日々精進生活

日々、自己反省をしながら、思うことを綴る日記。

真似をする必要は ない・・・PART 2

2006-01-13 11:40:34 | 普段の生活より
昨晩の次女の鼻づまりは、完全ではないものの、先日と同様、かなり楽そうな呼吸。このまま治ってくれるといいな。
さてさて、「真似をする必要は ない」
この言葉の意味することは・・・。
まず、私の魂の癖を見つめてみました。
私は、小さい頃から良く言えば正義感が強い。悪く言えば間違いと思えることをした人に対して厳しい態度を取っていました。
そんな自分に初めて気付いたのは中学生の頃だったかなぁ。小学校時代の通知表を見つけて先生からの言葉に「正義感が強いのは良いことですが、他人の間違いにもう少し寛容になることが必要であろう。」みたいな内容が書いてあったのを読んだ時です。
「そっか・・・私って人に対して厳しいのか・・・。確かに思い当たるところはある・・・」
当時は、まだ子どもだったこともあり、きっと自分には甘く人には厳しかったんだろうと思いますが(汗)、私が間違っていると思えたことに対して、「あなたは間違っている!!」と攻撃をしていました。
この言葉は私の心に突き刺さりました。「人に対して自分のものさしで測ることは止めよう。」そう思いました。そして、「人のものさしは、私のものさしと違う」ということを嫌でもわからずには いられないような体験をしてきました。
そんな中、自分のものさしでは許せないことでも、何とか許すよう心がけてきたつもりです。そしてその経験は「価値観は人それぞれ。自分の価値観を押し付けない。」という私の信念になったのでした。
そのお陰で他人様に対しては、かなり寛容になれたつもりです。他人様に対しては・・・。
そんな私は高校生時代からストイックな自分が顔を出し始め、歳を重ねるにつれ、私自身に対して厳しくなっていくのでした。
ストイックな私。でも、自分一人で生活をしているときは、何も問題はありませんでした。
が、しかし。
結婚し、子どもが生まれると、自分の思うような生活ができなくなります。そして、子どもを私と同じように厳しくしてしまうのでした。
長女一人だけの時は、それはもうとても厳しい親でした。そして子育てに対して強いストレスも抱えていました。そんなストレスが二人目不妊という形となって現れたんだろうと思っていますが、念願の次女が生まれてからは、厳しさも和らいでいたかのようでした(長女に対しては相変わらず厳しかったですが・・・)。
が、それは、次女が反抗期に入るまでのこと・・・。次女が反抗期に入ると、やはり厳しい私の顔が現れてきました。
次女が反抗期に入るころ、長女は中学生になりました。
中学生になった長女に対して、私は目くじらを立てて「勉強しなさい」と言うようになったのです。その度、長女とは口喧嘩。「怒る」ってパワーを使います。「怒る」ことに疲れながらも、やはり「勉強しなさい」と言ってしまう私。
そんな中、私が中学生時代ってどうだっただろうかと考えてみました。
私は中学生時代に限ったことなく、母親から「○○しなさい」と言われたことがありません。
5歳から17歳までピアノを習っていましたが、一度も「練習をしなさい」と言われたこともなければ、もちろん「勉強しなさい」なんてことも一言も一回も言われたことがありません。
でも、私は自分なりに練習していたし、自分なりに勉強して、希望の高校へ入れたのです。
じゃぁ、娘にも「勉強しなさい」って言わないでも、それなりに勉強して、それなりに高校へ入れるのでは??って思えて、「勉強しなさいと言わないように」と心がけました。
が、本来、人に対して厳しい魂の私。言わないように心がけることがストレスなのです。他人様だと、毎日顔を会わすわけでもないし、一時の我慢なので さほどストレスにもならないけれど、我が娘となると他人様とは勝手が違うのです。
何故、勝手が違うのか?!それはスピリチュアリズムと出会ってようやく気付きました。

長くなるので、また明日・・・