日々精進生活

日々、自己反省をしながら、思うことを綴る日記。

原発について

2011-07-10 22:40:34 | 普段の生活より
ここ最近、原発について思うことがあって・・・
でも、なかなかブログに書けなくて・・・

今日は、原発についての思いを書いてみようと思います。

6月29日 佐賀県知事と玄海町町長が「玄海原発再開に容認」した。
(この後、ストレステスト実施するとの発表で、再開先送りになったけれど)

このニュースを聞いて、心底呆れた。

以前、テレビ番組で、原発補助金で、立派な施設を2つほど建設したという内容を見た。
6300人ほどの町に、これほど立派な施設が必要なのだろうか?!
と、目を疑ってしまったのを覚えている。

そして、町民のインタビューの中で、
「補助金がなければ、この町はダメになってしまう。」
という男性がいた。

本当にそうなのだろうか。

補助金がなければ、町の活性化はできないのだろうか。

補助金がなくても、町を活性化する方法は、知恵を集めれば出てくるものではないのだろうか。

「補助金」という、安易な方法に逃げているだけではないだろうか。
と、思わずにはいられなかった。

それとは対照的に、対岸の町の人たちのインタビューで、
「原発にもしものことがあったら、被害は大きい。補助金ももらっていないのに・・・」
というおば様達の声は、心からの声だろう。

この町のことだったか、他の原発の町のことだったか、定かではないが、
「原発がなければ、働くところもないし、生活ができなくなってしまう。」
という女性がいた。

原発がなくても、働くところがない。生活ができなくなってしまう。ことがないようにするのが
行政の役割ではないのだろうか。

そして、話は遡るのだけれど、
6月19日の地方新聞の記事に、自民党・石原氏が上関原発について、
宇部で講演した内容が載っていたのだけれど、
「太陽光や風力発電で原発に見合う供給力が10年、20年でできるかといえば、できない」
脱原発は長期的貿易収支縮小を招くとして
「短絡的に原発は危ないからやめようでは済まない」
と話をしたとのことだった。

私は、何だか怒りを感じた。

原発をやめようということが短絡的なのか?!

「脱原発が長期的貿易収支の縮小になるからやめられない」とのほうが短絡的なのではないか?!

あ~。この人は、何もわかっちゃいない。

太陽光や風力発電だけで原発に見合う供給力を求めようとするからじゃないの?

京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏は、
「原発を動かすために休ませている火力発電所を稼動すれば、電力不足にはならない」
と、著書に書いていらっしゃる。

石原氏は、こういうことを知っていてあえて、国益のためだけのために、
日本人・人類の危険を顧みずこういう発言をされていらっしゃるのか。
それとも、火力発電を稼動させても電力不足は解消されないと思っているのか。
それとも、火力発電を稼動させることに、何か不都合があるのか。

火力発電所を稼動すれば、電力不足は解消されるという意見もある中、
今日の地方紙に、「風力発電設置(中国地方) 足踏み」という記事が載っていた。

採算性・騒音・景観等をクリアする適地が少なくなってきていることと、国が建設の補助金を打ち切ったことが響いているという。

確かに、風力発電は、騒音問題・低周波問題もかなりあると聞く。
建設するためには、自然も破壊するだろうし・・・。
いろいろと問題を抱えているのだろうが、国は風力発電には興味がないのだろうか。
それとも、風力発電の他に何か良い策を持っているのだろうか。

それからそれから、密かに思っていることがある。

エコキャンペーンの時もそうだったけれど、
今、巷は猫も杓子も「節電キャンペーン」が真っ盛り。

小出氏の、節電をしなくても火力発電を稼動すれば・・・に通じるのだけれど、
政府・メディアが「節電を!」と呼びかければ、
その裏にどんなことが隠されていようとも(節電をしなくても大丈夫)、国民が一斉に盛り上がる。

皆、良いことをやっていると思って一生懸命。

こんなに、素直に一生懸命やっている国民を平気で騙して、政府・マスコミには罪悪感はないのだろうか。

我々国民も、政府・メディアの情報を鵜呑みにせず、批判的に見ることをする必要性もあると思うけれど・・・。

とりあえず、思っていることを書いたけれど、
まだまだ原発について、勉強不足で、もしかしたら、事実から逸れたことを書いているかもしれない。
(勉強不足なので、とんでもない内容を書いてはいけないと思って、これまでなかなか書けずにいたのだが・・・汗)

これからも、原発ニュースには注意を払いながら、真実を知っていきたいと思う。