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「明日に架ける橋」とゴスペル

2006-12-18 00:49:13 | 雑談
「世紀を刻んだ歌 明日に架ける橋」(NHK総合,Dec 17, 2006, 1750-1642,再放送)を見た。「明日に架ける橋」(1970)は、サイモン&ガーファンクルの有名な曲である。この曲のテーマは、困難な状態に陥った友人に対して、自分を犠牲にしてまで、救いの手をさしのべることであると思う。

この歌詞の三番に「銀色の少女よ船出しよう」という節があるが、これが9.11同時多発テロのあとの異常な状況では、飛行機を連想させるという解釈で、この歌の放送が自粛されていたという。

もっともポールサイモンは、9.11のあと意識的に「明日に架ける橋」を歌い、それが聴衆に受け入れられた。「明日に架ける橋」自体が、ベトナム戦争のためにアメリカ社会が混乱する中で、何ができるかという問いかけの中から生まれたものであるからだろう。

番組ではこの歌が生まれる背景に、ゴスペルがあったということを、縦糸にストーリーを紡いでいく。The Swan Silvertones というグループの歌"O, Mary don't you weep" 中の'I'll be a bridge over deep water if you trust my name"という歌詞から着想を得て、ポール・サイモンが「明日にかける橋」"Bridge over troubled water"を作るきっかけとなったということである。

またソウル歌手アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)は「明日に架ける橋」をゴスペル風にアレンジした。そしてその歌が、アパルトヘイトで苦しんでいた南アフリカで人気を得た。南アフリカでは「明日に架ける橋」はアレサ・フランクリンの歌とさえ認識されているという。そして今日に至るまで南アフリカの教会でも、「明日に架ける橋」が歌われているということであった。

「明日に架ける橋」がゴスペルの起源があると言われても、さほど違和感がなかった。テレビでは言及されなかったが、"Paul Simon in Concert: Live Rhymin'"(1974)では、ポール・サイモン自身が、ジェシーディクソン・シンガーズとともに「明日に架ける橋」をゴスペル風にアレンジして歌っていて、それに私が慣れていたためであろう。ありきたりだが、人種や宗教を超えて広がる音楽の力には、驚かされた。

Paul Simon in Concert: Live Rhymin`
Paul Simon
Warner Bros.

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蛇足
90年代初頭の南アフリカコンサートに関する新聞記事が映されたとき、ギターを弾いているポール・サイモンが、かぶっていたキャップは、どう見ても阪神タイガースのものであった。アレは古舘伊知郎がポールに対してプレゼントしたものだろうか?

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (ogintern)
2006-12-23 15:15:00
solaris様、コメント有り難うございます。
Silver girlとは何ものかとは、全然考えていませんでした。ペギーのことだったんですね。
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Unknown (solaris)
2006-12-19 16:36:03
>「銀色の少女よ船出しよう」という節があるが

これが9.11を連想させるというのは、もの凄い連想力ですね。(^_^)
でも、silver girl が何者かっていうのは、ヒットしてた当時、不思議に思いながら聴いてました。すでにお調べ済みかと思いますが、さっきgoogleしてみたら、こんなページが。
http://www.defectiveyeti.com/archives/000817.html
麻薬の歌だという噂もあったようですが、なんのことはない、当時つきあってた、後の奥さんのことらしいです。


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