも、「カウンセラー」になるには、大学で心理学を勉強しなければなれないことを知った。
独学で勉強しても資格を取れないことを知った。
「カウンセラー」への夢も無残に崩れ去った・・・。

そして、今、福祉の時代。
福祉なら、人の役にも立つし、素晴らしい仕事だ!!と、私も福祉の仕事をしようかと考えたこともあった。
主婦の私ができる福祉の仕事としてはヘルパーくらいしか思いつかない。でも、何故か気が進まない。
私は腰が悪い。軽いぎっくり腰を二回している。そういうこともあってか、ヘルバーの仕事をする気になれない。
私にとっての「天職」ではないのかもしれない。
じゃぁ、介護事務は??腰が悪くても介護の仕事に、福祉の仕事に携わることができる!
もしかしたら、以前、取った「福祉住環境コーディネータ」も活かせるかも!!
思い立ったら、行動に移したくなる私。熱中してしまう私。介護事務の通信教育を終了しました。
でも、介護事務なんて、そうそう簡単に見つからない。
いつか、私と縁があれば職に就けるかも。と思い込むことで気持ちを落ち着けることに・・・。

そうこうしているうちに、ようやく「天職」の道が見えてきた。
以前、日記にも書いたけれど、大学で心理学を学んでいないので「カウンセラー」を諦めたという話をしたところ、通信制の大学で心理学が学べることを教えてもらった。
ここを卒業すれば、4年制大学を卒業したことと同じ資格がもらえるそうだ。
この大学なら、時間も縛られないし、金銭的にも娘二人を育てながらでも何とかなりそう!!
私に希望と光が見えてきた。

もしかしたら、私が高校時代に大学進学ができなかった理由は、ここにあるんだろうか?
そんな気さえしてきた。

でも、今はまだ道が見えてきただけ。
合格通知をもらい、無事、入学できたら、そこからがスタート。
仕事をしながらの主婦が一体、どこまでやれるのか。在籍期間10年を活かして頑張れるところまで頑張ってみようと思う。
人生に無駄な経験はない!!
とにかく、頑張る!!やりたいことのための勉強なら頑張れる!!
今は、将来への夢と希望で満ち溢れ、とても幸せな気持ちです。

幸せ成功力コーチ「野口 嘉則」さんが書かれている「鏡の法則」には、経営コンサルタントをしながら心理学を学び、悩んでいる人の力になっているという、まさに「適職」と「天職」の両方で頑張っていらっしゃる方が登場していました。
理想的な仕事ですよね。「適職」と「天職」を同時にできるなんて。

そして、この「鏡の法則」。
スピリチュアリズムでは、「因果の法則」とも言いますね。
自分のしていることは、全て自分に返ってくる・・・。
この世は、全て自己責任。
自分の気持ちの持ち方一つで幸せにも感じたり、不幸にも感じる。
いつも幸せな明るい気持ちでいられるよう、頑張りたいものです。

「天職」と「適職」

2006-01-25 12:55:26 | 普段の生活より
バリバリ仕事がしたい・・・。
どれほどの人が、こんな思いで仕事をしているんだろう??

私も、若かりし頃は、そう思っていました。

小学生時代・・・。
幼稚園時代に、どうしても習いたい!と親に頼み込んでピアノを習い始めて。
リコーダーも得意で学習発表会ではソロを吹いた私。
4年生からのクラブ活動も、いつも音楽クラブ。
音楽大好き少女だったけれど特に将来への希望はなかった。

中学時代・・・。
当時、アニメ「エースを狙え」が人気で私もテニスに興味を持っていて。
小学校時代にやっていたポートボール(だったっけな?バスケとルールは同じなんだけど、ゴールではなく人が台の上に立ってゴールの役目をするスポーツ)が好きでバスケにも興味があって。
もちろん、音楽も好き!
小6の時に何故かフルートに興味を持って、NHK教育で放送していた「フルートとともに」という番組を見ながら30センチものさしをフルートに見立てて真似をして練習していたから吹奏楽にも興味が大!!
部活、何に入ろうか、真剣に悩んだ末、吹奏楽部を選んだ私。
そして、コーラス部の人数不足を補うために、かけもちでコーラス部にも参加。
音楽が大好きという気持ちは変わっていなかったけれど、将来の希望は、はっきり決まらず、何でもいいから音楽関係の仕事に就きたいっていう程度。
で、ここで、高校入試の時、音楽高校を受験したんだけど、試験当日、熱が出ていて、そのせいなのか、私自身の実力不足なのか(多分、こっちが大きいだろうけど・・・汗)、見事に不合格・・・。
そして、地元の進学校へ入学したのでした。

高校時代・・・。
やっぱり音楽が好き。当然のように吹奏楽部へ。
2年生の時、ハードロックに目覚め、バンドを始めた。
1年生の時は音楽大学希望だったけれど、親から金銭的に音楽大学は無理だから諦めて欲しいと言われて、この頃からかなぁ。心理学や哲学に興味を持ち始めていたこともあって、音楽大学が無理なら普通に心理学を学べる大学に行きたいと思うようにもなった。
その後も、バンドに熱中しまくり(笑)。
3年生の時には、普通の大学でも金銭的に無理だからと親から言われたけれど、バンドにどっぷり浸かっていた私は、将来はプロになるんだ!!と思ってあっさり受け入れた(笑)。

高校卒業後・・・。

私は東京へ行きたかった。
1歳年上のバンド仲間が、プロを目指して東京へ出ていたから私も後を追って東京へ行きたかった。
でも、父親が猛反対。
「東京へ行くなら、親子の縁を切る!」と言われた。
けれど、私は縁を切ってでも東京へ行きたかった。
親の力を借りなくても自分でバイトしてお金を貯めて東京へ行こう!そう思ってバイト(今でいうフリーター)をしていた。
そうこうしている生活の中で、一度だけチャンスがあってオーディション本選のため東京へ。
そこでは私が師匠としている人と似ていることが仇となって不合格・・・。
でも、これからもいつでも相談しておいで。いつでも録音テープを受け付けるよ。と、そっと名刺を渡してくれた人がいた。
なのに、私は頑張らなかった・・・。
バイト生活をしているうちにダラダラと生活に追われて、音楽からだんだん離れてしまっていた。
そして、将来の希望も夢もなくなってしまった・・・。

あぁ・・・。自分のやりたい仕事ができないなら、いっそのこと、さっさと結婚してしまおう・・・。

そんな安易な気持ちがすごくあった。

そんな気持ちの時に、いろいろと出会いがあったけれど、結局、今の旦那(今と言っても旦那は後にも先にも今の旦那だけよ~)と20歳の時に出遭って、交際期間1年半という短期間でスピード?結婚。この時、21歳。

今、思えば21歳って、何て若いんだろう!!と。
まだ、何だってやろうと思えばやれた時期。
でも、私には夢も希望もなかった。ただひたすら、結婚することで現実社会から逃げていたんだろうなぁ。
そうこうしているうちに長女を出産。23歳になる直前。でも、れっきとした22歳。
22歳で子どもを産み、つい最近まで子育てに追われる毎日。
今は、37歳という年齢になった。
この15年間、子育てに必死だった。間で、家計を助けるために、子どもがいてもできる仕事をちょこちょことやってきた。
全て、家計のため。収入を得るための仕事だった。
仕事にやりがいも生きがいも何もない。夢も希望もない。
今の仕事もそう。
やりがいも生きがいも何もない。ただ収入を得るためだけ。

こういう「収入を得るためだけの仕事」は、適職と言うらしい。
この「適職」とは別に、人の役に立つこともでき、自分の好きなことでもある仕事を「天職」と言うらしい。

長くなるので、今日は、ここまで。明日に続く・・・。

心が顔に表れる?!

2006-01-24 13:13:11 | 普段の生活より
皆さんの口角は上がっていますか?下がっていますか?

私の口角は、スピリチュアリズムに出会うまでは下がっていました。
いわゆる、「ヘの字口」でした。
自分自身は、前向きな性格だと思っていました。
竹を割ったような、ずるずる後をひきずることのないさっぱりとした性格だと思っていました。
でも、ヘの字口でした。

スピリチュアリズムと出会ってから、自分が思っていた「前向き」は本当の「前向き」ではないことに気付きました。
私が思っていたことは単なる切捨てであって、くさいものにはフタをしてきただけであって 根本をみつめ改善するということを一切してきていませんでした。

穏やかで優しい表情になりたい!!

そう思うようになってからは、歩いていても、車の運転をしていても 常に優しい顔をするよう心がけてきました。
すると、すると!!!
いつの間にか、口角が上がっていたんです!!!!

口角が下がっているからと言って、優しい心を持っていなかったわけではありません。
でも、きっと心の根底にいつも不満や不平を抱えていたんだろうと思います。

今は、不満も不平も、原因を探ることで解消できるようになりました。
切り捨てることで前向きになるのではなく
くさいものにフタをすることで前向きになるのではなく
ようやく、根本的な改善をすることで前向きになれるようになれました。

人相って、やっぱりその人の心が表れるものなんだなってつくづく感じました。
これからも、口角を下げないよう、穏やかで優しい表情の人になれるようがんばっていきたいと思います。

耳をふさぐ次女

2006-01-23 13:01:14 | 普段の生活より
つい、かっとなると攻撃的にケンケン言ってしまう私・・・。
昨日も、次女にマシンガン攻撃をしてしまいました。

が、次女は聞きたくない時は両手で自分の耳をふさぎます。
昨日も、マシンガン攻撃の最中、次女は耳をふさいでいました。
ゆっくり冷静に言い聞かせている時には、耳をふさぐことはないのに・・・。

その様子を見ると我に返ります。

あぁ・・・。またマシンガン攻撃をしまった・・・。
何で、もっと冷静に話してやることができないんだろう。

次女に気付きを与えてもらえることが有り難く感じます。

今年は、マシンガン攻撃を止めることも目標の1つに掲げたいと思います(汗)。


どうやったら離れられる?

2006-01-20 14:22:30 | 普段の生活より
あれから、まだ抜けきることができない様子の長女。
昨晩も、表情がすっきりしない。

「波長が高くなれば、離れられる」

私の、この言葉にひっかかっているらしい。

「じゃぁ、部活は??」

長女は、今すぐにでも離れたいらしい。
波長が高くなって離れることができるとした場合、同じ部活なのに、どうやって離れることができるのか?!
そう疑問に思っているようだ。

確かに。部活は、どっちかが辞めない限り離れることはできない。
でも、もうすぐ3年生。どっちみち部活も夏まで。
夏が終われば部活も引退して毎日、顔を会わせる時間も減る。
それより、私が気になるのはクラス替え。
同じクラスになろうものなら、卒業まで嫌な思いを引きずるようになる・・・。

長女は「今、私は波長低いと思う。」そう言った。

なんだ~、自覚できてるんだ・・・。

私は「そうよ。あんたの波長が低いから今、こうなってるのよ。
あんたが小学生の頃からお母さんの言うことを全く全然無視して、いつもYちゃんの言いなりになって悪いことをしてきたでしょ!
昔は、Yちゃんと遊んだらいけないってよく言ってたけど、途中からいわないようになったでしょ?
それは、Yちゃんが悪いんじゃなくて、あんたに原因があるって気付いたから言わなくなったのよ。」

そんなこんな話をしばらくした。

長女は、小1~小3まで、Yちゃんと同じクラス。
Yちゃんが悪いことをしようと誘っても、「そんなことしたらダメよ。」とか「そんなこと止めようよ」ってYちゃんに言いなさいよ。といくら言っても言わなかった。
「何で言わないの?あんたがちゃんと言ってYちゃんを良い方向へ持っていくことができたらお母さんは、Yちゃんと遊んだらいけない!なんて言わないのよ!」
といくら言っても長女は言わなかった。

結局、2年の担任も3年の担任も、長女にとってよくない関係だと見抜いて助言してくれたけれど、本人が断ち切らない限りどうしようもない・・・と2年の時の担任は言った。
3年の時の担任は、なるべく一緒にさせないようにします。と言ってくれた。
そのお陰か、小4~小6まで同じクラスになることもなく、中1・中2も同じクラスになっていない。

小4~小6の間は、クラスが違っていたこともあって、Yちゃんと接することがなく穏やかな日々だった。
それが、それが・・・。
私が一番恐れていたこと・・・。中学の部活で一緒になってしまった・・・。
部活で一緒になると3年生までずっと毎日一緒。
同じ部活になったことがわかったときは、それはそれはもう落胆しまくってしまった・・・><

中学に入ってから毎日、登下校が一緒。
当然、私の内心は穏やかじゃない。
けれど、これも長女の課題なんだと思うことで、心も穏やかにすることができた。
長女を見守っていこうと思うことができた。

でも、やっぱりYちゃんとの課題を乗り越えていなかったんだろう。
今がYちゃんとの課題を乗り越える時期なんだろう。

波長がYちゃんと変われば、きっと自然と離れられるよ。
離れよう、離れようって意識しなくても・・・。

これからも、長女と一緒に成長できるよう頑張っていこうと思います。

やっぱり同じことは繰り返された

2006-01-19 12:12:52 | 普段の生活より
今回の長女の事件?!
前回と同じことが起きたということは、やっぱり、克服していない課題は繰り返される!! という事に今朝、気付きました。

そして、長女に乗り越えなければ繰り返されるという話と私の体験談も一緒に話をしてみました。

私も中学生の時に、無視された経験があります。
彼女は、小学生の途中から引越してきた子で、子ども会が一緒だったので顔見知りでしたが、 特に一緒に遊んだこともないし、同じクラスになったこともないし、本当に顔見知りって感じの子でした。
なのに中学3年の時、彼女の私を見る目つきがきつく変わって私の悪口を言っているのが耳に入ってきたのです。
私は小さい頃から音楽が好きでピアノを習っていました。
小学生の頃も、音楽が得意だったし音楽クラブにも入っていたし。そして中学でもブラスバンド部に入っていました。
そんな私を見て、音楽の先生にひいきされていると言われていたのです。
それから、ブラスバンド部には男子がいました。
その男子と仲良くしている様子も、気に入らなかったようです。
「ぶっている」(ぶりっこ?)と言われていたようです。
それから、それから、先輩や後輩には人気があるけど同級生には人気がないくせに。みたいなことも言っていたようです。

同級生には人気がないって・・・あなた・・・(汗)。
正直、あんたに言われたくないって思いましたけど・・・。(彼女は、きつい事を平気で言う子だったので私の知る限り評判は良くなかったから)

彼女のことを、放っておこうかとも思いましたが、あからさまな無視や、睨まれ続けることにストレスを感じたので、私は手紙を書きました。

「○○ちゃんに、無視される原因を私なりに考えたけれど、どうしてもわからない。
私に悪いところがあるのなら直すから教えて欲しい」と・・・。

彼女に手渡すときに、彼女は何と言ったと思います??

「これ、不幸の手紙じゃないでしょうね?!」

こんな意外な言葉にびっくりしたのを覚えています。
彼女も、私にしている行為を自覚していたんでしょうね(笑)。
その手紙の返事はくれませんでしたが、それ以降、無視されることも、きつい目で睨まれることもなくなり、元の関係に戻りました。

私も自分の原因を相手に聞くということで、無視されるという状況から抜け出せたので、 長女にも、どうしてムっとした態度を取るのか聞いみるように言いました。
原因があなたにあるのなら、あなたも直さなければならないし、あなたが嫌な思いをしていることを○○ちゃんも知らなければならないから。と・・・。
そして、今、乗り越えておかなければ、何度でも同じ状況がやってくるよ。と・・・。

朝、玄関を出る時に娘に「頑張っておいで」と声をかけたら、小さくムスっとした声で「うん」と言いましたが・・・。

私も乗り越えてきた道。長女にだって乗り越えられる。
言うだけのことは言った。
後は静かに見守っていこうと思います。

逃げてはいけない

2006-01-18 12:57:33 | 普段の生活より
昨晩、長女がボソっと悩み?を私に打ち明けました。
うちは敷地内に数棟建っているアパートに住んでいます。
そして、同じ棟に長女と同級生が5人(女3人、男2人)。
他の棟に3人(女2人、男1人)。合計8人(女5人、男3人)います。
うちのアパートの近くにも同級生が3人(女2人、男1人)。
この女子総合計7人中、長女と同じ女子バレー部に入っているのは6人。
そして、このバレー部に長女と同じ中学2年生は11人。
約半数は、うちの地区の子達。
朝、学校へ行く時も、このメンバーで皆で。
もちろん、帰るときも、皆一緒。
何と、うちの地区の同級生にがんじがらめの長女!!!!

小学生時代から、このメンバー内にそりが合わない子が二人いる。
彼女達は、家庭環境が良いとは言えず、かなりのものを抱えている。
彼女達を小さな頃から見ているけれど、正直、あまり付き合せたくないタイプ。
なのに、どうしても彼女達と縁が切れない長女でした。

そうこうしながら中学生になって、楽しく一緒にいられるときもあれば、一緒にいることが苦痛になることもある・・・を繰り返していました。
最近、また苦痛になってきたようです。

以前も同じことがあった時、長女は私の実家へ帰っていました。
私の実家は、中学から徒歩20~30分のところにあり、実家の近くへ住んでいる友達(同じバレー部)がいるので、その友達と一緒に帰ることで同じアパート軍団と離れることが目的でした。
これは、私が指示したわけでなく、長女自らが決めたことでした。

当時、スピリチュアリズムを知らなかった私は、付き合って欲しくない子達ではあったし、嫌な相手と無理して付き合わなくてもいいとの思いから、長女が実家に帰ることを許し、車で迎えに行っていました。
そして、昨晩も私の実家へ帰りたいと言いました。朝も一緒に行きたくないから、ずっとうちの実家で暮らしたいと・・・。

私は、また思いました。付き合って欲しくない子達ではあるし、嫌な相手と無理して付き合わなくていい。と。
そして、どうやったらこの子達と一緒に登下校しなくてすむ環境にできるかを一生懸命考えていました。

今朝、歯磨きをしている時のこと。

「逃げてはいけない」

ふとこの言葉が浮かんできました。
そうだった!!!せっかくスピリチュアリズムを学んでいるのに、現状を活かさないまま逃げてはいけない!!!
この現状を長女によく考えさせなければ。

「波長の法則」・・・ 嫌な人がまわりにいるということは、自分もその嫌な人と同じ波長であること。その嫌な人と離れるためには、自分の波長を上げなければいけないこと。

「カルマ(因果)の法則」・・・ 友達から嫌な思いをさせられている原因(長女の話では、ムスっとして機嫌の悪い態度を取られるらしい)が何かあるはず。

スピリチュアリズムの学びをここで活かさなければ、どこで活かす?!
私の魂の癖が、また見えました。
自分が傷つくような嫌なことから逃げてしまう。自分が楽な場所へ逃げてしまう。

長女のお陰で私も自分の課題を見つめることができました。
今日、長女が帰って来たら、ゆっくり話をしたいと思います。